2012年7月28日土曜日

てぬぐい

みなさまのお陰で、てぬぐい、こんなに集まりました。
クラスにご持参下さった方、わざわざ時間を作って持って来て下さった方、周りの方にも声をかけて集めて下さった方、郵送して下さった方、本当にありがとうございました。
沖縄からもゴーヤと共に送って頂いたんですよ!!
送って下さったのは、ミュージシャンのKotani Kazuyaさん。
(KazuyaさんのMade in Loveというアルバムは、私が大好きでヨガのクラスでもよくかけていますよ)

鎌倉で2クラス、江ノ島でVedic ChantingのWSを終えてから、徹夜で宮城県。。。なんてどうなることかなと思っていたけど、ヨガは鎌倉在住の英語教師兼、ヨガインストラクターのステイシーが手伝ってくれるし、運転も頼もしい助っ人がいるので大丈夫。
ホントにまだ行く前から皆さんに大感謝です。 

明日のVedic Chantingは座学ですので、まだ席に余裕があります。
興味がありましたら気軽にドロップインでご参加下さい。
9月以降は、日本各地はもちろん、インド、オーストラリアを拠点にインドの古典声楽でナーダヨガを伝える、タニグチユキさんのWSも開催する予定です。
(ユキさんのNada Yogaというアルバムは、長谷の麻心や、Middles 、逗子のインド雑貨のお店Tirakita http://www.tirakita.com/NADA+YOGA+-+SANSKRIT+MANTRAS+BY+YUKI+TANIGUCHI/MCD-CLSC-1517 などで試聴、購入出来ますよ)
せっかくなので、今のところまだ全然馴染みがなくても「どんなものかな」と、その世界を覗きに来て下さい。

では、明日の夜から行ってきます。
クラスへのお問い合わせや、お申し込みの返信が木曜以降になると思いますので、ご理解下さい。HPへは8月のスケジュールをアップしています。
個人的にお薦めなのが、日曜夕方の陰ヨガ。
夕涼みがてらふらっと出て来て、夕陽と、海帰りの幸せな人たちを眺めながらゆっくり身体を伸ばした後、目の前の砂浜に出現した沖縄の屋台(?) でちょっとひっかけて帰る。
そんな感じ(笑)
猛暑が続きそうなので、皆様もお体十分に気をつけてこの夏の土用の時期を乗り越えましょう。
OM

2012年7月20日金曜日

鎌倉とどけ隊

鎌倉とどけ隊でまた東北に行って来ます。

「鎌倉とどけ隊楽市楽座 にっこりアートキャラバン」
という名目なのですけれど、去年何度も何度も通った宮城県石巻の大指や十三浜地区をまた訪れて、今は避難所から仮設住宅に移られて生活されている方々へ、ほんの少しだけでも楽しい時間を提供出来ればなと思っています。
 2011、6、11の浜人祭(写真:はんちゃん)

 7月30日(月)大指子どもハウス前 11時〜16時

内容:絵画、紙芝居、音楽、踊り、ヨガ、マッサージ、軽い飲食など
子どもも大人も自由に参加可能
7月31日(火)にっこりサンパーク(仮設住宅集合施設)内 10時〜16時
内容:絵画、紙芝居、音楽、踊り、ヨガ、マッサージ、軽い軽食など
子どもも大人も自由に参加可能
居酒屋ふーちゃん前で縁日 18時〜21時
                
        バーベキュー、ビール、ジュース、手持ち花火、ライヴなど
※食材などはふーちゃん側に依頼しています。50名分ほど用意。
 (8月1日は、この地区の打ち上げ花火大会なのだそう。震災後初めての花火、皆さんいろいろな思いで眺めるのだろうなと思います。その前に少しでもお祭り気分を味わって頂けるような日程になっています。)
そんなわけで、私はヨガやマッサージ担当。
お年寄り等が多いし、皆さんヨガなんて普段されていないでしょうから、今回は手ぬぐいを使った体操、みたいな感じでやりたいと思っています。
それと私一人でマッサージを一日しても、人数が限られてしまうので、子供がおじいちゃんおばあちゃんにしてあげられるような簡単なマッサージ方法を楽しく教えられたらいいなと思っています。
メンバーはみんなそれぞれ得意な事を持っているので、それぞれが自分に出来る事を考えて行います。そんな手作りなイベントです。

こんな時、いつもお願いばかりですけど、
もし家に余っている手ぬぐいがあれば、どんなものでも構いませんので、御寄贈頂けませんか?
また、お子さんが使わなくなった画材道具(絵の具、色鉛筆、クレヨン、カラーペン)などがありましたらこちらも併せてご提供頂けると嬉しいです。
29日の夜に出発する予定です。
どうぞ宜しくお願い致します。

2012年7月17日火曜日

思春期のヨガ3

お陰さまで、息子のバスケの総体も終わり、様々なほろ苦い思いの中無事引退となりましたが、中高一貫の私立校なので、そのまま継続して今度は高校生と一緒に練習するらしく、私は彼のプライベートコーチとして、朝のヨガはまだまだ続きそうです。

幼い頃から、妙に安定感があって、いつも機嫌が良く、活発なリーダー格として定評のあった息子ですが、中学に入ってからは毎日制服を着て、勉強があって部活があって、小学生のときと同じ感覚でいると何故か叱られてしまうとか、母子家庭なので最初から「問題がありそう」と目をつけられていたりとか、身体の変化、ホルモンの影響でイライラしたり、周りの人間関係も先輩後輩とか男女とか複雑になっていく中で、母親である私でもよく掴めないような不安定な素振りが多くなったり、何か隠していたりなど、やっぱり難しいなと思っていました。

特に男性意識が強くなる年頃だからでしょうか。
運動部特有の空気を受けてでしょうか。
中学生と高校生が一緒なので、すごく背伸びをしていたり、気を遣っていたり。
一年の頃からレギュラーメンバーに選ばれ、選抜選手としても活躍していたので、コーチや顧問、先輩からの指示も多く、本人らしくない選択が多くなり、女性的な事を毛嫌いして避けるようになり、端から見るとポキッと折れそうな小枝が硬く硬く頑張って積雪に耐えているという感じ。しなやかに積もったものをスッと振り落とせばよいのに、それが出来なくなっている状態。
プレッシャーやストレスには「耐える」というコマンドしか持っていないという頭の中。

なので、腰が歩けない程痛くなって、そのステータスから 少し離れないといけなくなって、また期待されている選手であったから、周りの対応も少しずつ変化していって、それはそれで良かったのだと思います。
部活の先生も、担任も、保健の先生も、病院の先生も、マッサージの人や整体師の誰も解決出来なかった事を、自分の母親が「ヨガ」であっと言う間に治してくれた。
部活の顧問もトレーニング方法を、よりウエイトを使った反復運動から自重を使ったアイソメトリックに変えてくれたり、信頼出来る理学療法士から指示される事が、私の言う事と同じだったりと、お母さん=ヨガ=女性的=自分の未来とは関係ない、という構図が、一変して、ヨガ=理に叶ったトレーニング、痛み=自分が作り出しているもの、お母さん=亀仙人(ドラゴンボールが好きだったので、笑)というリスペクトに変わったようです。

私に身体を触られるのも最初は抵抗あったようですが、マッサージは間違いなく気持ちがいいし、それをやらないと大事な場面で足が吊ったり、筋肉疲労が増したり、またメンタル的にも、「力を抜く」ことの大事さや、精神状態と身体の反応がリンクしていることなどがよく理解出来たようです。
背が伸びる時期なので、今までと同じ身体の使い方だと伸びるものも伸びないし、縦ではなく横に広がった感じの動かしづらく、見た目的にもイマイチなスタイルになる、ということも納得したようで、私の言う事に素直に従って実践しています。

朝晩の会話も増えたし、何より信頼関係がだいぶ回復したように思います。
彼が小学生の間、ずっと仕事や勉強やトレーニング、自分が安定するためにいつも必死で、離婚もしたし、お金の心配もいつもあったし、他の家庭に比べたら私が親としてやってきたことなんて、本来するべき事の1/10くらいだったと思います。
それでもいつも私に迷惑をかけないように、一生懸命元気にやってくれていたのでしょう。
だから、今他の誰にも出来ない事を、私が出来て、本当に良かったと思います。
一人留守番させる夜が続いたり、食べるものが何も無かったり、唯一の家族である私の頭の中が彼ではない事で占められていたり、という時期も、今のためには仕方なかったのかもしれないと
受け入れられるようになっていると思います。

うちの場合は、今こうして思春期の男の子の難しい時期を乗り越えようとしていますが、
同じ年頃の息子を持つ親として、大津のいじめ問題に触れないわけにはいきません。

ヒトが成長して行く時に、身体の変化と共に大変な時がいくつかあるのですが、まず3歳くらいからのギャング期(母子手帳にも書いてあったと思います)、身体の機能が整って自我も芽生え、家族以外との接触も増えて行く中で、なんでもやってみたい、ダメと言われてもとにかく自分で試してみないと気が済まない時期です。
13歳くらいからの思春期、第二次性徴期で子供から成人へとホルモンの分泌とともに、精神的にもバランスをとるのが難しい時期です。特に受験という現実に向き合う前の中2は大変、大人になる前に最後の子供っぽさを過剰に発散させるような、そんな時期。

あと私は男性は40歳くらいからまた一山越えなくてはいけない時期があると思います。
若さや、親から貰った素質だけでは 生きて行けなくなって来る頃、家族があっても、独りでも、何かと将来の事を真面目に考えないといけない時期です。
それまでの自分の行いのしわ寄せが、心身に現れ始める頃でもあると思います。
幼児期のそれは完全に親が、 壮年期のそれは本人が100%責任を持って(大抵の男性は女性に頼ろうとするけれど。結局は自分のことなのだと受け入れた人だけが前に進めるのです。)、思春期のそれは、親も含めた周りの社会が皆で関わって乗り越えなくてはいけないと思います。
その時期に、出来るだけバラエティに富んだ魅力ある大人と関われるかどうかは、本人の何かもあるけど、親の何かが大きいです。それはある程度先を見越して準備しておくものだと思います。
親が狭い世界で生きていれば、子どもの世界もそうなる。すなわち、俯瞰出来にくいという事です。

  息子は昨年中2で、震災もあったし、いろいろ大変だったけれど、本人に、「それは男性ホルモンのせいだから」とか、「あんたのそれは中2病なのよ」とか、 「思春期ね」と、本人に俯瞰させる事で、落ち着いて考えさせていました。
中3の今はいろいろ落ち着いています。
本人も過渡期は大変そうでした。
身体が痛くてイラっとして、つい態度が悪くなって誤解されたり。
大人サイドはいつでも中学生の言動に何か問題の兆候がないかどうか疑っていますから。

 イジメの問題は、「対策」とかマニュアルに出来るものではないですよね。
周りの大人のほんの小さな何かで変われるものなのに、「中2は難しい時期」、大人の世界の「事なかれ主義」「閉鎖主義」、周りの「弱さ」「経験値不足」などが積もり積もって独りの我慢強かった少年を殺したという事実。

周りが変わらなければ浮かばれない。
イジメ加害者は社会全体なのだと、みんなで気付かないと変わらない。

誰にでも差別意識や偏見って多かれ少なかれあると思うのです。
理性的に弱者をサポートするのが正しいと知っているけど、本能的には弱者と自分に優劣や上下をつけて見ていたり。
人種、出身地、宗教、社会的立場、外見等等。
◯◯だから◎◎なんだという決めつけのようなもの。

自分が偏見を持たれていた経験があるから解るのですが、 そういう「理由」の主張は相手には何の意味も持ちませんよね。
だから出来るだけ広い世界を知る努力はした方がいいと思うのです。
特に自分と真逆の価値観や立場の人の思考回路や精神性からは、好みに関わらず、自分のバランスを整えてくれる大きな学びがあるはずです。

歪みが大きくなって、変わらないといけない から事件となって表面化したのでしょう。
イジメの問題も、ちょうど私が中学生の頃、社会で大きく取り上げられていた話題でした。チェルノブイリの事故が起きたのも同じ時期。
「時代は繰り返す」のかもしれませんが、人間が過去から何も学んでいないからでしょう。

私自身も「ヨガ」の大きな哲学体形を学んで実践していたから、自分の身近な問題に善処することが出来たと思うし、ヨガの先生でも、理想ばかりで実態というかプライベートライフはメチャクチャだなと思ってしまう人に出会う事がよくあります。

今は本当に一人一人が実地で学び、自分や周りを変えて行く時。

解決方法は、「怖れ」ではなくて「愛」の方を選ぶ事に尽きると思います。

Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger, anger leads to hate, hate leads to suffering.
--YODA, Star Wars Episode I: The Phantom Menace
怖れはダークサイドへ続く道、怖れは怒りを、怒りは憎しみを、憎しみは苦しみを導いてしまう。 
--マスターヨーダfrom ジェダイ



OM

2012年7月14日土曜日

バガヴァッドギータ

何年も何年も前、その頃の私の先生だったヒマラヤでずっとサドゥとして暮らして来た師に、「バガヴァッドギーターで、どうして自分の親類と戦う事をためらうアルジュナに、クリシュナ神は、戦え、と諭すのか、どうしてもわからない」
と、すごく元も子もない事を訊いた事があります。
「己の成すべき事を成せ」というカルマヨーガの教えだけれど、私は若くて、平和とかシャンティとかを、どこか作り物のお話みたいにみんなニコニコハッピー、って風に思っていました。息子もまだ小さかったし戦いなんてとんでもないって感じで。
そして、そんなことはあり得ないと、心の何処かで「平和」や「静寂」を信じていなかったように思います。
何かに怒ったりすることってものすごいパワーを秘めていて、「平和」を感じてニコニコ腑抜けになるのは嫌だなと、いろんな自分の内面の事に抵抗していたのかもしれません。

怒られるかと思いましたが、
その先生は、「すべての現象は自分の中で起こっている」 
のだと答えてくれました。だから、自分の中を見と。
私は何と答えたか覚えていないけど、咄嗟にそれを理解したような事を言ったか何かですごく褒めて貰いました。

でもそれから何年も考えて、最近になってまたよくその事を考えます。

今世の中で起こっている事って…
私はこう思います。
自分の中で何かをひっくり返す戦いを持つこと、そして自分自身との付き合い方や、今までの思考パターンや自分に対しても、自分以外の事に対しても選択肢を少し改めてみること。
結果を求めずただ自分が成すべき行為を成す。
これは元々Facebookのアカウントに投稿した文章なのですが、タイミング良くこんなブログを書いて下さった方がいます。バガヴァッドギーターについてもとても素晴らしく解説されていますね。
修行が足りず上手い言葉にならないのだけど、カルマヨーガは今とても大事だと思います。
それはボランティアとか無私の奉仕、そんな風に説かれる事が多いと思いますが、例えば遠くにいる不特定の誰かのために一生懸命ボランティアをし、その人は個人的にも喜びや自分が満たされる感覚を味わえるとします。
誰かの為に自分が役に立っていると思える事は、愛と同じで自分をすごく豊かな気持ちにしてくれます。
でも身近な家族の気持ちがよくわからなくなっていたりいたらそれは何か順番が違うと思うし、逆に身近な事を狭い視点でしか見ていなくて、今世の中で起こっている大きな流れ(すべての人が当事者です)が見えていなかったりしても同じ事で、結局は内側と外側の世界は同じなのだと、より良い世界で生きたいなら、まず自分の中や身近な事を変えて行かないと、という事でしょうか。
 ひとりひとりにとって、世界にとって、自分の中を変える事程有効な事は他にないでしょう。誰かに変えて貰うのではなく、自分で気付いて変えて行くのです。
ヨーガって結局そういうことなのですよね。
そしてヨガをしていなくても、その事に気付いて実践している人は、ジャンルに囚われずとてもいい活動をされているなと昨今思います。
私ももっとそうしていけたらなと思います。

バガヴァッドギーターのような智慧の詰まった文献を読み、熟考する事は ジナーナヨーガと呼ばれます。ハタヨーガ、カルマヨーガ、バクティヨーガ、ラージャヨーガと並び大切な道の一つです。
ヨガはとても時間がかかるものだから、いろんな側面から昇って行きたいですね。

Shanti

2012年7月13日金曜日

GAYATRI


Gayatri Mantra(ガヤトリーマントラ)はご存知でしょうか。

Om Bhur Bhuvah Svah
Tat Savitur Varenyam
Bhargo Devasya Dhimahi
Dhiyo Yonah
Prachodayat
 
多くのマントラはインドの神様に捧げたもので、その名前を唱えているものがほとんどなのですが、このガヤトリーマントラは、太陽のマントラとも呼ばれるように、何か特定の神様を歌っているのではなく、それぞれが思う一番神聖な、一番すごい、一番親しみのある、一番信頼している、いつも自分が一番力を頂いている、宇宙を動かしている源の存在に捧げるものです。
私に命を与えてくれ、目覚めさせ、恩恵を与え、護り、前へ進ませて下さっている事に感謝します、というような意味です。また、これを唱える事によって、たくさんの恩恵を得る事が出来ると言われています。
とてもパワフルで、インドでも最もポピュラーなマントラのひとつです。

私が初めて唱えたときは、少し難しいなと思いました。
発音や言葉をどう区切れば良いのかなど。
一音一音が力強くて、唱えているだけで力が湧いてくるような音魂で、とても気持ちがよいマントラです。多くのキルタンアーティストが必ずと言って良い程これを歌っています。
だから、きちんと習いたいなと思っていました。

3月にShiva MantraのWSを開催して下さった、Vedic Chantingの講師、桜井藍子さんが、今回は前回のおさらいからガヤトリーマントラまでを教えて下さいます。
(HPのイベントページをご参照下さい。 http://pranic-yoga.com/pg160.html )

・ヴェイディックチャンティングの説明
・Invocation chant

・「MA」 を使って、音階を学ぶ(前回の復習も兼ねて)

・「MA BHUMA」を使い、アスピレイション&音階を学ぶ(前回の復習も兼ねて)

・Gayatri mantrah(ガーヤトリーマントラ)を練習 *samhita パートのみ

休憩 5分

・もう一度Gayatri mantrah(ガーヤトリーマントラ)*samhita/krama パート

・Gayatri mantrah(ガーヤトリーマントラ)

*samihta/krama/jata/ghanaパート全て講師が詠唱
・Closing chant

・質疑応答


7月29日(日)18:00からです。
前回不参加の方も、Vedic Chantingがまったく初めての方もまったく心配なくご参加下さい。お申し込みはメールや口頭、SNSからではなく、出来るだけHPのお申し込みフォームから正式にして頂けると助かります。(わかんなくなっちゃうの。。。)
座学になりますので、普段ヨガをしていない方も是非。 


(((OM)))

2012年7月10日火曜日

Zen

「まっすぐ」っていうのは、決して「直線」でなくてもよいのだと、
「禅」な時間を過ごして思いました。
目的地にいくのに、最短距離で行かなくても、まっすぐそこに向かう気持ちがあればよいんじゃないかな。
そのまっすぐさはとても美しい。

言葉的におかしいかもしれないけれど、
「まっすぐなまる」というのがあってもいい。
まっすぐ進んだら元居た場所に戻った、とか。
でもそこにはただその場にじっとしていたのではない空間や時間の経験があって、
その見えない部分を感じることが、人を愛する事なのかもしれないですね。
OM

2012年7月4日水曜日

Intension

昨夜はGuru Purnimaで108回のグルマントラを唱えて来ました。

Guru Brahma
Guru Vishnu
Guru Devo Mahesvarah
Guru Sakshat Param Brahma
Tasmai Shri Gurave Namah

満月はチューニングの日。

先週首相官邸に集まった10万人とも20万人とも言われてる、大飯原発再稼働反対のデモの人達のことはご存知でしょうか?
また7月1日に再稼働が開始された大飯の現場でも、警官や機動隊と対峙しながらただ平和的に「私達は再稼働を望んでいません」と訴える人達の熱い攻防をU- Streamなどでご覧になった方も多いかと思います
やっと新聞やTVのニュースでも報道されるようになりましたが、活動している方々が地道に直接各機関への訴えを行って来たからです。

鎌倉、逗子、藤沢、葉山などの人が最前線で頑張っています。
地元で育った私にはよくわかるのですが、土地柄、生活を大事にしていて、仲間意識が強く、自然や音楽、アートなどを愛し、アウトロー路線を行きながらも大事な事にはいつも真剣で、日々様々な事を考えながら独自の活動を続けている、それぞれ一芸に秀でた人達です。

直接的な反対の運動をすることをためらわれる方は多いでしょう。
でも、それは生活ががらっと変わってしまったり、物質的に困るようなことに向かう何かではありません。
周りを見て便利過ぎておかしくなっているところや、無駄な事を繰り返してまで未来を危険にさらさなくてもよいのでは?というシンプルな意見と態度です。

やはり誰もが去年から少しずついろいろ考えされる場面が日常の中にも少なからずあって、徐々に意識が熟して来たのではないかなと思います。

 あと少し、それは決心とか決意というような緊張感に満ちたものでもなく、ただ自分の中の素朴で優しい部分を感じる、それを大事にしていこうと思う、そんな事で良いのではないかと思います。
行動出来る方は是非。
今週も金曜の18:00に首相官邸前を包囲し、自分たちの意志を伝える、そんな集まりが行われるようです。
人の意識が世界を創り世界を変える。
思う事も力になると思います。
OM

2012年7月2日月曜日

Guru Purnima

今度の満月(7月4日 03:42) は、グルプールニマーです。
Purnimaは満月という意味、グルに感謝の祈りを捧げる満月です。


 「グル」という言葉、真面目に考えれば考える程、私には少し馴染まないというか、たぶんそういうすべてを捧げるという師弟関係が今はないからだと思います。
そういう師弟関係がないのは、私が「人間は完璧にはなれないし、人間が考えたもので完璧な存在はない。だからバランスをとるためにいろいろ学ぶ、たぶんそれが人生。」というスタンスでいるからかもしれません。
人を簡単に「グル」だと思ってはいけないと思っています。
「捧げる」という行為は「依存」と紙一重、師に対する家族のような深い信頼と「自分」の境目は、今 家住期(インドでは人生を大きく4つにわけて、学ぶことに専念する学業期、家族や仕事を持ち子供を育てる家住期、子育てが一段落した後、じっくり瞑想にふける林棲期、そしてすべてのものから離れ、この世への執着を捨てて放浪に入る遊行期です)にいる私には必要です。
 若くして息子を持ったので、学業期と家住期がいつも平行していたような私ですが、最近本当に改めて大切だなと感じています。

ただ、この地球上に、本当に人間の粋を越えたグルと呼ぶにふさわしい方が大勢いらっしゃることには変わりありません。出来ればいつか出会ってご縁を頂けたらなと思います。

もともとこのグルプールニマーの「グル」は、ヴェーダを編纂したと言われる聖仙ヴィヤーサのことで、霊的な教えをこの世にもたらした偉大な聖者に感謝を捧げる日です。
この教えは人間が作ったオリジナルではなく、インド的に言えば、神々の世界から降りて来たものです。
私達はそういうものを学んでいるわけで、だからこそその源に思いを馳せ、感謝をすることが必要なのでしょう。
人間はなかなかオリジナルにはなれないものです。
親や先祖から受け継いだもの、教わった事、周囲の環境、思春期に影響を受けたもの、出会った人 、毎日流れるニュースや、その日の会話、見て来たもの学んで来た事、などいろんなものが混ざり合ってそれが「自分」だと思っています。
ヨガでも、最初に出会ったもの影響はとても大きいと思います。
いろんな先生に習っても、その後ご縁が続かなかったとしても、やはり最初に出会ったヨガから大きく影響をうけているはずです。私もそう。
 何に出会うかも、出会えるのかもカルマです。
だから手を合わせて全部受け取り感謝します。

アレが正しい、ソレは間違っているという思考は過去何千年もの間多くの修行者が陥り、宗教や戦争を生み出し、結果善いものがまっすぐ伝わらず、パーツパーツに細切れになり、まったく違うものに変えられたりして歴史にも多大な影響を与えて来ました。
一生懸命何かを目指そうとすればするほど陥りやすい魔境は、どこにでも存在しているものです。
今までのそういう自分を含めた歴史から変わっていくために、智慧の源である存在に対して、感謝を捧げたいと思います。
私達の世界にこの先も多種多様な命が栄え、お互いを思いやって尊重しあう心で満たされますように。
OM