2014年9月28日日曜日

この一週間

ブログ、ご無沙汰ですみません。

先週から楽しい事がたくさんありました。

9/19(土)
 Steve Oda×U-zhaan  インド古典音楽演奏会
リハーサル風景。
左からタブラ、U-zhaanさん、タンプーラ、池田絢子さん、サロード、Steve小田さん。
バンスリの寺原太郎さん、奥様の寺原百合子さんも来て下さいました。
企画、セッティング、PAをしてくれたのは、サロード奏者でもある平川麦くん。
わたくしは当日、なんだかんだ、通訳もろくに出来ず、太郎さんにすべて助けて頂き、
フードも、SUGATAのとしえとのんちゃんがほとんどやってくれて 、なんだかただただ楽しませて頂きました。
前日誕生日だった事もあって、お花を頂いたり。
感謝するしか出来ないわたくしで本当にすみません。

インド音楽の皆様方は、SUGATAのスタジオと、人のふわっとした雰囲気(?)を気に入って下さり、またの機会をと仰って下さいましたので、今後もいろいろと楽しみです。
U-zhaanさんは風邪をお召しになられていたようで、本番直前まで体調悪そうにしていらして、それでも入魂の演奏を魅せて下さったのはさすがでした。
Steveさんとの掛け合いは本当に白熱して素晴らしかった。
そしてSteveさんの仏様のようなあたたかさ。
本当にすべてありがとうございました。

9/20(土)
Patagonia WS「幸福な後屈〜Heart Opening」
後屈と告知しつつ、それらしいアサナは一切行わないという、基礎の基礎の基礎のWSでした。でもたぶんアドバンスのプラクティショナーにも新鮮な内容だったのでは?
ホワイトボードを使って講義するのが最近伝わりがはやいので気に入って多用しています。


9/21(日)
 MEDI-Arts ZUSHI 
   Gocoo×Goro×神田サオリ×ColoGraPhonics
Freedom Sunset ProductionのShibaさんオーガナイズのステージ。
 ステージを見終わった後、しばらく放心状態になりました。
女性の太鼓、かっこいい。かっこよすぎる。
最新技術の映像とライブペインティングとのコラボレーションにもいろいろ驚かされる事ばかりでした。

小学校の壁面に映し出されるプロジェクションマッピングも、世界各国から集まった素晴らしい作品ばかりで、自分が普段過ごしている日常では感じる事の無い、少し壮大な時の流れを感じました。
人の想いっていうのは本当にすごいですね。
なんでも具現化してしまう。そしてそのスピードは、私達が子供だった頃から比べたら何十倍も速くなっているし、やっぱり2012年以降、人の心の流れが変わったなと感じます。
 そうやって、思った事を形にすることを魅せてくれるのがArtの世界。
イマジネーションを働かせて、インスピレーションを受け取って、わくわくしながら進んで行く世界で皆が生きようとしていますよね。
日々の些細な選択から、毎日が気付きの連続で、今とても面白い。

9/25(木)
Pranic Yoga江ノ島クラス
もうすぐお母さんになるI子ちゃんの出産前最後のクラス。
この世界に降りて来たその時から関わらせて頂いている ベイビーちゃん、既にヨガの時間が大好きなようで、私にとっても毎週会えるのが楽しみでした。
マタニティのクラスは開講していないのですが、それまで通って下さっていた方のみ、妊娠中の受講をサポートさせて頂いています。
女性同士の繋がりはとても大切。
緩やかに、自然にね。
 
9/27(土)
Sunset Lounge by Freedom Sunset
Yoga Under the Sky×Sound Furniture 
 Sound Furnitureの藤枝伸介さん。
豪華なコラボレーションをさせて頂きました。
藤枝さんの音楽に対するスタンスと、私のヨガに対するスタンスがとても一致していて、これからもまだまだ発展させていきたいなと思っています。
音楽は聴いて騒いでストレス発散するものではなく(それも有効だけど)、もっと神聖な、それでいて飾らない、自由で健やかなものであって、関わる人は一流の感性を持った職人であり、それはヨガもまったく同じだと思っています。



そして、ひとりひとりの感性を呼び起こし、深いところから共鳴させて、みんなが柔らかで純粋な、そのまんまの自分をそのまま自分でいさせることが出来たら、いいな。
硬かったり、閉じていたり、偽っていたり、緊張度の高いところとはどうもしんどくなって関わり続けられないから、 自分のためでもあります。

いろいろ頭の中や胸の奥で思い描いている事がたくさんあって、ひとつひとつ叶う事がちゃんとわかっているから、古いパターンはどんどん変っていきますね。


2014年9月8日月曜日

死生観〜mement mori

未来について、私達がたった一つだけ確実にわかっていることがあります。
それは、誰しも死ぬということです。

そして、そのたったひとつ確実にわかっている未来についてどう思っているかが、その人の生き方にとても大きく影響しているなと感じています。

ヨガのティーチャートレーニングを一番最初に受けた時、先生に、このトレーニングをすることの目標、ゴールは何か?あなたにとってヨガって何か?と聞かれた時の事をはっきりと覚えています。
私は「まだ始まったばかりでやってみないとわからないし〜、ずっと身体を使って遊ぶのが好きだったから、ヨガはその延長みたいなもので、私にとっては遊びなんです」と答えてしまい、先生含め一同「は〜?」っとなってしまった事.....(^-^;)
皆さん、具体的な目標を持って(資格をとりたいとか、どういう風に働きたいとか)学びにいらっしゃっていたのですよね。それは当然「は〜?」となるでしょう。

私は輪廻転生を信じています。
昨日があったのと同じ感覚で前世が、明日が来るのと同じ感覚で来世、もしくは人間としてではない形での転生があり、それを繰り返して魂を成長させているのだとわかっています。
ヨガの考え方であり、仏教も同じく、東洋の死生観は概ねそうではないかなと。
神道に関しては、死んだら先祖となって子孫を見守るという考え方のようですね、生が受け継がれるというような。
だから、人生に結果を求めてもあまり意味が無く、もっと大きな目線で捉えられていて、すべては経験なのだと、その経験をするために生を生きているのだという考え方です。

西洋だと、人生は一回きりで、死んだら自分ではない存在にジャッジされて天国か地獄に行くみたいな教えられ方です(もともとはそんなことではないと思いますが)
だから、生きている間に出来るだけ多くの事を達成するために、目標を持ってそれに向かって生きるのだと、東洋哲学を学ばれた方でも根っこではそういう考えが身に付いていらっしゃるのを感じました。

どんな考えにしても、実感や理解が伴わなければ、信じているだけだったら、それは信憑性の無い情報でしかなく 、宗教になってしまうと思うのですね。(私そういうの嫌い)

私の場合は、よく子供の頃に、自分が誰なのかよくわからなくなるという状態になっていたんです。変ですか?
学校帰りとかに、「自分は一体何故家に帰らないといけないんだろう....あ、そうだ、今はゆきこって名前で、お父さんお母さん妹が居て家族をやっていて... 」みたいな感じ。
または、「あ、今の私には身体がついていて、それを動かす事が出来て、女の子で、これから大人になって人生ってやつを生きるんだわ....きゃー」みたいな感じとも言えます(笑)
だから身体を使って遊ぶ事が好きで、怪我するのも厭わず、また五感を刺激される事も大好きで、子供って本当はみんなそうなんじゃないかなと思います。

そのふにゃふにゃした状態(と自分で表現していました)は、慣れるといつでもそうなれたのです。もし心療内科に行っていたら、「解離」と一言で片付けられてしまいますね。

でもね、私の場合は、その頃にヨガに出会って、ヨガの哲学の本とかを読んで、これはおかしなことではなく、ヨガの人はそういう感じを思い出そうと一生懸命なんじゃないかって、もしかしたら勘違いですけどそう思ってしまって、この感覚大事だから忘れたくないなって思ったんですね。それでヨガを続けているのかもしれません。
自分の「魂感」、って感じですかね。

生きるために生まれて来ているんだから生きなければいけない。
すべて経験したかったのだから。

魂の故郷には確実に帰れるのだから、
今は今の現実を精一杯生きる。

例えるなら、ものすごくお金持ちのお嬢様で、実家では何不自由なく暮らしていけるんだけど、 人生経験するために一人暮らししてアルバイトして、恋したり理不尽な苦労をしたり、友達作ったり、泣いたり笑ったり、それを今やっているのではないかな。
ちょっとくらい嫌な事があったからって、すぐ実家に帰る事を考えるなんて...っていうのが私のスピリチュアリズムに対するスタンスです。たまに電話したりは大事ですけどね。
でも実家が何所に在るのか、お父さんお母さんのことを忘れてしまいそうだったら、それは不安になるかもしれないなって思います。

または何かを達成しなければ帰ってはいけないのだと思っていたとしたら....

逆にいつでも見守っているからと、帰って来ても良いから何度でもいってらっしゃいみたいに思ってもらっていると考えているのなら....

いろいろなことをもっと大らかに、大胆に捉えたり、楽しんだりできるのではないかなと思います。

死生観は、時とともに変って行くものであって良いと思うし、決めたり信じたりするものではないと思うんですけど、私達は確実に自分が死ぬという事を知っています。
それについて、自分は本当はどう思っているのだろうかって、少し掘り下げてみると、今生きるという事が鮮やかになってくるかもしれません。

mement mori (死を想え)って言葉、随分刹那的な言葉だなと思っていましたけど、とても智慧の詰まったアドバイスだなって、最近はそう思います。
ナマステ