2013年1月25日金曜日

春への準備

寒さ厳しい折、みなさまお元気に過ごしていらっしゃいますか?
クラスでお会いする方もしばらくお顔を拝見していない方も、私の方はいつも元気を飛ばしていますよ、どうぞ 受け取って下さい(笑)

私は今この土用の期間、小麦粉断ちをしています。
私にとっては新たな食餌のルールです。
とはいっても、なんでも真剣になり過ぎる事が嫌いなので、「試しにやっています」程度です。ご存知でしょうけれど。

土用は言わずもがな、季節と季節の変わり目。
ですので、体調を崩しやすい時期でもありますね。
まったくそんな影響もなく、いつも一定に元気な人も、季節に合ったライフスタイルや日常の選択肢を徐々に移行させて行く期間と捉えると良いかもしれません。

冬の期間はエネルギーを蓄えておく期間、春にはそれを動かし始め、晩秋の収穫時まで何かを想像したり活動に繋げたりしていきます。冬に活動し過ぎると、決まって夏バテをおこしていた若い頃。今は体重の増減もある程度受け入れて、休息を十分摂るように心がけています。ヨガの練習もほどほどです。

小麦粉を断っているのは、むくみや排出能力の低下を改善するため。
生成された小麦はやはり雑穀や玄米に比べると蓄えられた生命力そのものが弱いので、春に向かってのこの期間、避けた方がいいような気がするのです。
理屈ではないけれど本能的なものです。
小麦粉製品は気にしていると至る所に溢れていますね。
パンや菓子、パスタなどはもちろん、うどんや中華麺、揚げ物の衣、シリアル、醤油や味噌に使われているものも多いですね。蕎麦だと思ったら小麦粉が入っていたりとか。
和菓子にも小麦粉は結構使われているのですね。
普段何気に食べている物を意識的に何から作られているのかを分類してみるといろいろ発見があります。
食欲で食べる物を決めてしまうのではなく、何を(どんな素材と栄養素)を摂るのが今ベストなのかと考えるゲームみたいなものかな。
加えて、最近江ノ島クラスでお伝えしている吐く事にフォーカスした呼吸法に合わせて、
なるべくたくさん歩くようにもしています。
気がつくのは時間に追われているなということ。
本当は全然追われてなんかいないのに。
一瞬一瞬本当は足りない物なんか一つもなくて、完璧で豊か、そういうことを体感しながら歩いています。

花粉症やインフルエンザ、腰痛、メンタル的なちぐはぐ感、倦怠感、惰眠、など春の諸症状は、土用の時期の過ごし方で随分改善出来ると思いますよ。
身体を冷やさない事は大事ですが、そろそろ薄着に切り替えたいですね。
身体が寒さに慣れて来た頃なので、代謝を上げるためにも着るものを一枚少なく。


それでもやはりどうしようもなく眠い、ですけれど。

2013年1月19日土曜日

土用のNatural High

土用は季節と季節の間の変わり目の期間のこと。
今はちょうど冬土用で、このあと節分、立春、いよいよ春到来!です。

一年で一番寒い時期に春とか言われても、って昔は思っていましたが、暦生活にしてからは自分のリズムが暦とぴったり合って来ました。

なんとなく身体がもうすでに春に向かっているので、着るもの食べるもの欲する物が変わって来ました。薄着に切り替えてよく動いて、冬の間私を温めてくれていた皮下脂肪を徐々にエネルギーとして使ってしまいたい(笑)
体温維持の為に、今の時期が一番基礎代謝が上がりやすいですし。
最近ローフードばかり欲しています。
身体を冷やすようなイメージがあると思いますが、今日も朝のクラスでは小汗をかくくらいでした。行くまでの自転車も気持ち良く寒くもなくとても快適。

 プラーナヤーマは、冬が一番気持ちよく、その効果を感じやすいものだと常々思っているのですが、クラス後の写真でそれが少しは伝わるでしょうか?
また今週の木曜のクラス、土曜のクラス等でお伝えしたいと思います。

世界の何もかもが美しく感じ、自分自身を取り戻す時間。
細胞が覚えている事を、何か深いところで脳がもう一度思い出し、また全身に伝えていくような、繋がるための時間。地面に居るのに空にも吸い込まれていくような広がり。

大事な事を思い出しました。
これは執着ではない、と私が言っていました。
私の言う事なら。
OM Shanti



2013年1月16日水曜日

出て行く夢、入って来る夢

ずいぶん遅い話題ですけれど、みなさんの初夢はどんなものでしたでしょうか?

私は、病院、眺めの良い広い窓、売店、エスニック細工でコバルトブルーのかばんの留め具、青空、穏やかな心境、というような断片的印象が残っています。
夢診断とかいろいろあるみたいですけれど、私は夢を分析することにはあまり興味がなくて、どちらかというとそれが出て行く夢か、入って来る夢なのかだけを気にしています。

夢は通常の脳の状態で観るわけではないですから、夢の中のストーリーは奇想天外な事も多く起こります。
深い睡眠のとき、漠然としたしばしば感情的でナンセンスな夢を見、すぐに忘れてしまいます。その時の脳はあまり活動的ではありませんが、記憶を蓄える為に静かに情報処理を行っているそうです。
一方浅い睡眠と言われるレム睡眠中にはとても活動的になり、鮮明で強烈な物語生のある仮想現実としての夢を見ます。
感覚を処理する脳部位は、レム睡眠中に非常に活性化するのですが、経験を注意深く分析する領域(前頭葉)は実質的に活動停止状態なので、夢の中でありえない出来事が起きても、気にせず受け入れてしまうのだそうです。

ということは、深い睡眠中に見る夢は、感情のデトックスと言えるかもしれません。
起きている間に経験し、しまわれた感情的な事が解放されているということ。
良い感情は表現しやすいですが、マイナス感情となると、上手く表に出さず閉じ込めてしまうことが多いですから、夢で解放しているのですね。
人間は自然により良い方向へ進むように出来ており、例えば押し入れの奥にしまってあった不要品や見たくない物も、いつかは処分する為に一度は自分の手で取り出して目の前を通過させなければ捨てる事が出来ません。
だから悪夢のようなことは、癒されるべき感情が自然に処理されるためのプロセスなのだと捉えた方がいいでしょう。
心に溜まった不安や悩みを大掃除する過程で、自然と脳裏を通り過ぎて行くものです。
これが出て行く夢。

レム睡眠中は、理性を司る前頭葉が活動していない状態ですから、起床時の、「過去の記憶を元に一連の行動を決定する」というシステムが作動していません。
ちなみに深い瞑想状態にあるときや、意識が変容状態にあるときにも活動の低下がみられるそうです。 (逆に瞑想に入る時、ダーラナ「集中」を目的とした瞑想のときは活性化するとのデータがあります)
理性的なストッパーが働いていない状態なので、自分の発想のままにストーリーが進んで行きます。 思ったらすぐに(夢の中での)現実となって現れるのです。
ですからそこで見る夢では自由に空を飛べたり、突然場所を瞬間移動したり、日常では関わっていない登場人物が現れたり、色や音や空間イメージが鮮やかで、いわゆる「夢のよう」な世界が広がっています。
楽しい夢もそうでない夢もあると思いますが、これが入って来る夢。
そこからインスピレーションを得る事が出来ます。

ヨガでもそうですが、過去の記憶や身につけている倫理観、自己および他者への判断などが、私達の自然な可能性の妨げになっていることは多く、それを取り除いて行く事で、本来の宇宙的な自然に良い方向に進んで行く流れに乗りやすくなります。

 大雪が降る前日、こんな雲が空一面に広がっていました。
その前日は富士山の上の笠雲、これは雨や雪の前兆だとされています。

現実に起こる事は、すべて自分の内面が創り出している事。
だから、何が起こるか、予兆は自分の中に現れて当然です。
自分の心の予兆というか、思考や発想の方向性がわかるというか。

「雪」の語源はいろいろあるそうですが、
 1. 潔斎の意、斎潔(ゆきよし) ユは斎、キはキヨキ(潔白)の意[大言海] 
※斎...神聖な、清浄な、忌み清めた、などの意味を現わす
2. ユキヨ(斎清)の義[名言通・和栞葉]
3. やすくきえるところから
4. 空寒く凍てて凝り雪となることから[名語記]
5. ユルヤカヒ(緩氷)の義
6. ユラユラと来て清いものであるところから[本朝辞源]
7. ヒユケ(冷気)の義[言元梯] (日本国語大辞典より)


真っ白に覆われた非日常的な世界、普段目に触れる不浄な物が覆い隠され、また生き物でも寒さを乗り越える強さのないものは積もった雪で淘汰されていきます。

夢も自分の意識を眠りにつくたびにまっさらにしてくれるものなのかもしれません。
また、瞑想の経験がない人も同じように起こる心の浄化作用や自分に気付かせてくれる啓示ですね。切り離されたものでなく、上手く現実とリンクさせていきたいですね。

みなさんにいい夢が訪れますように!!

2013年1月12日土曜日

15年振り

北海道から叔母と一つ違いの従姉妹が会いに来てくれました。
実に15年ぶり。

クラスの後、家族皆で食事をして、私はお二人を江ノ島にご案内。
(写真は親娘でまったく同じ番号のおみくじ、しかも大吉を引いて喜ぶ二人)
こういうこと、本当に今までなかったので、私にはものすごく新鮮で胸がいっぱいの一日でした。
北海道は連日の大雪で(今年は例年より一ヶ月以上早いのだとか)、こっちはあったかいね〜とはしゃぐ二人。
江ノ島は今チューリップが満開で、それにも夕陽にに浮かび上がる富士山にも感動してくれました。
 今日、こんなにいいお天気にして下さって本当にありがとうございます、弁天様。
私もやっと初詣が叶いました。

お知らせです。
来週の土曜1月19日9:30〜11:00のクラスを追加しました。
今日も朝のスタジオは陽が射して、まるでサンルームのようで気持ちよかったです。
冬場の適度な日光浴は、脳内でハッピー物質であるセロトニンが生成され、気分を快活にしてくれますね。前後のクラスが無い日なので、ゆっくり出来ると思います。
初めての方も是非ご参加下さい。
http://pranic-yoga.com/

2013年1月11日金曜日

人が「愚れる」時

「グれる」って一体なんの意味なのかとわかっていなかったのですが、「愚れる」だったのですね。愚かになるということ、わざと愚かに振る舞うということ、ですね。

 私には思春期真っ盛りの息子がいますが、彼はあまり愚れない、というか愚れ方がそれほど派手でなくわかりにくい、という最近の子の特徴そのままのような気がします。
本人も愚れたくないみたいですね。

人が愚れてしまうのは、よかれと思って、もしくは思いやりや愛情を持って(本当はやりたくないけれど)頑張ったり気を遣ったのに、それがまったく理解されなかった、無駄になってしまった、時に限られています。
「善」とか「愛」を持って賢い提案なり行動なりをしたのにも関わらず 通じなかったショックって思いのほか大きいのですね。
それは、人の本質が「愛」とか「善」であるということを現わしているのだと思います。
自分の本質を理解して貰えなかったというショックなのかもしれませんね。

(結果を期待せず、本当にいい意味での「どうでもいい」「どうなってもいい、ただ私がそうありたいから善や愛を示す」という 純粋な聖人レベルになれれば傷つきもせず、愚れることもないのでしょう)

その反動で(賢さでだめならと)愚れる。
要するに、愚れているうちはまだ関わっていたいのです。
関わり方を模索中といったところでしょうか。
そしてもちろん賢さの中で関係を築ければベストなのですが。
だから「愚」そのものを受け入れてはだめです。
「愚」はコミュニケーションのサインであって、愚れる方もそれをわかって本当に程度の低い愚かな事はしてはいけません。 「愚」は時に「甘え」とか「過剰な自尊心」とか「皮肉やジョーク」という形でも表現されるのでご注意を(笑)

先日今年のアカデミー賞にも何部門かノミネートされている レミゼラブル(http://www.lesmiserables-movie.jp/)を観て来ましたが、その時も同じ事を思いました。
作品そのもののテーマが「この世に絶対的な悪はない」「人の本質は善である」という一点を貫いていますからね。
原題のLes Miserablesは、だからこそそれが時代や人のカルマに翻弄されて上手く反映されず「悲しい」ということを強調し、それでも本質を曇らせず貫いて生に繋げていくのだというところが普遍的で、世界中で共感を呼ぶのでしょうね。

愚れそうなときには選択を変えて、是非ヨガを(笑)
私もそうして日々愚かなところに自分を落とし込まないようにしています。
ナマステ

2013年1月9日水曜日

執着、依存って

ちょうど思っていた事です。
昨日の投稿で、新年クラスに行った自分をとりまく人や物事の中心に据える言葉は、
私の場合「愛」じゃなくて「心」でした。

 「 執着のあるところに愛はなく、依存があるところには恐怖がある。」

Krishnamurti 

 私たちはどちらも本能的にどんなにそれが愛を装っていたとしても居心地の悪さを感じられる能力がある。
だから心の声に正直に。


クリシュナムルティは、誰よりも深く鋭い視点で知覚しながらも、いかなる宗教にもその教義にも神にも信条にも、自分の教えにも組織にも一切執着せず、形を疑い続けたインド人思想家です。

「真理はそこへ至る道のない土地である(Truth is pathless land)」という言葉には、いろんな場面で深く納得させられ、いつも自分を真ん中に戻してくれる気がします。

2013年1月8日火曜日

新年最初のクラス、江ノ島、鎌倉ともにスタートしました。

クラス初めに使用したA4の紙です(汚くてごめんなさい)
毎年お題に沿って、今の自分の事を書いて貰うのは新年や、何かの節目の恒例行事なのですが、今回は「私は...」と主語をつけてすべての項目10個ずつ記入してもらいました。

4つに区切った折り目の縦の線は中心軸、呼吸を最初に通すところです。
横の線は上半身と下半身を分ける中心線。
で、ヨガ(に限らないですが)の身体の使い方になぞらえて、どうエネルギーを使っていくか、の練習をしました。
最初は何かを正しく書かないといけないのかなって頭がちょっと働くのか、ちょっと戸惑った感じもありましたが、結局「いつもやってることとつながるんじゃん(笑)」とわかってからは、どのクラスも皆さん 真剣に楽しんで下さいました。
また、ヨガのクラスを進めて行くと頭で考える言葉より、もっと心からの言葉が浮かんできます。
自分をとりまいてくれているいろんな人や物事の中心にどんな言葉(や記号など象徴的なシンボル)を据えるかも、そんな風にやっていくとすっと浮かんできます。
私は頭で考えたのは「愛」でしたけれど、クラスを進めて行く中でふっと浮かんだのは「心」でした。

インスピレーションが年間通しての指針になりますように。


お正月休みの終わりに、ちょっと県北の山まで行って来ました。
すごく寒い日で、たぶん気温も0℃以下だったと思うのですが、モコモコにダウンジャケットを着ていても、自分にどうエネルギーを流して使うのかという、いつもやっていることをやってみたら、特別大きく動いたりストレッチしたわけではないですが、活力が湧いてくるのがはっきり感じられて、どんな年齢でも、怪我や疾患があったとしても、体力や筋力や柔軟性がなくても、これなら大丈夫、こういうことをこれからも変わらずぶれずにしっかりお伝えしていこうと思いました。

自分の母親の身体的機能や頭の中が大きく変わってしまったことでも、いろいろ感じる事があり、年配の方に対する思いも以前よりもっと深くなりました。
年明けのクラスには中学生の方や、私の母親より年配の方もいらして下さり、同じ時間と場を共有させて頂きました。
江ノ島クラスでも大好きなみなさんと時間を過ごせて私の方がすべてのクラスで感動させて頂きました。来て下さる皆さん同士がそれぞれ仲良く和気愛愛とした雰囲気なのもとても有り難いです。

私はやっぱりクラスをさせて頂いている時間が一番です♡


生徒さまから頂いた葛湯。
人生初葛湯でした(笑)
いくつになっても「初めて」ってあるな〜と思った2013年明けです。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

2013年1月3日木曜日

Bhakti~バクティ

あけましておめでとうございます。
2013年、0123が順不同で並ぶおもしろい1年になりそうですね。
私の年越しは、バクティヨガ(のはずでした、笑)
船堀にあるISKCONに行って、在日のインド人達に混ざり「Hare Krishna」のマントラを歌い続けるのも良いかなと思って。
ヨガは身体のことだけではありません。
自分の事だけではありません。
節制することでもコントロールすることでもありません。
じゃあ何?というところが人それぞれの路なのでしょう。

「ハタヨガラージャヨガの8つの段階の3番目のアサナのパートです
1、ヤマ 他の人や物に対して守るべき行動パターン5つ
(暴力を振るわない・盗まない・正直になる・性的欲求に溺れない・物質欲にとらわれない)
2、ニヤマ 自分に対して守るべき行動パターン5つ
(清潔を保つ・必要以上贅沢をしない・自分を鍛練する・精神向上に努める・献身的な気持ちを持つ)

3、アサナ ヨガのポーズを練習すること。瞑想するための身体を整えること。
4、プラーナヤーマ 呼吸を意識的に行うこと。
5、プラティアハーラ 感覚に振り回されず、繊細な感覚を持ちながらもそれを自分の感情や思考と切り離して捉えること。
6、ダーラナ 集中すること。
7、ディヤーナ 静寂を保つこと。
8、サマディ 悟り、万物との一体感
ですから、ポーズの練習はヨガのほんの一部でしかありません。
以外に、
ジニャーナヨガ ヴェーダ(文献)などを勉強すること。
カルマヨガ 奉仕をする。実際に無私無欲で行動する。そして
バクティヨガ 信愛のヨガ、キルタンを歌ったり、マントラを唱えたりすることなどが代表的なヨガの学びへの入り口となっています。
ラージャヨガの段階は私達のチャクラと関係しています。
バクティヨガは、3番目のチャクラ(マニプーラ)を開くアサナの練習のその次の段階、ハート(アナーハタ)や喉(ヴィシュッダ)のチャクラを開きます。」
〜以前のブログ:yogatabiji.comより抜粋〜

実質的な事から、より精神的なところへ向かうステップというか、私の中では、アサナから瞑想にスムースに移行する過程の通り道、といった解釈です。

Bhakti yoga (भक्ति योग) is a spiritual path described in Hindu philosophy which is supposed to be for fostering love, utter faith and surrender to God .It is a means to realize God,and is the easiest way for the common person because it doesn't involve extensive yogic practices.
バクティヨガはヒンドゥ教 の哲学において示された、スピリチュアルな探求の過程であり、それは「愛」を助成し促進し育んでいくものである。信愛を声に出し、神に捧げることは、神の 存在を意識するのに、誰にとってもとても易しい方法であり、多岐に渡るヨガの修練を必要とせずとも行う事が出来る。
(Wikipediaより)
在日のインド人の皆さんにとって、きっとここは心の拠り所なのでしょう。
濃 厚なお香の香りと全体的にまったりとした異国で迎える新年、といった感じの哀愁漂う中、「Govinda」も「Krishna」の言葉もすっかりプラーナ として私の血の中に混ざって来たなと感じていた頃、場の照明が消されカウントダウンが始まり皆が新年の瞑想をしているまっただ中に、私はなんと一本の電話 で自分の現実に引き戻される羽目になりました。
息子です(笑)
そう、私にとって一番愛のあるところに意識を向けさせてくれたのでしょう。
彼はちょっとだけ大人になりつつあるのか「愛」についてお勉強中(笑)

その後は日本の神社で初詣をしてきました。
世界観の違いにクラクラしつつも、やっぱり馴染みが深いので気持ちが落ち着きました。
日本もインドも神様が本当に身近で親しみやすく、キャラクターも豊富ですよね。
神様や愛を意識するって、本当は日常的な事のはずなのに、なんとなく皆に警戒心があるのが日本の社会なのかなって思います。皆本当は好きなのにね。
そして好きなものは好きって堂々と表現してしまった方が健全で気持ちがいいと思います。

YOGAYOMUの34号はバクティヨガ特集です。私も文章を寄せさせて頂いていますので、もし馴染みのヨガスタジオなので見かけたらお手に取ってみて下さい。

では、本年もどうぞ宜しくお願い致します。
皆様のご指導ご鞭撻、有り難く頂戴致します。
今年もより多くの方とご縁を頂きそれを活かしていけるよう努めたいと思います。
皆様のご多幸をお祈りします。
良い1年になりますように。