2013年5月29日水曜日

エゴはどこから来るの?

先日「その原因は?」でエゴについて書きました。

今日はそのエゴがどうしてどこから来るのかを書きたいと思います。

世の中は、「与える事」と「受け取る事」で成り立っています。
それはどちらがどうということはなく、吸ったら吐くのと同じように、自然な事です。

小さな子供のうちは受け取る事ばかりでしょう。
受け取って受け取って育っていきます。
与える方はそれが喜びです。
 まっすぐ受け取ってもらえた時には、心から幸せを感じるもの。
だから、与える事をさせてくれて、受け取ってくれてありがとうなのです。
ですから、例えば子供が好き嫌いをして、作ったご飯を嫌がって食べないとき、お母さんはとてもがっかりします。
そして子供が受け取りやすいように様々に与え方を工夫します。


子供の方も、自分が受け取っているんだ、与えられているんだという事を自覚しはじめます。そうすると、受け取った時はありがとう、受け取れなかった時はごめんなさいと言う、物事が潤滑に流れるルールも知っていきます。

そして、物事をやりとりしているだけではなく、愛情ややさしさ、思いやりを循環させているのだという事を理解します。そして、物事はそういうものに乗せないと上手く運ばないし回って行かないんだという事も次第に理解します。
そうして社会全体で物事を育んで世界が成り立っているのだということも理解します。

ただ、ここでこの単純なところが複雑になってしまった場合、このルールを理解しないまま、欲しい、くれない、欲しい、奪う、欲しい、でも受け取らない、欲しい、いや、やっぱり欲しくない、みたいな捩じれたやりとりになってしまいます。
エゴはここから来るのでしょう。
愛されていないという思い。

受け取るばかりだった子供が大きくなって、 アルバイト等で少しずつ社会と関わる時、やはり最初は自分が賃金を「受け取る」という発想が大きいと思います。
最初から最高のサービスを提供しようなんて考えられる高校生や大学生はなかなかいないと思いますが、徐々に、「与える」ということがわかりはじめて来ると、その「ありがとう」がわかって来ます。相手が受け取れないような与え方をしてしまった時には「ごめんなさい」です。
また、受け取るばかりだった時には見えて来なかったいろんな与え方の形がわかるようになります。そしてますます受け取る事が上手になって行きます。
それが大人になるということです。

そのシンプルで潤滑な流れの中にエゴが入って来てしまうと、与える事は損、出来るだけたくさん受け取ろう、もしくは与えられているものに気付けず、怒ってばかり、欲求不満ばかり、自分ばかりが与えている、吸い取られている、奪われていると感じ、消耗してしまいます。与えている側は、自分のエネルギーを無駄にされてしまったように思い、
そうなると物事は潤滑に回れず、その命が衰えて行きます。

ただし人それぞれ与える量と受け取る量は違っていいと思うのです。
だから多くを与えられる人に対しては、 自分が形として与えられない分応援したり、その人がその能力を最大に発揮出来るよう、敬意を持って接することはとても大事です。
そうすることは、その人がしている「与える」という行いを理解しているのだと伝えていることになります。それはまた自分の「与える」能力を磨き、社会の中でより大きな役割を果たせるのだと周りに理解させる事にも繋がります。

誰でも与える能力を持っています。
エゴがふたをしていることも多いでしょう。
だから、相手に少し力を送ってそのふたを開けるのです。(褒めるとか、好きな事を話題にするとか、状況を気遣うとか)そうすれば与える、受け取るの流れが潤滑になります。

エゴを優先させれば、流れが止まります。
感謝も発生せず命も社会も滅びていくのだろうなと思います。

誰でもエゴを持っています。
だから、それを理解し、流れが発生するように物事を、行動を、発言を、思考を選択していくのです。




2013年5月27日月曜日

その原因は?

「エゴ」です。

エゴは、怖れています。
物事を硬く収縮させようとし、要求し、ジャッジし、奪おうとし、文句や不満ばかりで、自分で何かをしようという発想がありません。いつも誰かが自分にしてくれなかったことばかりを思っています。
だからフラストレーションでいっぱいです。

エゴでないものは、愛し、与え、柔らかく広がろう、繋がろうとします。
正しとか悪いとかではなく、すべてOKなのを知っています。
いつも誰かが自分にしてくれたことを思っています。
また、自分が誰かにしてあげられることを考えています。
それが自分の喜びや幸せに繋がる事を知っているからです。
だから感謝が耐えません。

エゴは、いつも相対的に物事を判断します。
何かと比べて勝っている、負けている、優れている、劣っている。
なのでいつも周りの事が気になります。
そして周りに対して自分の価値が決まるので、周りを落としたり下げることで自分の価値を上げようとします。
何かはいつも限界や範囲や制限があって、その中に収まらないといけないと思っているからです。

エゴでないものは、皆が上がることを望んでいます。
皆の波動が上がって行く事が、自分にとっても心地よく幸せであることを知っているからです。物事は無限の可能性を持っていて、無尽蔵であることをよくわかっています。
だからいつもおおらかで、焦りも警戒心もありません。
インスピレーションに満ちているので、いつも新鮮です。

エゴは、いつも緊張しています。いつも満たされません。いつも何かを得ようと周りを気にしています。損したくありません。

エゴでないものは、育みます。新しいものを生み出します。
自由な多様性を祝福します。予想外の事が楽しいのです。
けれどもそこに普遍的な秩序や法則を見いだします。

エゴは、物事が決まった枠からはみ出る事を嫌います。
過去からの 既成概念などに合っていないとどうしていいかわからなくなるのです。
コントロールしようとします。そしてますます無秩序になっていきます。
けれども何度も同じ事を繰り返します。

エゴは無知です。
無知であることにさえも無知なのです。

エゴは、攻撃します。

エゴでないものは癒します。

エゴは癒しのように見えても、実はすこしずつ生命力を奪って行きます。
エゴは快楽を求めます。そしてさらにさらにと、快楽の段階がエスカレートして行きます。

エゴでないものは、最初強いインパクトがあって、ショックを与える事があっても、結果癒して行きます。そして至福を感じます。そして満足します。
エゴでないものは、無知を知覚しています。そして叡智を求めます。

エゴはカルマにすぐ引っかかってしまう。
自分がいつも何か他のものと同化しないと安心出来ない。
自分の事を信頼していないし、愛してもいないからです。
エゴは孤独の方向です。

エゴでないものは、自分のカルマを見る事が出来ます。それが自分でない事を知っていて、ただこの世界で必要な経験を 引き寄せるために存在しているのだという事を知っています。カルマに翻弄されません。カルマを用いて自分をどんどん高めて行きます。
そしてそれは他の誰でもない、自分自身がひとりで向き合って行くことなのだと理解しています。それは孤独ではなく、孤高です。

人には必ずエゴがあります。
エゴがないと人間として生きていけません 。
ですが、それが増大しすぎてしまうと、その人自身を蝕みはじめます。

心はエゴに耐えられません。
だから、もし何か「これはいったいどうしてなんだろうと」思ってしまうような事があったら、それはエゴの仕業だと思って下さい。
エゴを無くす事は出来ませんが、これはエゴだと知覚する事で、それらの暴走を食い止める事が出来ます。
エゴは、あなたが本当に望む幸せから あなたを遠ざけてしまいます。

エゴイストという言葉は、少しかっこいい意味で使われる事があります。
そういう名前の香水がシャネルにありました。
エゴでないものは、素直で無邪気で素朴でまっすぐで、かっこよくないのかもしれません。ほんの少しのエッセンスは、ほんの少し香る程度に使うととてもその人を魅力的に印象付けるのかもしれません。



2013年5月24日金曜日

夏までに痩せる?!

4月のGW前には、鎌倉特集ばかりだったのに、先日本屋に立ち寄ったら、
「夏までに痩せる!」的なダイエット特集の雑誌がずらりと並んでいて、思わず一冊一冊すべてチェックしてしまいました(笑)

食べ物に関しては、以前のとにかく低カロリー、油を使わない、甘いものは我慢、みたいなところから、もっと食べ方、とか食品の性質や成分についてきちんと書かれており、勉強になります。

同じ炭水化物でも、血糖値が急激に上昇する事のない、玄米や蕎麦、全粒粉を選択することや、中毒を起こすグルテンを避けるグルテンフリーダイエットだとか、消化酵素に着目した酵素ダイエット、ローフード、腸内環境を整える発酵食品、などなど本当にいろいろな考え方が載っていましたよ。

私が普段気をつけているのは、やはり炭水化物の摂り方です。
若い時は脂肪分を気にしていたのですが、今はそもそも脂肪分の多い食事が無理になったので、消化しても直接エネルギーになりにくく、皮下脂肪として蓄えられやすい炭水化物を摂り過ぎないように、またなるべく精製されたものは避け、野菜も芋や豆、トウモロコシ、人参等は炭水化物としてカウントします。
小麦粉製品もなるべく選ばないようにしています。
そしてきちんと大豆製品などから良質のタンパク質を摂るようにしています。

そして最近実践しているのが、豆乳麻炭ヨーグルト。
これ、麻の茎の炭なのですが、EM菌も含まれているので、簡単に発酵します。
実践している方に教えて貰ったのは、
成分無調整豆乳500ml
麻炭パウダー おおさじ1
てんさい糖 おおさじ3〜5
を清潔な瓶などに入れて2〜3日置くだけというとても簡単な作り方。
麻はもともと浄化力に優れた波動の高い植物なので、お腹が綺麗になるような感じがします。腸内環境と脳内環境って密に繋がっているので、とてもいいと思っています。

あとは、エクササイズ編。
「お腹ぽっこりを解消 !」的なテーマでいろいろなエクササイズが紹介されていますが、ほぼどれもヨガでやっていること。
専門家として(笑)提案させていただくのなら、私なら腹筋を鍛える事よりももっと背中を鍛えることを推奨します。
クラスでもよく話していますが、腹筋運動や胸筋を鍛えることばかりしてしまうと、肩が前に引っ張られてしまって背中が丸くなってしまいます。
結果お腹の力が抜け、膝も外側に開いてしまいがちなので、歩く時もうまく地面を蹴る事が出来ず、歩幅の小さい膝が常に曲がったままの歩き方になってしまいます(これは代謝が悪いばかりでなく、腰に負担をかけやすいです)
脊柱をしっかり立てる(姿勢がよい)という事は、腹筋背筋バランスよく整い、なおかつ下半身と上半身に於いてもきちんとエネルギーが流れているという事です。
背中が丸く、肩甲骨が離れた状態で筋肉が固く、そして弱くなってしまっていることから始まる悪循環を解消するには、しっかり背筋を鍛える事、肩甲骨を引き寄せる意識を持つ事。お腹頑張って鍛えても、保てなければすぐに戻ってしまいますから......

ヨガだとシャラバアサナ、セツバンダアサナ、パールシュヴォッターナアサナなどでしょうかね。腰を十分守りながら行う事。
シェイプしたいなら、腹斜筋を意識したサイドプランク(ヴァシシュタアサナ)の肘を付いたバージョン、立位での捻りポーズなどがいいでしょうね。

まあでも個人的には、細いだけの体というのはあまり魅力的だと思わなくなってきました。姿勢がいいとか、表情が明るい、とか声に張りがあるとか、 そういうほうが素敵かな。年齢で確実に体形は変わって行きますし、それにあまり抗ってもね。でも、原因は筋力と柔軟性の低下が主なので(他にはホルモンバランスです)年齢が進めば進む程運動は必要になってきます。関節に負担をかけないタイプのヨガは本当にどんなことより最適だと思っています。

最近はヨガウエアを着用したところの写真撮影などもあったりするので、程よく結果を出していないとな〜と思っています(笑)
OM



2013年5月15日水曜日

Patagonia WS「天と地を繋ぐもの〜腸腰筋の覚醒」


 一昨年から2〜3ヶ月に一度のペースで開催させて頂いている、パタゴニア鎌倉ストアでのWS、 毎回有り難い事に、すぐに予約の枠がいっぱいになってしまうので、今回より3席増やして頂きました。

自分の身体と向き合ったり、アプローチしていくときに、何所に何があるのかわかっていることで、自分のコンディションをより正しく把握できたり、自分からのメッセージ(もっと緩んでいいんだよ、とか、もう少し締まっていこうか、とか)が伝わりやすくなります。

「運動ホムンクルス 」ってご存知ですか?
↓この図に表されるものなのですけど。



「ホムンクルス」は、ラテン語で「小人」という意味らしいですが、人間の脳の中の 大脳皮質運動野の相当領域の面積に対応する形で人体が描かれています
こびとかんに載っていそう...

例えば、手や唇が占める脳の割合はかなり大きく、反対に体幹や脚などはとても貧弱です。(厳密には足の指先や性器などももっと大きくなっている筈です。個人差もありますね。)
 手や舌は砂粒一個の存在でも感じる事が出来るのに、足の裏や肩に砂粒がひとつついていてもわからないですよね

体幹や脚などは、日頃無意識に使っている場所なので、意識が薄く、気がついたら痛くなってたとか怪我をしていた、いう事も多いのではないでしょうか。
腸腰筋は、骨盤を支えるのに常に働いています。
大腰筋と腸骨筋を合わせて腸腰筋と言いますが、大腿骨から、胸椎の12番、腰椎の1番から5番、そして骨盤自体(腸骨)に繋がる多関節筋で、骨盤をたすきがけのようにして支え、呼吸とも大きく関わっています。また、ハムストリングスの拮抗筋として、パワフルな役割を果たしている筋でもあります。  

そんなこんなで、 このWSでは、深いところにあるこのこの筋を目覚めさせ、日常の動きの中でもより意識的に使って行けるようアプローチしていきます。
お申し込み、お問い合わせは、Patagonia鎌倉ストアまでお願い致します。
  

2013年5月14日火曜日

Freedom Sunset 10th Anniversary

11日の予定が、雨のため12日に順延になりましたが、お陰さまでとてもいいお天気の中開催することができました。

毎年関わらせて頂いているFreedom Sunset は、毎年5月、8月、9月に開催されて今年で10周年目を迎えた音楽イベントです。
10年前、江ノ島の雰囲気は今のようではなく、特にわざわざ行きたいような場所でもありませんでした。それが、このイベントを機に徐々に変わって来て、他にも様々なイベントが開催され、場所も整備され、お洒落なお店も増えて、今では本当に連日観光客が絶えないハレの場に変わりました。

江ノ島はもともと神様の島なので、昔は一般の人は立ち入る事を許されておらず、神聖な場所でした。今ももちろん島全体にはさまざまな規制があります。
江ノ島の頂上にあたるこのサミュエルコッキング苑内の展望台下広場を使用させて頂く際には、本来は当たり前の事ですが、 きちんとマナーを守る事が大前提になります。
遊びにいらっしゃる方は「楽しむぞ!」って感じで来て下さるのですが、開放的な雰囲気でちょっと羽目を外して飲み過ぎてしまったり、なんてこともよくあります。
10年も継続して開催していくには、本当に様々なご苦労がおありなのにも関わらず、大勢の人に楽しい場を提供し続けて下さっている、オーガナイザーのシバさん、奥様、スタッフの皆さん、出店者の方々、ボランティアの学生さん達、出演アーティストの皆様、江ノ島電鉄さん、協力的な参加者の皆さんなど多くの方々のお陰で、毎回私も心底楽しい時間を過ごさせて頂いています。
皆さんの雰囲気がとてもあったかくて、そして細部にわたってプロフェッショナルなのです。
クラスによく通ってくれていた、あいちゃん。
ベビちゃんがお腹にいるときもずっと、そして生まれる一週間前まで一緒にヨガしていたので、慣れない雰囲気だったでしょうにも関わらず、終始とってもいい子♪

写真を全然撮れなかったのですが、DJをしてくれたのも、普段クラスに来てくれているポール。当日は母の日で、皆さんご家族との時間も大切にされている中、本当にありがとうございました。
ヨガは、日程が変わってしまった事もあって、例年より人数が少なかったですが、皆で楽しく遊ばせて頂きました。
殆どはヨガが目的で集まっている方々ではないので、 誰でも普段着で出来る堅苦しくなく、この場にふさわしい気持ちよさを第一にやっています。
「ヨガ、イイネ!」と思って下さるきっかけになれれば幸いです。
今回も自分で書くのも難ですが、本当に楽しかったです!!
土曜日、日程を空けて下さっていた方々、メッセージなど下さっていた皆様、ありがとうございました。また次の機会に是非ご一緒しましょう!

Liveがすごくよくて、CDを買いました。Loop Pool。
ヨガも一緒に参加してくれました。
もうね〜、気持ちよくて、音が。とりあえず海岸線(R134)をドライブしながら聴きましたが、車から降りたくなかった(笑)ヨガにも合いそうです。
今回はかなりの豪華メンバーで、音もずっとFreedom Sunsetな感じで気持ちよかったです。音楽やダンスに関する変な規制が取沙汰されていますが、音楽やダンスが悪いんじゃない。本気で好きな人はわかってる。
人間の最も古い文化のひとつでしょう、動物だって求愛のダンスを踊るのに。

だから、法律が暴走しないで欲しいなと思いますね。
 毎回オリジナルTシャツを作ってくれている、Rough Graphicsのこうちゃん&みかちゃん夫妻。今回はスタッフTも含めてめちゃめちゃいい感じのものばかり。
好きなベースと、版を選んで、その場で生刷りしてくれます♪
大繁盛でしたよ。次回も同じ記念Tシャツ買えるかな。
ちなみにこのTシャツを着て来ると、入場料が半額になります!

トリは、井上薫氏×辻コースケ氏。

先着100名様で、「10周年おめでとう!」の合い言葉を言ってくれた方にプレゼントされていた記念CDのクオリティの高い事!
井上薫氏のMIXです。
素敵な夕陽に照らされました。
江ノ島の弁天様ありがとうございます。
音楽の神様だから、毎回祝福して下さっていますよね。
また今後もずっと開催できるよう、宜しくお願いします。





2013年5月7日火曜日

Tibetan Traditional Dance: Cham@護国寺 Tibet Festival

5/1〜5/6まで東京の護国寺で開催されていたチベットフェスティバル。
私は期間中二度も足を運んでしまいました。
ここは2年前の震災後、ダライラマ法王が特別に一般向けに法要をするためにお忙しいスケジュールの中立ち寄って下さった事があるお寺で、以前からチベット関連のイベントを主催されている素晴らしい場所です。

今回は、チベットの僧侶による伝統仮面舞踏チャム が観られるというので、とても楽しみにしていました。チャムは日本の雅楽にも受け継がれる伝統の舞と演奏で、祭事などにお寺で皆の健康や幸せを祈って奉納演舞されるものです。

鎌倉は風が強くて少し寒かったのですけど、都内は天気もよく暑いくらいなんて思っていた快晴の空から、私が護国寺に着いた途端ぱらぱらとお天気雨。
なんという歓迎なのだろうと、しばらく本堂の砂曼荼羅や、チベットの衣装や仏具などを販売しているショップを観覧した後、チャムの会場に行くと突如激しい土砂降りになりました。
空は明るく、太陽も見えているのにです。
頭の上には龍のお腹を思わせるような雲がとぐろを巻いて広がっていましたが、本当に雨粒が痛いくらいの強い雨の中、背後で梵鐘が鳴り続け、直感でこれは浄化の雨でステージの前には止むものだと確信していたら不思議と全然濡れませんでした。
案の定すぐに雨も止み、光が差し、虹の空気が漂いはじめました。
(なんとなくなのですが、近くで虹が出ているとき、それがわかります。ぱっと空気が晴れやかになって虹の匂いがするのです。)
後ろを見ると大きな虹が。
そして向いのビルに夕陽が映り、辺りを金色に染めていました。

仏教ではこれは大変におめでたい吉兆のサインなのだそうです。
たくさんの僧侶の方々や、普段から祈りや善行を行っている人達が大勢集まっているのだから、当然だろうと思いました。いろんな人が訪れたイベント最終日に皆さんの想いが場を大浄化させ、空気を一掃したのでしょう。
誰もが事の成り行きをわかっているようでした。
それにしても皆さんの波動が素晴らしく高いな〜と感じながら、この場に居られた事をありがたく思いました。

本堂の中で観た絵画なのですが、仏画でもタンカでもなくとても印象的です。
教えて貰ったところに依ると、原田 直次郎作の「騎龍観音」だそうです。

画:原田 直次郎 明治23(1890) 年
油彩・キャンバス 272×181cm
護國寺蔵(東京国立近代美術館寄託)
重文指定年月日:平成19(2007)年6月8日
 http://ryuss.cocona.jp/ryu-iware/kiryukannon.htm
まさに頭上の空ではこの絵のような降臨があったような気がして、
何故この絵がどういう経緯でここに来る事になったのか知りたいなと思いました。


チャムの演目は、
1、Phep-Su 歓迎の音楽 ダライラマ法王やパンチェンラマに捧げられる音楽。
2、Dur Dak 墓場の主 骸骨達の踊り「生」と「死」を現わす舞、「無情」を表現。
3、Cham Na Chupsum 13のチャム 一年を表す13の月の舞だと思います。
4、Sha-Ma 牡鹿と水牛 邪悪な力を調伏する閻魔の部下の舞。
5、Kangso チベットの守護天女吉祥天女(ヒンドゥではラクシュミ)への祈りです。
6、Bag-Gyed 8人の男勇者の舞 生きとし生けるものへの慈愛を表現しているそう。
7、Shanak 黒帽の舞 毎年大晦日に演じられるチベットで最もポピュラーな舞だそうです。チベット仏教が迫害されようとしていた歴史からそれを守った伝説に基づいた、悪や見えない障害を調伏する舞だそうです。

 夕闇が訪れると同時に、プロジェクションマッピングで、デジタル掛け軸と称し、辺りに曼荼羅のような光が映し出されました。
幻想的で荘厳で、チャムは大陸のおおらかさとダイナミックさがとても現れていて素晴らしかったです。滅多に観られるものではないので、大変貴重でありがたかったです。
大きなホルンのような楽器の音が心地良くて、まだ耳に残っています。
何度でも観たいチャム。
日本との繋がりにも想いを馳せ、またくるくる回りながら舞う様子がスーフィー(イスラム神秘主義)の 回旋舞踏セマーをも思い起こさせました。
チベットは太古の昔から「智慧の流れ出ずる国」とも呼ばれ、早くから高度な文化が確立され、近隣諸国に与えた影響も大きいはず。精神性も含めて様々なルーツがここにあるのだと思いました。

舞を舞う方、楽器を演奏される方等、総勢何名かわかりませんが、これだけの大人数で来日され、数々の大きな楽器に仮面を含めた装束などを運ぶのも大掛かりで大変なご苦労があったと想像します。本当に貴重な体験をさせて頂きました。

演目の最後は、
祝福と廻向の祈り Shijoeで締めくくられました。


何故、このように善意と智慧に溢れたチベットの方々が祖国を追われ、現在も亡命政府として国際的にもきちんとした一国としての扱いを受けられずに、苦労の多い日々を送らなければいけないのか本当に理解出来ません。
文化や言語、先祖代々受け継がれて来た暮らし方の智慧など、その場でないと続いていけないようなものも多くあるでしょう。
今でも雪山を命がけで越え、インド側に亡命しようと試みる方達が後を断ちません。
中国に支配された土地では言語や文化、土地、少ない財産まで奪われ、また時には命さえ安全ではありません。
せめて子供だけでも、とヒマラヤの深い雪の中をろくな装備もなしに命がけでもう一生会えない覚悟で子供をダライラマ法王がお住まいになられているインド側のダラムサラへ行かせるのです。

心から世界が平和でありますように。
生きとし生けるものがありのまま自由で幸せでいられますように。
この場にいられて本当に良かったです。
忘れられない一日となりました。
ありがとうございました。

2013年5月3日金曜日

Go as the flow, instead of going with the flow

ヨガのクラスの後、自分が普段の考えから少し解放されている時、ふっと感じる事を私はとてもありがたいと思います。

長い間、「Go with the flow(流れとともに行きなさい)」という標語のようなものが私の中にありました。そう教えてくれた先生がいたからです。
最初は「ああ、なんてそのとおりなんだ」と感銘を受けました。
自分の執着を手放したり、妙な頑張りをやめたり。
「委ねる」ということもよく言われました。
呼吸に委ねたり、自分のリズムや周りの状況に自分を委ねたり。
頑張れば頑張る程よい、と思っていた(のかそう教えられていたのかわかりませんが)自分には、なるほどなと思う事ばかりでした。


だけど、先生が居て、そのクラスの中に居る時はとても心地よかったのですが、一人で練習する時、自分が日常の中で様々な事の舵取りをするとき、「『流れ』ってなんだろう...
世の中の風潮?神ってこと?宇宙の力?本来の自分?
私は一体何と共に行けばいいんだろう...共に行かなければいけないのか...何に何をどこまで委ねるべきなのか...」などと よくわからなくなってしまいました。
「流れとともに行く」ってとても心地の良い言葉なのだけれど、私はご存知のように、どちらかというと理系なのです(笑)
何故そうなのか、それは何を意味しているのか、その結果どうなるのか、そういうことをきちんと理解しないで納得した感じにはなれない。
また、流れに身を任せてという姿勢が、受け身的で、日和見的な、責任の発生しないふわふわした生き方だなとも思っている自分も居て。
だから、自分ではあまりその言葉を使ったりすることもしませんでした。




そして、 ある時、ヨガクラスを終えて、生徒さんや周りの人と何気ない、でも心のこもった話をした後、一人になったとき、はっと思いました。

「Go as the flow(流れそのものとして行く)」ということを。
withとasの小さな違いですが、例えばこう。

流れの真ん中に岩があったりすると、あの岩邪魔だななどと思って、なんとか取り除いたり粉砕しようと試みるものですが、自分が流れを行く船でなく、流れそのものの水であるならば、そこで行く手を妨げられる事はありません。
岩は段々削られていくか、次第に押し流されていくものです。
水の流れはいつしか大海に繋がり大きな一つとなっていきます。

「これはいい流れなのか?悪い流れなのか?」などと考える事も、今までなんか違うなと思っていたのですが、自分が流れそのものなのだから、いいも悪いもありません。
その流れは地中奥深くから涌出て、命を育み、様々なものと接し関わり、でも水は水として淡々と時には勢い良く流れる感じ。

長年引っかかっていたことが、これでようやくすっきりしました。
先生にもそのヨガの流派にも感謝、だけど、気がついてしまった。
流れにと共に行こうとする何かで居る限り、海には辿り着けないかもしれなく、また海に辿り着いた後に行く場所もないということ。流れに依存するような姿勢になりかねないという事。結果の善し悪しも生じてしまう事。
水であるなら空にも地下にも行く事が出来るのに。そしてどうあろうと自由です。
たぶんだからその師匠は行き詰まってしまったのかななんて考えます。

自分が情熱を持って学び、恩恵を受けた教えから離れるのは容易でありません。
頭の中の事ですが、本当に大きな影響力があるものですね。
だから、簡単に聞き心地の良い言葉や、何処かで聞いた何かを熟考せず人に伝えるのは出来ないなと思うのです。