2013年12月14日土曜日

「守る」こと、「癒す」こと 〜 関係の法則

"We get to share that joy and protect each other when it's rough"
僕たちは、大変な時や苦しい時には、喜びやお互いを守るということをシェアするんだ。


これは、Global Glue Projectでの、M.C YogiとAmandaからのメッセージ。
http://www.kickstarter.com/projects/globalglueproject/52-glue-films
カップルがずっと一緒にいるための秘訣(Glue=接着剤)を集めたショートフィルムです。
今朝、この言葉を目にし、ちょっとびっくりしました。
それはちょうど前の晩に私が思っていて、ブログに書こうか(でも眠いから明日にしようか)と考えていたのとまったく同じ事だったからです。

日本語で思っていた私の言葉は、
”関係っていうのは、癒す事と守る事をお互いがしあうこと” です。
「癒す」というのは、優しく包み込むというイメージではなくて、「ブレークスルー」、何かその人が引っかかっているようなことを壊し(Break)、乗り越え、通り抜けられる(Through)ようにすることもそうだと思うのです。
相手が先に進めるようにサポートするとか、応援するとか、たとえ意図していなくても、そういう事が自然に起こるようなエネルギーの作用の仕方、と考えていました。
「癒す」以外で良い言葉は他にあるかな... ( ーー)。o ◯ 眠いから明日考えよう.....
と思っていたら、朝起きて出ていた答えが"Joy”でした。
なるほどー!! 喜びね。

"Protect”はそのまま「守る 」ですね。
相手がそこにいる事を受け入れること、今居るその場所に留まる事を受け入れる事、でしょうか。
相手を自分のところに引き寄せて、「ここに居なさい」と留まらせる事とは違います。
(こういうのに憧れる女子も多ければ、こういうのを女子が求めていると勘違いしている男子も多いんでしょう? それは後々トラブルを招きます。)

男女だと、男性が守り、女性が癒す(喜びを与える)という感覚が一般的ですね。
でもいつもそうだと、いつしかそれが役割になって苦しくなってしまう。
もしくは、守ってくれない、癒してくれない(喜ばせてくれない)で不満が溜まる。

だけど、このヨガで深く繋がったカップルの場合、お互いにそれをするんだ、というところが素晴らしく本質的だと思います。

お二人にはお会いした事があります。
心から愛し合っているのがどの瞬間からも感じ取れました。
そして、その時には癒す側と守る側がわかりやすいなと思って見ていました。
だけど、そうではなかったんですね。
「お互いに」、「シェア」している。

いつもいつも同じ役割では、依存が生まれます。
自分は守らなくていい、癒さなくていい、だからいつの間にかそれが出来なくなる。

人間は、たとえどんなに愛し合っている近しい間柄の信頼している相手がいても、まずは「癒す事(喜びを与える事)」と「守る事」を自分でしないといけないのです。

自分が自分を癒し、守る事で前に進んだり、今の場所に留まったりの選択を日々行っています。そして「今」から「未来」へ進んでいきます。
癒されない、守られないという意識は、人を過去に縛り付けてしまうものです。

これは、男女のパートナーシップに限らず、どんな関係性に於いても当てはまる事ではないでしょうか。
親子、雇用関係、仕事のパートナーシップ、生徒と先生、医者と患者、ペットと飼い主、
友人関係、神様と自分....等等。

最近は男の子同士でも結構くっついているのですね。
電車の中で部活帰りの学生の集団を見ていると、守り役、癒し役、みたいな関係性が見えてきて結構面白いです。
女子は本当にはっきりしています。
癒し役は弱さを前面に出し、守り役は強さを前面に出し、お互いそれを暗黙の了解で演じている感じ。
私はヨガクラスではどちらもやるので、どちらもやろうと思えば上手に出来ます。
だけどプライベートではどちらもやりません。
誰が相手でもやらないように気をつけています。
どんな関係も、それを「お互いに」「シェア」するのが理想で希望だからです。
大変な時、苦しい時、人生に与えられた課題を乗り越えるのに、役割なんてしていたらそこから抜け出せなくなってしまう。

ヨガをやっているとどちらも自分ですることなんだという意識が芽生え、それをすることがだんだん上手になっていきます。
一緒に関係性を作り上げていたパートナーに違和感を感じ障害に思ったり、関係性が変って来た事を受け入れられないパートナーからのエネルギーの引き止めに合うかもしれません。
でもこのGlobal Glue Projectのカップル達は、そういう場面に何度も遭遇し、その度に一緒にいることを最優先にして、関係を育んで来られたのでしょうね。


さて、私は何故こんなことを思っていたのかはよくわかりません。
陰とか陽とかなんかそんなところからかな。
世界は終わりと始まりが繋がっていて、陰の中に陽が含まれ、陽の中に陰が含まれ、
廻り廻って相を成す。
もう少し考えてみようかな。



2013年11月26日火曜日

1day ヨガWSを終えて


先週の土曜、勤労感謝の日を丸一日使って開催した、
鎌倉SUGATAでのイベント、インストラクターもスタッフも総動員での1日、本当にお疲れさまでした。
多くの方にご参加頂き、感謝です。

90分のクラスを4人のインストラクターがリレー形式で繋いで行うリレークラス。
私は当初は司会進行のみの予定でしたが、Miyabi先生、Satori先生、Aki先生の後の締めを。
足から始まり、バンダ、ナウリと続き、背骨、そして呼吸と肩や首を。
打ち合わせ無しでしたがすんなり繋がってまさに職人芸。
生徒さんもうなづいたりしながら熱心に受講されていたのが印象的です。
プロップを使ったクラスは、Yuco先生、Aki先生、Akemi先生、内容は事前に打ち合わせを行い、私が監修させて頂きました。
何故かリレークラス1の内容の復習にもなるような、内容的にリンクしたクラスになりました。

プロップスは、それがあることで身体に気付きを与えたり、無理なく負荷を減らして正しいアラインメントでアサナを行ったり、逆に負荷を加えたり、アサナのポイントが理解出来たり、自分の身体のウィークポイントを守ったり、リラックス感が増したり、様々な使い方があります。
SUGATAはプロップスが充実していますが、スタジオ開設当初から、初心者や幅広い年齢層の方にヨガを安全に教えるのにプロップスの重要性をご理解頂いているからです。
ヨガマットも含め、良いものがきちんと用意されたスタジオは、公民館やカルチャースクールのヨガとは一線を画しています(ということを日頃声を大にして言っています)。
また、インストラクターの知識、経験、スキル、ヨガに対する熱心で誠実な取り組みは 、きちんと専門職と呼べるレベルで、中にはTT(ティーチャーズトレーニング)を教えて来られた先生も全体の半数ほどいらっしゃり、それぞれの勉強熱心さは私もよく知っています。

だから、今回すべての先生の良さをお伝え出来るようなイベントを開催したかったのです。

インストラクターだけではないです。
スタッフのとしちゃんは、何日も前から準備して、当日はShiva Curry Waraさん(http://ameblo.jp/currywara/)のレシピのもと、スパイシーツナマサラ、南瓜のスープ、キャベツのアチャール、そして3色のピタパンを焼いてくれてそれをサンドイッチにして提供してくれました。
更には、ココナッツプリン小豆乗せ、小豆もデーツやイチジク、スパイスなどと一緒にコトコト煮込んでくれた特別な物。さらにはよもぎとカカオのクッキーまで用意してくれました。

 本当に美味しかったです。

企画から準備からすべてにおいてサポートしてくれたスタジオマネージャーのマサのチャイも、5月のみらい祭の時にも増して美味しかった。

物販は、インドで作られたTrishuL(トリシュール)さんのサルエルパンツやライクラスカート。
福岡から送って頂きました。
 https://www.facebook.com/pages/TrishuL-%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB/590418641003816?ref=profile
とても好評で、購入後早速クラスで履いていらっしゃる方も。
ハンドメイドの木版プリントが上品で、布地も透けないしっかりとした作り。
履くとすごく楽チンなのにきちんとして見えるので、普段フェミニンなファッションの方にも、アクティブなスタイルの方にもどなたにもお奨め。

そしてHuggerMuggerさんのプロダクト。
私のチョイスですが、ヨガをするのに良いものばかり。
マット、プロップス、ヨガマットケース等、お陰さまでブログで紹介した卵形ブロックのハードタイプはサンプル品も含め完売しました。
あとはカラーのものが数個あります。
欲しい方は今月末までスタジオで取り扱っていますよ。

ヨガマットも良いものを使って欲しい。
スタジオに来れば無料でお使い頂いていますけれど、ヨガはプライベートな時間にプライベートな場所でもじっくり行って欲しい。
だから今回私頑張りましたよ。
通常委託販売はされていないところを、今回特別にHugger Muggerさんの御厚意によってスタジオでの販売が実現しています。しかも10%OFFとエコバックの特典付き。
普段なら送料もかかってしまうので、これなら購入の良い機会になるかなと思っています。
直接素材を触って試せるし。
Hugger Muggerさんの御厚意に心から感謝です。

それから、TYG発行の2014年版ヨガ手帳。
私が持っているのがそれ。
ヨガのアサナのコツ、解剖学、インドの神様、アサナの名称などなどヨガに役立つ情報が満載。私も自分がどこでどんな内容のクラスを行ったかの覚え書きとして使わせて頂こうと思っています。サンプルがあるので是非お手に取ってご覧下さいね。

リレークラス2は、打ち合わせがあったようで、しっかり身体をうごかしていくフロウのクラス。Akemi先生、Tomoka先生、Stacey先生、Yuco先生。
面白いですね、1と被らず、それぞれの先生の個性も光ってしかも自然な流れでした。
ヨガって面白いなと、改めて思いましたし、スタジオがヨギ&ヨギーニでいっぱいになった光景は素直に感動しました。

最後のクラスは私に取ってはお馴染みMojoさんとのコラボでの陰ヨガでした。
今回はアルケミークリスタルボウルもご持参下さり、音響の良いスタジオの中で、足やお腹からの振動も感じられるとても濃い時間になりました。
(Mojoさんは途中で演奏していて意識が飛んだそうです。笑。私も「あ、Mojoさんが行っちゃった!」と気付く場面があり、面白かった!)
参加された方からの感想も、「すごく良かった、本当に良かった」とあまり言葉にならないような、でも気持ちは充分に伝わってくるようなもので、私としてもとても嬉しかったです。またやりたいな。

ゲスト参加では、マナカードを披露してくれた花郷さん。
私も合間にちょっとだけカードを引かせてもらいましたが、カードって真実を語るんですね。インスピレーションを頂き、また今の自分の状況を的確にお伝え下さり、俄然興味が湧いて来ました。

最後は「Shift of the Age」の上映。
マヤの長老のドキュメンタリーです。
鑑賞中、意識がふわふわしてしまって、これはまたゆっくり観ようと思っています。
 http://sotajapan.org/movie/

多くの方々にご協力頂き開催出来たイベント。
皆様心よりありがとうございました。
「またやりたい」「またやって欲しい」の声をたくさん頂きましたので、是非実現させたいと思います。 その際はまた宜しくお願い致します。
そして、数多くの素晴らしい先生が在籍しているSUGATAのレギュラークラスも併せて宜しくお願い致します。
ナマステ



2013年11月21日木曜日

お母さまをヨガに誘ってみては

母からみかんが送られて来ました。

ご存知の方も多いと思いますが、私の母はちょうど1年程前に過労から脳出血で倒れ、一時は命を落とすか、半身麻痺になるかと言われていたのが、奇跡のように快復し、お陰さまで一人暮らしもそれほど不自由無くこなせるほどになりました。

超高齢者社会と言われる昨今、私もまだ息子が成人するまでまだまだあるし、まだ60歳そこそこの親の介護や老後の心配をすることになるとは全然先だと思っていました。
母が今元気で過ごせているのは、若い頃スポーツをしていたからと、30年近く続けて来たヨガのお陰に他なりません。
ヨガは、エクササイズや有酸素運動とは違って、どこをどう動かしどう使い、それが自分にどのような変化をもたらすかということを意識化しながら行います。
それはむしろ腕や足を動かす事よりも、身体の中をどのように使うのかに重きが置かれます。

ストレスが多いと、それは慢性でも急性でも、人は多かれ少なかれ「解離」という、自分の今の状況から意識を切り離す事をして、ストレスを感じないような防御反応を取るようになります。クラスの中でも、よくそういう場面は見受けられます。
ヨガのアサナをすることは、日常とはまったく違う刺激を与え、身体にストレスをかけているとも言えるからです。たとえ気持ちが良いと感じていても、その刺激に意識をすべて取られてしまうのはよくありません。
知らないうちにどこか一カ所に力を加え過ぎていたり、呼吸が止まっていたり、何か別の考え事を始めてしまったりし、怪我に繋がったり、神経が過敏になってしまったりします。結果、感情だけが先走り、全体がわからなくなってしまいます。

ご高齢者の方の様々な問題を見聞きする度、 これと同じ反応が起こっているのだろうなと考えてしまいます。

適切な誘導によって、一カ所に向き過ぎ、切り替えが出来ず滞ってしまいがちな意識を徐々に全体を捉えられるように広げ、身体の各パーツ、感情、思考、呼吸、それぞれをオーケストラのように指揮して調和するよう自分で導いて行く練習がヨガです。
そこには必ず成果と変化と身体的、精神的に余裕が生まれます。

年齢を重ねると、変化を怖れるようになったり、交友関係や視野をわざわざ狭くしたり、 過去に想いを馳せる時間が長くなったり、また、何かをきっかけに自分の身体を使う事に必要以上の不安を感じる方も多いようです。そしてその殆どはご本人もよくないと思っていらっしゃるけど、どうしようもないと葛藤されている事のようです。

私は、母がヨガをしてくれていたことにどれだけ感謝したかわかりません。
もしかしたら、今ヨガインストラクターを続けられず、母の介護と、もっとまともな安定した収入を得るための別の仕事で毎日終わってしまっていたかもしれないのですから。

だから思います。
今ヨガの恩恵を受けている世代が、自分の親世代をヨガに誘ったら、将来どれだけそのことが自分やご家族を救うことになるかなって。

行政等はなかなかまだ正式には予算が降りず、ヨガ自体も様々なものが乱立しているので理解されにくく、実際民間で、それもボランティアに近い形でしか継続が難しいケースも多いようです。
ホスピタリティや、共感力は資格ではまかなえない部分が多いですけれど、制度自体は今後先の見えない高齢者社会へ向けて、整えていって欲しいなと思います。


 私のクラスには母娘で参加される方も珍しくなくなって来ました。
母が誘うのか、娘が誘うのか。
母と大学生の息子さんという私にとって憧れの親子さんもいらっしゃいます。
どちらにしても「あ、ここは大丈夫」と勝手に思ってしまうのです。

父親を誘うのはかなりハードルが高いかもしれません。
今までにパートナーヨガなどの企画を何度も行いましたが、皆さんパートナーを連れてこられるのも苦戦していました。
だからお母様をヨガに誘ってみては。
私も自分の母親と自然に一緒にヨガをするにはどうすればいいか、それよりなによりもっと会いに行ったり話をしたり聞いたりしなければ、と真剣に思う夜なのでした。

2013年10月12日土曜日

ヒンドゥーの女神達と女性性への理解

ナーヴァラートリー8日目。

おおまかに説明させて頂くと、
ナーヴァというのは9という意味、ラートリーは夜という意味。9つの夜。

5日の新月から、ナヴァーラートリーが始まっています。
女神を讃え、祈りを捧げる祭典です。

ヒンドゥ三大神と言ったら、シヴァ(破壊)、ヴィシュヌ(維持)、ブラフマー(創造)ですが、それぞれ、パールヴァティ、ラクシュミー、サラスヴァティーという妃がいます。
そしてシヴァの奥さんパールヴァティは、その姿をドゥルガー、カーリーと変化させます。
良妻賢母で愛情深いパールヴァティーは、悪と対峙するため、戦士のドゥルガーに姿を変えます。
 パールヴァティー(左)、シヴァ、ガネーシャの神様一家
ドゥルガー


9日間の最初の 3日はドゥルガーを、次の3日はラクシュミーを、最後の3日はさらすヴァティーにと、順番に祈りを捧げていくのがナーヴァラートリーです。
最初ドゥルガーに 祈りを捧げるのは、自分の悪徳、悪癖、心の弱さ、邪念などを浄化するためです。
自分で悪いとわかっているからこそ、普段表に出さないよう隠しているような部分。

それらが消えると、富と豊かさのラクシュミーを讃えます。

ラクシュミー

悪いものがなくなると良いものが入ってくる、ということでしょうか。

最後の3日は智慧と才能の女神サラスヴァティーに祈りを捧げます。

 悪徳がなくなり、豊かさを得る事で、自分本来の才能が輝き出すということでしょうか。

3日づつですが、この悪を常に見張り取り除く役割のドゥルガーには、最初の3日が終わってからもずっと祈りが捧げられます。
きっとそこが一番大事なところなんですね。
 些細な邪さや純粋でないものは、容易に人の心に入って来ます。
ドゥルガーが闘っている悪魔は、その血の一滴からさらに100人もの悪魔を生み出してしまいます。悪い思考がまた次のもっと悪い考えを引き起こし、とめどなく溢れ出して身を滅ぼさんとするかのように。
だから、ドゥルガーは、カーリーという最終形態に変化します。

 カーリー

すべてをなぎ倒す勢いで逆上しまくり、恐ろしいほどの力で悪魔を倒し、その血を一滴も残さないよう飲み干して、勝利のダンスを踊ります。
そのダンスが激し過ぎて、世界が崩壊してしまうと止めに入った最愛の夫シヴァを踏みつけ、やっと我に返り舌をぺろっと出します。
ナヴァラートリーの終わりの方には、ドゥルガーでは太刀打ち出来ない深いところの根強い悪を根こそぎきれいにさらって貰います。
そのため、カーリーにも祈りが捧げられます。
以前はなんてグロテスクなんだと思っていましたが、今は美しいとさえ思う。
不思議です。

私はこのインドの世界観が大好きです。
女性の強さを神格化し、押し止めるでも押さえ付けるでもなくそういうものなんだと祀り上げる。素晴らしい理解だなと思います。
そして、「女性ってこういうものだ」と教えているのでしょう。

従順で素直な女性像 ばかりを良しとするのは、男性の性の意識が関係しているのだと思います。
日本は仏教の影響を受けているので、そういう風潮が(表向きには)強いですね。
仏陀はもちろん男性だから。
女性の魅力をマーラー(悪魔)だと説いています。
誘惑に負けず、己の修行を完成させるのだと。
抗い難いのは自らの心もしくは本能の問題。女性が罪なわけではありません。
でもそう伝えられて来て、そういうすり替わった考えで女性が卑下され支配されて来た歴史があって。

タントラの考え方では、シヴァとパールヴァティは本来一体なのだと、男性性、女性性の合一 こそが悟りへの道であり、完成した姿なのだと教えられています。
また、シヴァの力をリンガと呼ばれる男根で現わし、至る所で祀られています。
それに対するのがヨーニです。リンガ/ヨーニは生命力や完成されたもののシンボルとして、もしくはともすれば非生産的な消耗となってしまう性を聖別することで、浄化しているのですね。
排除するのではなく、目を背けるのではなく、きちんと理解し正しく扱う。

インドにはカーマスートラという性を正しく扱うための奥義書があります。
タオも性エネルギーを正しく昇華させて自分の生命力を高め寿命を延ばす技などが古くから身分の高い人の間に秘伝として伝えられて来ました。健康に生きるための秘訣として、バランスの取れた生き方の一つの要素としてきちんと語られています。
ただし、教養のある人、心を律する強さのある人、身体的に健康である人、理解力があり真面目に修練する素養のある人、でないと正しく伝わらず、パワフルなその力が誤った使われ方をされてしまうので、取り扱い厳重注意で容易に表には出さなかったのですね。

最近よく書店などで、性の事を扱った新刊の書籍を目にします。
共通しているのは、間違った男性目線の屈折した性の意識を正しく戻して行こうというような内容。ヨガをする人が世界中で増えたり、インターネットなどで情報が迅速に行き渡るようになったこと、ここ最近の世界情勢や自然災害の猛威などから、変る事が必要と思う人が増えているのかもしれません。
私も、女性がまず自分の性である女性性を正しく理解し扱い、パートナーに伝えることが大事だと思っています。そうでしかリアルに伝わらないもの。
それから男の子を育てているお母さん。

2012年、男性性で進んで来た時代は終わり、今は女性性で循環させていく時代。
世界中のマスター達がそう語っていますよね。

ナーヴァーラートリーの期間、自分も自分のドゥルガーの気質を感じ、またカーリーの要素も持ち合わせている事を十分に受け入れ、それへの理解が深くなったと思います。
良妻賢母で愛情深いパールヴァティーは、 もともとはシヴァの婚約者サティーの生まれ変わりです。
従順で純粋で一心にシヴァを愛するサティーが、シヴァと結婚し、ドゥルガーの強さを身につけ、時にはカーリーにも変化する。
私はヨガを教えるという職業柄、また思春期の息子を持つシングルマザーである今の生き方から、日頃のドゥルガー気質がかなり高いですね。

女性ってそういうものではないでしょうか。
それが自然なんですよ。

ナーヴァーラートリー、残すあと一日。
すべての女神に、すべての女性性を讃えたいと思っています。

いつか聖地を回ってみたいです。




2013年9月24日火曜日

時間と空間と人と魂と教えと行動と。

3連休も終わり、やっと今日は少しのんびりしています。
先週は台風直撃だったから、この3日間はその分いろいろなことが詰まっていたのでは?

私もここしばらく(いつからか思い出せない)忙しい日々が続いていて、ヨガクラスも代講が続いたり、WSがあったり、横浜馬車道での新規クラスがあったりと、とても濃い毎日でした。刺激を受けたり考えさせられる事も多かったです。
14日のチャクラWSから。

ハンドアウトにいろんな情報をまとめましたが、「チャクラ」を知っている人は多くても、本当に自分自身と繋げて捉えられないと、すごく偏ってしまうと思うのです。
解剖学的な事、エネルギー的な事、私達の日常、ここ三次元という現実世界での成長の指針として、普段のクラスでお話仕切れない事をゆっくり時間をとってお話出来て良かったです。
こういうWSは今後もやって行きたいと思っていまーす(^ー^)/

嵐の後の空も海もすがすがしい。
季節が完全に秋へと移行。
この日はシヴァナンダクラスを急遽代講。
代講は多々あれど、自分が普段練習していないスタイルをお伝えするのだからと、当日、前夜とあれこれ勉強し直しました。
伝統を紐解く事で、気付く事も多かったし、新鮮でした。

 9/18は私事ながら40歳の誕生日でした。
自分が10代の頃、まさか自分が40歳まで生きられると思っていませんでした。
何故かそんな風に思っていました。
もっと年上に見られる事も、もっと若く見られる事もあるかと思いますが、歳取った気はします(笑)
この日は横浜馬車道でのクラスでした。
思いがけなく参加して下さった友人知人のお陰で、緊張せずにすみましたが、80代の方にヨガを教えるということについて、いろいろ考えたり気付かされたりする場面も多かったです。歳を重ねるって、自分の身体に対して 不安が増える事でもありますよね。
最初は「私は元気です」とアピールされていた方も、クラスの終わりにはいろいろと相談を打ち明けるように身体の事をお話し下さり、もっともっと呼吸や基本的な身体の中の使い方等をお伝えして、メンタル面でも効果が出るようにしていきたいなと思いました。

この日は夜にもクラスがあって、綺麗な月を見ながら、でも慌ただしく過ぎ、自分の事を思う時間を持てなくて少し立ち止まりたいような気分でした。
たくさんのお祝いメッセージを頂いて、返信していて一日過ぎてしまいましたが、100件近くもお祝いを頂いたのは初めてかも。ありがとうございました。

西洋ではbirthday wishが叶いますように、と皆に言って貰います。誕生日に願い事をする習慣なのです。私も友人に「何を願ったの?」と聞かれましたが、「日本人は誕生日に願い事をするというよりは、thanks givingみたいな感じだよ」と答えました。
本当にそうで、お祝いメッセージを頂くと、それにお返事することで、日頃の感謝も同時に伝えられるのでとてもありがたい日なのです。


次の日は中秋の名月。
クラスをふたつ終え、江ノ島の橋のたもとからこの夕陽を見る事が出来ました。
とても久しく会っていなかった方との時間を過ごし、タイムスリップしたというか、自分の現在位置を違う角度から眺め直したような気がしました。
タイミング的に、今後自分がどう生きていくのか考えてしまったけれど、まずは息子を大学に行かせるために生きる感じかなぁ。
本人の無邪気さに溜め息も出るような季節の移り変わり。


 翌日は、Patagonia主催のBanff Mountain Film Festivalに行って来ました。
去年に続き、招待チケットを頂いて、プログラムAB共に全12作品鑑賞してきました。


どの作品からも、人の持つ力の素晴らしさや自然の逞しさ、厳しさ、美しさ、神々しさ、などが伝わって来ました。
中でも、 女性クライマーは、自分自身の声を聞いて宇宙とひとつになる、というような事を言い、男性クライマーは、チャレンジ、競争、成功した時の名誉、みたいな事 を言っていたのが印象的です。もちろんそれだけではないけれど、限界の状況で、やっぱ発想とモチベーションはそれなんだなぁと。だけどその先に女性の愛を求めるのですね。
作品はすべて西洋的なものだったので、東洋のより調和を大切にするスピリチュアルなものがあると良かったなと思いました。
コンペティションの世界はともすると自分が消耗品になってしまいます。
メンタルはとても大事で、凄いうなり声を上げながらボルダリングするスペイン人クライマーには、「ヨガやって呼吸法を学んだら?」と観ている間ずっと思ってしまいました。
私はもっと伝えたい事があるなと。
アスリートの方々の魂は、ヨギのそれと似ていて美しい。
肉体への意識も高くて、精神的にも強い、けれども脆い。

環境を変えて教えれば伝わるかしら?もっと限界のコンディションでなら必要性を解ってもらえるかしら?
街の中からもっと自然の中に出て行けるようなリトリートとかキャンプが出来たらなと思います。




次の日はYoga Fes'2013で、パシフィコ横浜でした。
アジア最大級、今年で10回目のヨガの祭典。
国内外の有名先生のWS、無料のクラス、ヨガウエアー、ヨガグッズ、最新のヨガ情報等が一度に味わえるので、チケットがなくても十分楽しめるのです。
Hugger MuggerさんのブースでWSを2回。

初めて使いましたけど、このエッグタイプのブロックは用途も多岐に渡って便利で、とても使いやすかったです。背中のカーブにしっかり添うので、通常の四角いブロックだと痛みを感じる方にも良いですし、より腹部が自然にストレッチされて気持ちいいです。
また、この上でのアームバランスや片足立ちのアサナなどは、体幹を鍛え、バランスをとるその一点をすばやく見つける練習に最適です。立位のアサナの補助としても、そこに寄りかからず、足を使って支える練習にとても役立つので、初心者から上級者まで活躍しそうです。
江ノ島スタジオにも少し置こうかなと思っています。
個人的に欲しい方は直接私にお知らせ下さい。割引コードをお知らせ致します(Hugger Mugger全商品に使えます)
会場にいらして下さった方、ありがとうございました。
大きな会場で知っているお顔に会えると嬉しいものです。
そして3日間、関係者の方々本当にお疲れさまでした。
また来年も楽しみにしています。

そして最後の2日間は、鎌倉でのクラスを2つ終えてから、タオの権威、マンタック・チア老師(謝 明徳老師)のWSでした。初日はチネイザン(氣内臓)、二日目は、ユニバーサルヒーリングタオの基礎、陰陽五行の事、シックスヒーリングサウンズ(音で内臓に蓄積された感情を解放するメソッド)、インナースマイル、鉄布衫功てっぷざんこう)初めて受けた鉄布衫功はなんとプラニックヨガのメソッドほぼそのものでした。
昔の中国は戦争が頻繁で、自分自身を氣で強く守る事や、ちょっとした判断ミスで国が一夜にして滅ぼされることもあったので、常に緊張や怖れ、感情的なエネルギーの損失を防ぐために編み出された実践的なヒーリングと鍛錬の方法の数々。 
そして老師からの壮大な宇宙のお話。
地球の地軸が変わる事、太古から人がエネルギー的に影響を受け続けて来た北極星(Polaris)が、こと座のベガ(Vega)に移行しつつあること。
若く陽のエネルギーを持つ星 から、より陰のエネルギーを持つ星に変わって行くので、私達もより女性性に焦点を合わせ、変容していかなければ生き遅れてしまうこと、パルス(恒星の脈動)が地球に生命を与えたこと、など、秋分の日、陰陽のエネルギーバランスが移り変わって行く節目の日にこのお話を聴く事が出来て本当に良かった。
自分への誕生日プレゼントとして受けたので、しっかり受け取り日々実践して役立てたいです。
不思議な事に老師は私の考えている事が解るのか、講義の間も実技の間も、私が思った事にすぐに明確な答えを下さるのでした。ちょっと悩んでいたり、間違った方向に思いそうになったりしていた事を正し、にこにこと、氣の体験をさせてくれます。

少し前から腰と足首を痛めていたのに鞭打って働かせていた私の身体は疲れきってもう悲鳴をあげていたのに、快復してしまったのがすごい。

新たな気持ちでまた日々頑張っていきたいと思います。
期間中お会いしたたくさんの皆様方、本当にありがとうございました。
至らなくてうまく回らなかった部分も多くすみません。 
週末はSunset Lounge、台風一過で秋晴れのいい日になりそう!
Yoga Under The Sky は12:00からです。
お待ちしています。

2013年8月13日火曜日

「あきらめる」のホントの意味

「あきらめる(諦める)」という言葉、
大体は何かを断念するとか、終わりを覚悟する、という意味で使われています。
私もそう思っていました。
反対の言葉は「執着」かな。
あきらめきれない状態は執着を生み出します。
追いかけて追いかけて、それはとても苦しい。
だから「あきらめる」ということのすっきり感もなんとなくわかっていて、それは歯を食いしばって我慢するとか、苦しんで手放すとか、そういう感じではないのですよね。

「あきらめる」はもともと仏教用語だそうです。
「明きらむ」、要するに「明らかにする」という意味で、真理を観察して明らかに観るという事。
仏教での「諦」という字は「真理を悟る」という意味。「明きらむ」という事。
般若心経最後の一節、「羯諦羯諦 波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶(ぎゃーてーぎゃーてー はらぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーでぃーそわかー」ではこんなにふんだんに「諦」の字が使われています。

「 明きらむ」は「真理を見極める」。
そこから「周囲の状況をあるがままに見極め、見極めようとしている自分自身が認識できる範囲を知り、能力を発揮できる範囲=限界を悟ること」
という意味で使われ、
それで「限界を悟り、断念する」となり、「思いを断念する」という意味で
「諦める」が使われるようになったのではないか
という説があるそうです。



「わからない 」「もっと知りたい」という興味が執着を生み、理解するという事があきらめる、なら、前者は恋みたいなもので、後者は愛に近いのかもしれません。


年齢を重ねるとあきらめることが増えますが、イコール断念したことが増える、ではないのではないでしょうか。
「わかっちゃったから、とりあえずいいや」、みたいな「あきらめ」
そう、これは大人な感じです。

「怒り来らば怒り、悲しみあらば悲しみ、そのめぐるものめぐるが如くめぐらして、息乱すこと無きは全生の人也」
とは野口整体の創始者、野口晴哉の弁。

 だから執着を生まないよう、「明らかにする」ということも大人のマナーですね。
「愛されたい」は「執着されたい」のではないですからね。

「あきらめる」という言葉の意味を最近より深く味わっているのです。
言霊を正しく使っていきたいです。OM

2013年7月24日水曜日

熟考には身体感覚を伴って。

日曜の選挙が終わり、(特にそのことに貢献したわけではありませんが)どっと頭の中に、普段漠然と想っている事や、断片的に知っている情報等が一気に押し寄せ、その処理に約一日かかりました。

 http://matome.naver.jp/odai/2137303390336449901
今回最も話題となった三宅洋平さん。
一応まとめを載せておきます。ヤマン。

彼の言っている事は、政治屋として◯◯を実行します、とかそういうことではなくて、民主主義を構成する一市民として、私達に「もっと政治に参加しようぜ」と耳元でガンガン鐘を鳴らしてくれ、はっと何か本当の事をしなきゃと考えさせてくれる類いのものです。
彼の言う意識の持ち方は、彼が18万票近く獲得し落選したという今現在の状況でも変わらず、一人一人が出来る事、やっていかなければいけない事、を教えてくれます。
政治は賭け事でないからね、投票した人が勝った負けた、それで自分は得をする損をする、ではないんですよね。

自分がこんなに政治の動向に興味を持つようになったのはやはり311から。
ただでさえシングルマザーで思春期の息子、要介護の母親を抱えたしがないフリーランスのアラフォー女ですから、「ちょっとまってよ」と思う事がたくさんあるわけです。

自分がまだ20前半の頃(私はまだ選挙に行った事がなかった)、
周りにいたミュージシャンのおじさん達はけっこう熱く政治経済の話をしていました。
世界情勢の事もね。なんで自分の日常と関係ない事にこんなに興味持てるんだろうと思っていましたが、大人になればなるほどそれらは密接に生活や日常に関わってくるのですね。それを聞きながら、アメリカン文化に憧れてやまない、70、80年代をそのまま体現して生きる仲良しのおじさん達に、「でもアメリカって世界のリーダーだって勝手に勘違いしてるよね」などと突っ込み、その頃から空気を読まない私独自の目線は持っていたんだろうなと苦笑します。

逆に安倍さんが何をしようとしているのかもじっくり考えました。
どういう気持ちで日本を見ているのかなということですけど。


浄妙寺のお茶室です。
抹茶は思考を冴えさせてくれます。


丸い窓から切り取られた自然を凝縮した風景。「和」
丸い窓は禅の世界では悟りを表しているそう、だからこれは悟りの中から見える風景。
私にはそれぞれ自立したうえで関わりあって生かしあって一緒に存在している草木や石、水、風が感じられます。

今回憲法第96条、9条 、どういう風に変えて行きたいのか、そのビジョンは?
何を理想とし、それは何に対してなのか。
当たり前だけど目線は全然違うんですよ、良い悪いでなく。
だから大事なんですよね、選挙。

ちょっとしたきっかけで、三浦半島横須賀側に位置する安房口神社という場所にいってきました。
ここはどこからか運び込まれた大きな石が祀られているところで、社殿はありません。
そういう形式の神社は相当古い物らしく、少なくとも神話の世界のヤマトタケルもここを訪れたという言われがあり、パワースポットであることには間違いなさそうです。
千葉の館山にある神社と対になって「阿吽」なのだそうです。
わりと大きな山の頂上付近にあたるのですが、周りは高級新興住宅地としてすっかり樹々が切り倒され、この土地の霊性みたいなものは無くなってしまっていました。

お金ってシステムは、それしか見えなくなると何かを作るようで壊すなと、安心のようで不安を作るなと、平和なようで対立を作るなと、そのお金は何所から来て何を表しているものなのか(何を凝縮させたものなのか、たとえば誰かの時間、何処かの資源、誰かの感謝、誰かの欲望、とか)がわかっていれば良いものなのだけど。


動物は何にももっていないで生きている。
人間と動物は違う、かもしれませんが「生きる」システム、DNA的には大差ないはずなんです。

わー、気持ちいい、楽しい、快適、元気、美味しい、これ大好き、みたいな感覚ってなんで抑圧されてしまうのかな、日本の社会では。


鎌倉の花火は森戸から観ました。
多岐に渡っていろいろ考えてちょっと疲れたけれど、じっとしているよりは動いていた方がバランスがいいんです。身体が動く、頭も動く、心も動く、それに伴って周りの人も動く、お金もエネルギーも動く、だけど自然と繋がった状態で。
私はシンプルに自分の氣が上がる事を選択し続けます。

2013年7月12日金曜日

健康力は排出力

「ヨガの先生は、病気の事に詳しくても仕方ない、それはお医者さんの仕事。ヨガの先生は健康に詳しい人でいないといけない」というのは師匠が言っていた事。

健康って何なのでしょう?
どういう事を言うのでしょう?

元気、ってすごく満たされていているイメージがあります。
「元気」とか「健康」のための薬やサプリメント、またはハーブとか、化粧品、健康器具、とにかく足りないものを補うためのものって世の中にあり過ぎる気がします。
◯◯が足りないから健康じゃない、元気じゃない、だからこれが必要、あれも必要というのは物を売りたい人が広めた考え方に他なりません。

女性ならわかると思うのですけど、生理の前、ホルモンの働きで身体が水分や栄養を溜め込もうとします。この時期不快感や倦怠感、PMSという症状にまとめらてしまうのですけど、調子が悪く感じる人が殆どだと思います。
逆に生理が始まると一気に排出力が高まり、スッキリして調子がよく感じます。

どんなに美味しい物を食べても、排出がよくないと気分は憂鬱です。
身体は重く、肌が荒れたり浮腫んだりします。

腸は食べ物を分解して必要な栄養素を身体に吸収しますが、そのとき余分な老廃物が排出されずにいると、そこからもまた吸収してしまいます。
アーユルヴェーダではアーマ(未消化物、毒素という意味)と言われますが、血液中に不要な物がたくさん吸収されて全身に運ばれてしまうのです。
病気の原因であるとされ、アーマを溜めない、アーマをいかに排出するか、というのが治療の基本的考えになっています。

毒素というのは最初お腹に溜まっています。
腎臓、肝臓など分解したり濾過する器官がありますが、機能が弱って来ると排出出来なくなってしまいます。
体力がある人というのは、排出力の強い人の事です。
お腹に力があって、呼吸を吐き出す、声が通る、お腹で熱を生産出来るので汗をかける、便通が良い、生理の周期が整っていて期間も短く終わる、安産で母乳の出が良い、悪い物を食べたとき吐き出せる、身体を冷やしてしまったら熱を出せる、など です。最後のふたつは病気っぽいですが、健康の証。
きちんと排出出来ないと、毒素が全身に回ってしまいます。
物理的に下方へ降りて行くので足に溜まりやすいです。

ヨガが健康に良いのは、姿勢が良くなったり筋力がアップしたり、自立神経の働きが整ったり ということも大きな要素ですが、主に排出力を高める、事に役立っているのだと思います。筋力も柔軟性も、横隔膜を使った深い呼吸、バンダもロックしてエネルギーを溜めるためのもの、であることは間違いないですが、結果排出する力が高まります。

体力がないと、排出出来ません。
元気がないと掃除をする気力も湧かないのと同じです。
ちょっと汚れて散らかっているけどまあいいや、が身体の中で 起きている状態。

すごく豪華な造りの場所でなくても、きちんと片付いていて清潔ですっきりしている空間は居心地良く感じられます。
私達の身体は、何か足りないものをを吸収するために健康であるべきなのではなく、きちんと排出するために、筋力にしても意志にしても健康であるべきなのだと思います。
また、感情も思考も溜めずに表現すべきだと思います。
元気な人って大抵言いたい事を、毒になる手前のフレッシュなうちに言っている(笑)
溜まるとたいした事でなくても毒になってしまうのですよね。

また、連日ニュースで報道されている、熱中症は、身体の中に熱が溜まってしまう症状です。
熱が上手く排出されないので、機能障害が起きてしまうのです。
からだの機能は冷えると落ちます。
だから、出来るだけ冷やすのではなく、排出力を高めるための事をした方が有効です。
暑い国の料理って皆辛いでしょう?
汗を出すための誘発剤みたいなものです。
エアコンで外から冷やす、冷たい物を摂り過ぎて中から冷やす、どちらも身体の排出力を抑えてしまい、本当は必要なのに汗を出せなくなってしまいます、で、熱や毒素が溜まる、だるくなったりイライラしてしまったり、の悪循環になってしまいます。

その出し方の良い方法や加減を知っている事、が健康に詳しいということのひとつかなと思います。 何事もバランスなので、それを知ることが出来るようになるのもヨガを練習する事の大きな意味かなと思っています。
私が毎日練習を続ける理由でもあります。
OM





2013年6月18日火曜日

父性と母性 成長或は変容を促す力

百田尚樹氏の「永遠の0」を読みました。
2009年発行だから、随分遅ればせながらですけれど、今このタイミングで読めて良かったなと思います。
日本の男性の美学とか、男女の差別、社会的な通念のようなものを理解する何かが私には少し欠けていて、普段それらを居心地悪いと感じてしまう事もしばしば。
だけど、どうしてなのか、いろいろ見えて来た気がしました。

ニュースでもいろいろ言われている過去の問題。
311があってから、現行のシステムは良くなっているのか悪くなっているのか、私には判断致しかねますが、一人一人の心の中に、「日本」という国を改めて考え直す、思い直すという事は少なからず起こったのではないかと思います。
この国の伝統、文化、良さ、何故この国はこうなのか、失いつつあるこのままでは忘れそうになってしまうような何かを、皆意識し出しているのを強く感じます。

 ヨガインストラクターになってから10年も越える私ですが、日本の今のヨガ界創世記〜発展期に、既に教えはじめていた私は、当時からインストラクターになりたい人達が周りにたくさんいて、TT(ティーチャーズトレーニング)を卒業して、ヨガを教えたい、教え始めてる、もしくはインストラクター歴○年といういう生徒さんがクラスにおいで下さることは少なくありません。
だけれど、正直日本のヨガの将来、ますますおかしくなるんじゃないかと懸念を拭い去れないような想いも持っています。
お茶を濁さず言わせて貰うと、 どういうわけか、みなさん外国人講師や男性には新しい知識を教わりたがるのに、自分の事、見られて指摘されるのは同じ日本人女性からは嫌う傾向にあるのですよね。男性はやっぱり女性が先生なのはやりずらいようだし、パートナーの方がよく思わないケースもよくありますよ。そこは何かちょっともやっとしますね。

ヨガを教えるという事は、自分を客観視出来て、心身の姿勢の整え方も知っててこその仕事です。
みんな同列の仲良し、みたいなの私は違うと思っています。
そこには観る側、観られる側があって、 生徒は見られる事で徐々に自分自身を自ら観る事が出来るようになり、さらにそれが的確で周りに対してもその人の成長や回復のためになるのであれば、観る側をやっていくのだと思うのです。


何か自分自身の悩みや身体の不調や生き方の模索などと向かい合って行くためにヨガを選んだ人は多いと思います。
変わりたい、変わらなきゃ、そういう想いで張りつめてTTを受ける感じ、もしくはあまりそういう面を表に出さず、「私はヨガ教えるつもりはないですけど、自分の勉強のために」な人も多いですよね。
受けているとき、いろんな気付きがあり、自分がどんどん変わっていく、先生に認められる、ヨガでは競争はない、ありのままの自分らしさを大切にする、みんな繋がっている 。。。云々 

本当に成長、変化していくためには、まずは母性的なエネルギーが必要です。
どこかで傷ついて、自己否定したり、自信をなくしたり、目標を見失ったり、いままでのやり方では上手くいかないとわかってきたとき、人は当然落ち込んだり、怒りや不安を感じます。人によってはそれを認められない場合も多いでしょう。
本当の変化を起こすには、先ず受容や育むエネルギーである母性的エネルギーを充分に満たし、自尊心や、正直に自己を表現して認められる自信、安心感を充分培ってから、父性的エネルギーと対峙する、ステップが必要です。
だけど、母性的エネルギーチャージの段階から先に進めないか、自尊心が充分育っていない段階でいきなり父性的エネルギーに対峙しようとする、自分自身に対してのSなところが多く見受けられ、却って身体や心を追い込んだり、強い指導をする教師に倒錯したりします。

 父性的エネルギーとは、現行システムや経済、社会的な事柄、自己実現のステップに欠かせない感情を客観視する思考的安定さ、または思い込み、外傷、トラウマ、自分が強く影響を受けた出来事、等変化の前に障害となって立ちはだかるもの。

自分を守ってくれていたり必要だったものですが、父性とは柔軟に変化していかなければ成長や変容の障害となり得るものなのです。
何故かというと、母性が受容し、育む性質を持つ物であるならば、父性は制限し限界を与え、時には壊していくような性質を持っているからです。
インドの三大神、ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァは、それぞれが三位一体となって入れ替わり宇宙を創造、維持、破壊→再生、のサイクルを動かしています。
だから理に叶っているのだと思います。
それに対して女神は、ウマがパールヴァティに生まれ変わり、その強い側面はドゥルガーと称され、さらに彼女が我を忘れる程怒ったとき、カーリーという恐ろしい側面が姿を現し、夫であるシヴァでさえも踏みつけます。
そんな風に、女性は自身がその時々で変化する存在です。

戦後日本から無くなってしまったのは、父性かなと思います。
誰も父性を正しく扱えなくなってしまった。
だから日本のヨガも何かが欠けている気がする。
優しいおおらかな母性、力強く、決まり事を設けコントロールする父性。
でも父性はずうっと変わらないままだと役に立たなくなってしまうのです。
守り、規律を与え成長させてくれていたものが、自分を縛る枷にもなります。
それを変えて超えて行くのが成長であり、変容です。
ヨガでやっていくところ。


私がこういう目線を持てるのは、シングルマザーであり、思春期の息子を持っているからだと思います。両方やらなければいけないし、異性の成長、変容して行く様子を日々ニュートラルに観察出来ているからだと思います。

子供が成長して行くとき、お母さんに守られて、育まれて、たとえどんな失敗をしても許し認められ、愛され、勇気づけられ、教えられ、自分を尊ぶ心と自信を培って徐々に社会と関わっていく時間が増えます。そこではうまくいかなかったり、困難な事があったりして凹んだとしても、またエネルギーをチャージして困難を乗り越えて行きます。
父親は、越えたくても越えられない存在、時には自分を否定されたり、制限を与えられたりします。尊敬する気持ちも芽生えますが、その父が作った制限を超えようとする事で男の子は男になっていきます。
女の子にも変化は必要ですが、結婚、妊娠出産などで自然に変わらずを得なかったり、育った環境とは違う価値観の家庭や組織に入る事で成長、変容して行きます。

今はその制限がない状態。
なんでもいいのよ、という母性的なエネルギーだけだと、子供は何所までが限界なのかを確かめようと、暴走します。わざと叱られるような事、悪いとわかっている事をして、自分が超えて行くべき目標を設定しようとします。
的確な制限を与えられる事によって、観てもらっている、守られている安心感が生じます。
叱られない、というのは成長過程においては漠然とし過ぎていて不安なのです。
今はそれがないまま、安心を求めて母性エネルギーにみんなが寄り集まろうとしているように思えます。必要とされて、女性はどんどん強く本能的になっていく。
楽だけど、間違った事は何ひとつないけど、なんとなくバランスがとれていない感じ。

本当に必要なのは的確な父性なのかもしれないなと、感じました。

私が育った家庭は私が思春期の頃にはもう父親がいませんでしたので、私は特に制限される父性エネルギーを知りませんし、簡単には従わない傾向にあります。
だからこそ、必要性がとてもよくわかります。
両者は誰しもが自分の中に持っているエネルギーです。
使う場面やタイミング、順番を間違えないようにすれば、自分や周りを成長させ、望んだ変化を与える事になっていきます。

2013年の今、父性、母性、男性、女性がそれぞれの役割をするのではなく、誰しもが持っている両方のエネルギーを、関わりあいの中で、観たり観られたり、自身の中で調和させていく時代なのかなと思います。
平和ですよね。守っていかなきゃ。

OMShanti

2013年6月13日木曜日

人を見る側として

今日は都内で、とある新設ヨガクラスのインストラクターのオーディションをさせて頂きました。
当たり前ですが、皆さんそれぞれ学んで来た事を披露してくれます。
自信がありそうだったりなさそうだったり、デモ中生徒役の方々とコミュニケーション出来ていたり、緊張のあまり一方的だったり、たくさん喋ったり、間を大事にしたり。
上手い下手ではなく、皆さんそれぞれに素晴らしいのです。
得意な事も違うし、ヨガ自体の捉え方も違っていて当たり前。

で、今日私がどんなところを見させて頂いていたかというと、「全体への配慮が出来るかどうか」でした。進行、次の方へ繋いで行く時の立ち居振る舞い、言葉 遣い、時間配分、表情や仕草、アジャストするときの声がけや歩き方など、テクニックそのものではなく、場を創り出すその方の想いのようなところ。

TTを受けてインストラクターとして一歩を踏み出したい、またどんどんキャリアを積んで行きたい、気持ちはとてもわかります。

結果はともあれ、お一人お一人に一言を添えてお知らせするのですが、自分の知っている事を伝える事より生徒さんの身体や仕草や表情や息遣いから発せられる 声になっていない言葉を聞いて、そこに何が必要かさっと見極めて差し出してあげられるようこれからも頑張って下さい、ということを書きました。

だけどそうじゃなくてもいいのだと思います。
これは私が自分に言っている事。
受け取る人に委ねられる、自分はそんな柔らかい距離感に助けられてきたのだと思っています。

2013年6月12日水曜日

身体全体の緊張を解くには

月に2〜3度くらい、時間を作って岩盤浴かサウナに行きます。
私にとっては、魂を浄化するスウェットロッジ的な意味合いが大きいので、そこにTVなんて設置されていなくて全然いいのに、といつも思うのですが、 そこで天皇皇后両陛下の映像を目にしました。
美智子妃殿下が、頚椎症性神経根症という症状でしばらくご静養が必要だとか。
お二人ともいつも頭を低く、首を前に伸ばしている御姿勢でいらっしゃいます。
ヨガインストラクター的にいろいろなことを考えてしまいました。

最近クラスでは脊椎のS字カーブについて、頭の位置や骨盤の位置を自分本来のところに据える、ということをお伝えしています。

アサナ中よく注意するのは、「頭から先に行かない」という事です。
前屈、後屈、頭を上下に動かす動きは、身体が追いついていかない場合程多く、
様々な場面で見られます。
面白い事に、捻りの場合(頭を水平に動かす)は動きがあまりみられません。
皆さん身体だけ捻って、首は殆ど動かさず、まるでそのような動かし方を忘れてしまったかのようです。筋肉も硬くなってしまっているんですね。

「首の筋肉の習慣的緊張は、必然的に身体全体の緊張を引き起こすことが予測される。
体全体の緊張を解くには、首の筋肉を解放する事からはじめなければならない。
理由1、首の緊張は、骨格全体における骨と骨の関係をゆがめ、骨格全体の能力が損なわ     れ、体重をうまく配分する事ができなくなる。
理由2、首の緊張は 、随意運動をサポートする不随意筋に干渉する。
   (随意筋=自分の意志で動かす筋肉、不随意筋=自分の意志では動かせない筋肉、     心臓や、血管壁、内臓壁の筋肉等)

動いているとき身体が自由であれば、頭が先に動いて身体がそれについてくる。
特に注意すべきことは、頭が先に動いて身体が後からついてくる、という順序である。」
(ソマティック心理学 / 久保隆司著)

何かを見たり聞いたり、脳はいつも刺激を受け、感覚受信器官である、目、鼻、口、耳(私は頭頂部もそうだと思っていますけど。だから帽子を被ると感覚が通常の3分の1くらい鈍くなったような気持ちになります。)は対象に向かって前のめりの事が多いですよね。

母が脳出血で倒れ、退院したとき、背中が丸くしょぼんと自信のないような佇まいで、耳が聞こえづらくなってしまったので、人と話す時はいつもよく聞き取ろうと首を前に突き出していました。
そのせいでしょう、筋力の衰えた肩や腰が痛いと言っていたので、介護認定を受けて、リハビリ施設へ週一度ですが通ってもらう事にしました。
長年ヨガをやっていたことと、介護士さん達が優秀なのでしょう。
最近めきめきと背筋がしゃんとし、下を見ていたところから前をしっかりみられるようになって、それに伴い表情も明るく、日常の動作も自信を持って行えている様子です。
一人で電車に乗って出掛けたりも出来るようになりました。
脳の機能も殆ど戻っていると思います。

母が主に行っているのは、脚力と背筋を鍛えること、のようです。
姿勢ってこんなにも人を変えてしまうものなのだと改めて思いました。

クラスでアサナを実践しながら専門的な事をお伝えするのは時間的に限度があるのですが、Pranic Yogaの基本、「呼吸を背中に」前のめりの意識を後ろに戻す事は とても有効だと思っています。
サイドアングル(パールシュヴァコーナアサナ)の写真を載せたかったのですが、ちゃんとしたものがなかったので、パリヴリッタウパヴィシュタコーナアサナで。
友人が撮ってくれたこの写真、とても気に入っています。
この時の私は木の上でバランスをとるのに、とても頭の位置を気にしていました。
ほんの少しで視界も全体のバランスも、肩や胸の緊張も、ヨガをしている時にはその生理機能や自律神経の働き方も大きく変えてしまいます。

自分が緊張しているな、と思ったら、頭をほんの少し後ろへ引いてみて下さい。
変わろうとしているとき、本来の自分を取り戻したいとき、慣れ親しんだ姿勢へ戻ってしまいそうになったら、頭を少し後ろへ。
ちょうどいい位置は、徐々に見つけていきましょう。
身体は最初から既に知っているのですから。
日常の中で意識しておかないと、誰しもやがて歳を取り、いつの間にか本来の自分らしい姿勢に戻れなくなってしまうのです。






2013年5月29日水曜日

エゴはどこから来るの?

先日「その原因は?」でエゴについて書きました。

今日はそのエゴがどうしてどこから来るのかを書きたいと思います。

世の中は、「与える事」と「受け取る事」で成り立っています。
それはどちらがどうということはなく、吸ったら吐くのと同じように、自然な事です。

小さな子供のうちは受け取る事ばかりでしょう。
受け取って受け取って育っていきます。
与える方はそれが喜びです。
 まっすぐ受け取ってもらえた時には、心から幸せを感じるもの。
だから、与える事をさせてくれて、受け取ってくれてありがとうなのです。
ですから、例えば子供が好き嫌いをして、作ったご飯を嫌がって食べないとき、お母さんはとてもがっかりします。
そして子供が受け取りやすいように様々に与え方を工夫します。


子供の方も、自分が受け取っているんだ、与えられているんだという事を自覚しはじめます。そうすると、受け取った時はありがとう、受け取れなかった時はごめんなさいと言う、物事が潤滑に流れるルールも知っていきます。

そして、物事をやりとりしているだけではなく、愛情ややさしさ、思いやりを循環させているのだという事を理解します。そして、物事はそういうものに乗せないと上手く運ばないし回って行かないんだという事も次第に理解します。
そうして社会全体で物事を育んで世界が成り立っているのだということも理解します。

ただ、ここでこの単純なところが複雑になってしまった場合、このルールを理解しないまま、欲しい、くれない、欲しい、奪う、欲しい、でも受け取らない、欲しい、いや、やっぱり欲しくない、みたいな捩じれたやりとりになってしまいます。
エゴはここから来るのでしょう。
愛されていないという思い。

受け取るばかりだった子供が大きくなって、 アルバイト等で少しずつ社会と関わる時、やはり最初は自分が賃金を「受け取る」という発想が大きいと思います。
最初から最高のサービスを提供しようなんて考えられる高校生や大学生はなかなかいないと思いますが、徐々に、「与える」ということがわかりはじめて来ると、その「ありがとう」がわかって来ます。相手が受け取れないような与え方をしてしまった時には「ごめんなさい」です。
また、受け取るばかりだった時には見えて来なかったいろんな与え方の形がわかるようになります。そしてますます受け取る事が上手になって行きます。
それが大人になるということです。

そのシンプルで潤滑な流れの中にエゴが入って来てしまうと、与える事は損、出来るだけたくさん受け取ろう、もしくは与えられているものに気付けず、怒ってばかり、欲求不満ばかり、自分ばかりが与えている、吸い取られている、奪われていると感じ、消耗してしまいます。与えている側は、自分のエネルギーを無駄にされてしまったように思い、
そうなると物事は潤滑に回れず、その命が衰えて行きます。

ただし人それぞれ与える量と受け取る量は違っていいと思うのです。
だから多くを与えられる人に対しては、 自分が形として与えられない分応援したり、その人がその能力を最大に発揮出来るよう、敬意を持って接することはとても大事です。
そうすることは、その人がしている「与える」という行いを理解しているのだと伝えていることになります。それはまた自分の「与える」能力を磨き、社会の中でより大きな役割を果たせるのだと周りに理解させる事にも繋がります。

誰でも与える能力を持っています。
エゴがふたをしていることも多いでしょう。
だから、相手に少し力を送ってそのふたを開けるのです。(褒めるとか、好きな事を話題にするとか、状況を気遣うとか)そうすれば与える、受け取るの流れが潤滑になります。

エゴを優先させれば、流れが止まります。
感謝も発生せず命も社会も滅びていくのだろうなと思います。

誰でもエゴを持っています。
だから、それを理解し、流れが発生するように物事を、行動を、発言を、思考を選択していくのです。




2013年5月27日月曜日

その原因は?

「エゴ」です。

エゴは、怖れています。
物事を硬く収縮させようとし、要求し、ジャッジし、奪おうとし、文句や不満ばかりで、自分で何かをしようという発想がありません。いつも誰かが自分にしてくれなかったことばかりを思っています。
だからフラストレーションでいっぱいです。

エゴでないものは、愛し、与え、柔らかく広がろう、繋がろうとします。
正しとか悪いとかではなく、すべてOKなのを知っています。
いつも誰かが自分にしてくれたことを思っています。
また、自分が誰かにしてあげられることを考えています。
それが自分の喜びや幸せに繋がる事を知っているからです。
だから感謝が耐えません。

エゴは、いつも相対的に物事を判断します。
何かと比べて勝っている、負けている、優れている、劣っている。
なのでいつも周りの事が気になります。
そして周りに対して自分の価値が決まるので、周りを落としたり下げることで自分の価値を上げようとします。
何かはいつも限界や範囲や制限があって、その中に収まらないといけないと思っているからです。

エゴでないものは、皆が上がることを望んでいます。
皆の波動が上がって行く事が、自分にとっても心地よく幸せであることを知っているからです。物事は無限の可能性を持っていて、無尽蔵であることをよくわかっています。
だからいつもおおらかで、焦りも警戒心もありません。
インスピレーションに満ちているので、いつも新鮮です。

エゴは、いつも緊張しています。いつも満たされません。いつも何かを得ようと周りを気にしています。損したくありません。

エゴでないものは、育みます。新しいものを生み出します。
自由な多様性を祝福します。予想外の事が楽しいのです。
けれどもそこに普遍的な秩序や法則を見いだします。

エゴは、物事が決まった枠からはみ出る事を嫌います。
過去からの 既成概念などに合っていないとどうしていいかわからなくなるのです。
コントロールしようとします。そしてますます無秩序になっていきます。
けれども何度も同じ事を繰り返します。

エゴは無知です。
無知であることにさえも無知なのです。

エゴは、攻撃します。

エゴでないものは癒します。

エゴは癒しのように見えても、実はすこしずつ生命力を奪って行きます。
エゴは快楽を求めます。そしてさらにさらにと、快楽の段階がエスカレートして行きます。

エゴでないものは、最初強いインパクトがあって、ショックを与える事があっても、結果癒して行きます。そして至福を感じます。そして満足します。
エゴでないものは、無知を知覚しています。そして叡智を求めます。

エゴはカルマにすぐ引っかかってしまう。
自分がいつも何か他のものと同化しないと安心出来ない。
自分の事を信頼していないし、愛してもいないからです。
エゴは孤独の方向です。

エゴでないものは、自分のカルマを見る事が出来ます。それが自分でない事を知っていて、ただこの世界で必要な経験を 引き寄せるために存在しているのだという事を知っています。カルマに翻弄されません。カルマを用いて自分をどんどん高めて行きます。
そしてそれは他の誰でもない、自分自身がひとりで向き合って行くことなのだと理解しています。それは孤独ではなく、孤高です。

人には必ずエゴがあります。
エゴがないと人間として生きていけません 。
ですが、それが増大しすぎてしまうと、その人自身を蝕みはじめます。

心はエゴに耐えられません。
だから、もし何か「これはいったいどうしてなんだろうと」思ってしまうような事があったら、それはエゴの仕業だと思って下さい。
エゴを無くす事は出来ませんが、これはエゴだと知覚する事で、それらの暴走を食い止める事が出来ます。
エゴは、あなたが本当に望む幸せから あなたを遠ざけてしまいます。

エゴイストという言葉は、少しかっこいい意味で使われる事があります。
そういう名前の香水がシャネルにありました。
エゴでないものは、素直で無邪気で素朴でまっすぐで、かっこよくないのかもしれません。ほんの少しのエッセンスは、ほんの少し香る程度に使うととてもその人を魅力的に印象付けるのかもしれません。



2013年5月24日金曜日

夏までに痩せる?!

4月のGW前には、鎌倉特集ばかりだったのに、先日本屋に立ち寄ったら、
「夏までに痩せる!」的なダイエット特集の雑誌がずらりと並んでいて、思わず一冊一冊すべてチェックしてしまいました(笑)

食べ物に関しては、以前のとにかく低カロリー、油を使わない、甘いものは我慢、みたいなところから、もっと食べ方、とか食品の性質や成分についてきちんと書かれており、勉強になります。

同じ炭水化物でも、血糖値が急激に上昇する事のない、玄米や蕎麦、全粒粉を選択することや、中毒を起こすグルテンを避けるグルテンフリーダイエットだとか、消化酵素に着目した酵素ダイエット、ローフード、腸内環境を整える発酵食品、などなど本当にいろいろな考え方が載っていましたよ。

私が普段気をつけているのは、やはり炭水化物の摂り方です。
若い時は脂肪分を気にしていたのですが、今はそもそも脂肪分の多い食事が無理になったので、消化しても直接エネルギーになりにくく、皮下脂肪として蓄えられやすい炭水化物を摂り過ぎないように、またなるべく精製されたものは避け、野菜も芋や豆、トウモロコシ、人参等は炭水化物としてカウントします。
小麦粉製品もなるべく選ばないようにしています。
そしてきちんと大豆製品などから良質のタンパク質を摂るようにしています。

そして最近実践しているのが、豆乳麻炭ヨーグルト。
これ、麻の茎の炭なのですが、EM菌も含まれているので、簡単に発酵します。
実践している方に教えて貰ったのは、
成分無調整豆乳500ml
麻炭パウダー おおさじ1
てんさい糖 おおさじ3〜5
を清潔な瓶などに入れて2〜3日置くだけというとても簡単な作り方。
麻はもともと浄化力に優れた波動の高い植物なので、お腹が綺麗になるような感じがします。腸内環境と脳内環境って密に繋がっているので、とてもいいと思っています。

あとは、エクササイズ編。
「お腹ぽっこりを解消 !」的なテーマでいろいろなエクササイズが紹介されていますが、ほぼどれもヨガでやっていること。
専門家として(笑)提案させていただくのなら、私なら腹筋を鍛える事よりももっと背中を鍛えることを推奨します。
クラスでもよく話していますが、腹筋運動や胸筋を鍛えることばかりしてしまうと、肩が前に引っ張られてしまって背中が丸くなってしまいます。
結果お腹の力が抜け、膝も外側に開いてしまいがちなので、歩く時もうまく地面を蹴る事が出来ず、歩幅の小さい膝が常に曲がったままの歩き方になってしまいます(これは代謝が悪いばかりでなく、腰に負担をかけやすいです)
脊柱をしっかり立てる(姿勢がよい)という事は、腹筋背筋バランスよく整い、なおかつ下半身と上半身に於いてもきちんとエネルギーが流れているという事です。
背中が丸く、肩甲骨が離れた状態で筋肉が固く、そして弱くなってしまっていることから始まる悪循環を解消するには、しっかり背筋を鍛える事、肩甲骨を引き寄せる意識を持つ事。お腹頑張って鍛えても、保てなければすぐに戻ってしまいますから......

ヨガだとシャラバアサナ、セツバンダアサナ、パールシュヴォッターナアサナなどでしょうかね。腰を十分守りながら行う事。
シェイプしたいなら、腹斜筋を意識したサイドプランク(ヴァシシュタアサナ)の肘を付いたバージョン、立位での捻りポーズなどがいいでしょうね。

まあでも個人的には、細いだけの体というのはあまり魅力的だと思わなくなってきました。姿勢がいいとか、表情が明るい、とか声に張りがあるとか、 そういうほうが素敵かな。年齢で確実に体形は変わって行きますし、それにあまり抗ってもね。でも、原因は筋力と柔軟性の低下が主なので(他にはホルモンバランスです)年齢が進めば進む程運動は必要になってきます。関節に負担をかけないタイプのヨガは本当にどんなことより最適だと思っています。

最近はヨガウエアを着用したところの写真撮影などもあったりするので、程よく結果を出していないとな〜と思っています(笑)
OM



2013年5月15日水曜日

Patagonia WS「天と地を繋ぐもの〜腸腰筋の覚醒」


 一昨年から2〜3ヶ月に一度のペースで開催させて頂いている、パタゴニア鎌倉ストアでのWS、 毎回有り難い事に、すぐに予約の枠がいっぱいになってしまうので、今回より3席増やして頂きました。

自分の身体と向き合ったり、アプローチしていくときに、何所に何があるのかわかっていることで、自分のコンディションをより正しく把握できたり、自分からのメッセージ(もっと緩んでいいんだよ、とか、もう少し締まっていこうか、とか)が伝わりやすくなります。

「運動ホムンクルス 」ってご存知ですか?
↓この図に表されるものなのですけど。



「ホムンクルス」は、ラテン語で「小人」という意味らしいですが、人間の脳の中の 大脳皮質運動野の相当領域の面積に対応する形で人体が描かれています
こびとかんに載っていそう...

例えば、手や唇が占める脳の割合はかなり大きく、反対に体幹や脚などはとても貧弱です。(厳密には足の指先や性器などももっと大きくなっている筈です。個人差もありますね。)
 手や舌は砂粒一個の存在でも感じる事が出来るのに、足の裏や肩に砂粒がひとつついていてもわからないですよね

体幹や脚などは、日頃無意識に使っている場所なので、意識が薄く、気がついたら痛くなってたとか怪我をしていた、いう事も多いのではないでしょうか。
腸腰筋は、骨盤を支えるのに常に働いています。
大腰筋と腸骨筋を合わせて腸腰筋と言いますが、大腿骨から、胸椎の12番、腰椎の1番から5番、そして骨盤自体(腸骨)に繋がる多関節筋で、骨盤をたすきがけのようにして支え、呼吸とも大きく関わっています。また、ハムストリングスの拮抗筋として、パワフルな役割を果たしている筋でもあります。  

そんなこんなで、 このWSでは、深いところにあるこのこの筋を目覚めさせ、日常の動きの中でもより意識的に使って行けるようアプローチしていきます。
お申し込み、お問い合わせは、Patagonia鎌倉ストアまでお願い致します。