2012年6月27日水曜日

思春期のヨガ 2

お陰さまで、息子との毎朝のヨガはかれこれ一ヶ月になります。
( 過去記事:思春期のヨガ http://pranicyoga.blogspot.jp/2012/05/blog-post_29.html )

これを始めてから彼は一回も腰の痛みで踞る事がなくなりました。
気圧の変化で痛みが増す梅雨時期が不安だなと思っていたけれど、改めてヨガってすごいなと実感しています。

思春期に男の子は一年に10cm以上背が伸びたり、急激に足が大きくなったりするので、一時的に体をうまく使いこなせなくなったり、体幹や足底の筋力が追いつかなくて、膝や腰に負担をかけてしまうものなのだそう。

椎骨の横突起の間をつなぐ靭帯は、長時間の前屈を維持出来る程強くはありません。
背中を丸くした姿勢が続くと、誰でも慢性的な腰痛になってしまいます。
授業中はずっと背中を丸くして、放課後は部活動でいきなり激しく体を動かすという毎日では、ある意味痛くなって当たり前だったのかもしれません。
それでも殆どの子がそういう症状にならないのは、まだ体が固まっていなく柔軟性があるからでしょう。
でも、意識して動かさなければ、大人になるに連れ、柔軟性はどんどん失われていくもの。

また、運動部ではとにかく筋肉をつけるとか、体力をつけるとか、マッチョな方向で体を扱う事も多く、体幹が出来ていないのに外側に筋肉を乗せて、余計負荷が増えるという指導方法が多いですね。
ヨガはストレッチではないけれど、体がどう構成されていて、骨盤を立てる為にはどんな筋が作用して、肩や股関節はこういうふうに使って、というような智慧がたくさん含まれています。ほんの少し力の入れ方を変えたり、姿勢を崩したりするだけで、同じアサナが全然別のものになってしまうという経験は皆さんお持ちだと思います。
逆に正しく行う事で、同じ事が劇的に楽になったり、痛みを伴わなかったりということもあると思います。

男性がヨガをするという事に対して、まだまだその良さが理解されていないなと感じるのですが、ヨガでは確実に筋力、柔軟性、スピード力、安定感、が増します。
足ひとつにしても、きちんと関節を安定させて使うよう癖付けていきます。

 女の子にとっても生理が始まったりして、体のシステム自体が大きく変わり、ホルモンの影響で心身ともに不安定になる時期です。見た目を気にしてダイエットしたり、ケミカルな化粧品等に手を出したりする時期です。
健康に過ごして行く為には、知らないといけないことがたくさんあるのに、授業では殆ど学べません。
第二次性徴期であり、細胞分裂も活発に行われる時期だからこそ、体形や体質もこの時期に大体決まってしまうから、とても大事なのに。

学校の先生が少しでもヨガを知っていたらなと思うのですが、増えて来たとはいえ、日本ではまだまだきちんとした知識や経験に基づいたヨガの先生が少ないので、学校で取り入れられる程受け入れられてはいないのでしょう。
(子供に人気があるからとはいえ、Hip Hopダンスが何故授業に?)


また、ヨガでは、ヤマ、ニヤマという道徳的な指針があります。

「ヤマ =禁戒」
アヒムサ:非暴力、不殺生。生きとし生けるものへの思いやりを含む観念です。
他者のみならず自分にも同じで、自らの体をいたわらない事は、この教えに
反します。
サティヤ:正直。真実に忠実であることです。生き方にも矛盾がないよう自分の信条
を大切にする事も含まれます。
アステーヤ:不盗。他人の物を盗まない、のはもちろんですが、アイディア、言葉など
についても同じです。また、他人の物をうらやむ心を一切持たないという
意味も含まれています。
ブラフマチャリヤ:梵行。性的な道徳という捉え方でよいのではないでしょうか。
僧侶のように性行為を一切行わないという意味でも使われますが、
私は逆に正しく理解する事もブラフマチャリヤだと思っています。
アパグリハ:不貪。貪る心を持たないということです。
欲望や願望とは区別して、必要なものを必要な分だけ手にし、
「もっともっと」と 思うところから離れる事です。

「ニヤマ=勧戒」
シャウチャ:清浄。体や周囲の環境、思考などが清らかである事、そうあるよう保つ事。
サントーシャ:知足。満足する心。今自分が持っているものの価値を認め、
自分が持っていない物に対しても過度に執着しないという教えです。
ただ、「今のままでいいや」という、現状を変えたくない言い訳に
使わないというところが大切です。
タパス:苦行。もともと「焼く」という意味です。情熱とか炎のような決心や熱意という
意味でもあり、不浄なものを取り払うという意味も含まれます。
スワディヤーヤ:読誦。本を読んだり、文献を紐解いてみたり、
自身で学びを深めて行く事です。知識を学び続ける姿勢とも言います。
イシュワラプラニダーナ:自在神祈念。宗教や教義という意味合いではなく、
神に対して心を開く事です。神という言葉は「愛」としても、
「宇宙の法則」「自然」「見えない力」とか「自己の真性」
とか、違和感の無い言葉に変えても良いと思います。

こうようなことも、私は確か13歳くらいで知ったように覚えています。
世間一般の価値観での「幸せな家庭」で育っている子ばかりではない昨今、もっとその子自身が自分に対して知ろうとしたり、自信を持ったりする指針になると思います。

今の子供達が大人になる頃、エネルギー問題や環境問題がどうなっているのか、今より良くなっているのか悪くなっているのかわかりませんが、確実にみんなが考えないと生きて行けない世の中になっているはずです。
ビジネスも、利益を追求して多くの人から搾取したり、負担をかけるようなやり方は成り立たないでしょう。ヨガ的思考って、世間に揉まれて疑問を感じてから行き着くより、最初から持っていた方が絶対にいいですよね。

思春期の子供にヨガを教える事って、すごく未来のためになると思いませんか?

OM

2012年6月22日金曜日

火と水の和合する時

台風〜新月〜夏至、とパワフルだった今週。

私も大浄化モードでした。
大掃除を始めたり、声が出なくなったり、逆に体の中から古いものが出て来たり、記憶が蘇って来たり、とにかく定期的にしょっちゅうこんなことを書いているような気がするけれど、生きるってそういうこと。新しい気付きがすごくたくさんありました。
そしてさらに淡々とニュートラルになってきた自分と、逆に感情や思いの力、を実感しました。

浄化に意識を向けない人は、大体今に居ないというか、アップデートされていないというか、たぶん後でまとめて追いつかないといけない時が来て、それは大きな病気だとか、どうにかせざるを得ない事態だとか、まあとにかく大変だろうなと想像します。

初めてヨガに来る人はそういう大きな出来事の後だったり、または自分で「なんかズレて来た、どうにかしなくちゃ」と気付いた人だったりが多いのではないかと思います。
体から入るにしても、そういう視野でヨガと向き合って頂きたいなと思います。

いきなり結論を書いてしまいますが、
これからは火と水が和合していかなければ進んで行けない時だというメッセージを至る所から受け取っています。
夏至の日、世界中の長老達が祈っていたのも火と水の和合だったと思います。
火であるマヤと、水であるワイタハの長老達も先日富士山で一緒に儀式を執り行ったそうです。こんな時代が来るなんて。。。

火と水は決して混ざり合わないけれど、相殺の関係にも相乗の関係にもなれる互いに正反対であり、似ていると考える事も出来る要素。

男女、とか西洋東洋、とか思考と感情とか、現実と理想とか、人間と自然とか、なんでも当てはまると思うのです。
誰でもそれぞれテーマを持って生きていると思います。
「みんなで一緒に考える」事も大事かもしれないけれど、個人個人がそれぞれ持っているテーマを考え、自分自身で折り合いをつけ、行動に現わしていく時かなと思っています。
別に誰に知られなくても良い、とても個人的な一つ一つの事。
「カルマ」という言葉で正しく伝わるといいのですけれど。
そしてそれは今でなくとも、ずっとずっとずっと昔から言われて来ていた事。でも、今までとは何かが違う、少しずつやっとそう本気で捉えられる人が増えて来たのかもしれません。こんな事をわざわざ書かなくても、もうみんな誰もが知っているんだという安心感。
私の毎日も気付きとともにどんどん良くなって行っている気がします。
ほんの少し前の事が完全に過去だなと感じるスピード感と、あまり動かないような落ち着いた感じ。
世界全体「意識のさなぎ」という感じがしています。
蛾が出るのでしょうか、蝶が出るのでしょうか。
OM

2012年6月16日土曜日

Padmasana 蓮華座

最初のヨガのアサナです。
瞑想をするための姿勢です。
長時間エネルギーが滞らないよう背骨を伸ばして坐り、たとえ意識が飛んでしまっても体が倒れて怪我をしたり、眠りに落ちてしまって意識が怠惰になってしまわないよう、下半身を安定させ、上半身は姿勢を保ちながら楽に深い呼吸が出来るような、パドマアサナに焦点を絞ってやればやるほどこの姿勢の完璧さに唸る思いです。

アサナは、「安定」という意味を持つように、安定するために行うものです。
大抵日常の中で多かれ少なかれ、上半身に余分な力を加え過ぎて、支えとなってくれる下半身には力が充実しきれていないというのが殆どのように感じます。
意識していないとき、私達は先に脚から力を抜いて、上半身(肩や首、腰)などは緊張が残っていることが殆どだと思います。
上半身は様々なクリエイティブな活動を行うと同時に、内臓などの生命維持器官が休み無く働き、私達にはすべて把握しきれない精妙さで毎日の私達の活動の中心となってくれています。呼吸も含めて、それぞれの器官が自由に最大限に働けるよう、スペースを作って楽にしておくべきだと思っています。
反対に脚は、基本的に筋肉と骨です。
とてもタフで、体重を支えたり、私達の体そのものを運んだり安定させるための土台となってくれている場所です。

脚を深く組んで坐ると、嫌でも背筋が伸びずにいられません。
瞑想するとき、背骨からダイレクトに繋がっている脳の一番深い部分にコネクトし、自分を中から観て変えて行ったり、深いところからの記憶や感情を呼び覚ましたり、構築し直したりということを行うと思います。
その時に姿勢が保てないといつもの思考回路から抜け出す事がなかなかできません。
いつも絶え間なく働いている、脳の一番表面の 大脳新皮質(ここが一番酸素を消費します)の活動を休ませ、徐々に呼吸さえも必要なくなるギリギリ手前のところまで、肉体的な活動を落として行きます。

パドマアサナは実は脚にとても強い力をキープしたまま行うものです。
股関節、膝、足首がそれぞれ柔軟な事はもちろんなのですが、股関節を外旋させて脚を組んだら、さらに内転筋(内股)を締めるようにしてさらに深く組みます。
この外に開く力と内に締める力の均衡で骨盤や背骨を立てることが出来ます。
脚は、腕と違って、捻って使う事が出来ないので、深く組んで初めて股関節と膝、膝と足首の方向が同じになります。
最初の頃の、足をちょこんと組んだパドマアサナ、ちょっと頑張って坐っても、すぐに痛くてたまらなくなったりしませんでしたか?
内股を使って深く組んだら、足の甲や脛を使って、下にぐっと押すようにします。
背骨を伸ばそうとするとき、必ず下に向かう力を発生させないと、上に向かう力も発生しないからです。
下半身を上手く使えないと、今度は腰に力を入れて同じ事をしなければいけません。
足で床をプッシュして立位のアサナをキープするとか、内転筋を使ってバンダを入れるとか、ハタヨガの様々なアサナは、結局パドマアサナを行う為の練習や準備運動そのものです。
大人になってから、ヨガを始めた場合、パドマアサナを組むまでに相当時間や練習が必要になってくることも多いと思います。
どうしても出来ない場合もあるかもしれません。
いずれにせよ、シッダアサナなどで坐る場合にも、内転筋や足で押す力を時々思い出しながら、脚だけ組んで背中は丸いということが無いようにしたいですね。
呼吸を背骨に通すように行うと、自分の身体の深いところからの感覚が得られます。
私はそれを頼りに徐々に瞑想に入って行きます。
坐った時になかなか意識を集中出来ない時には試してみて下さい。

泥の池の中から、茎をまっすぐに伸ばして一生懸命咲こうとする蓮の花に例えるなんて本当に抜群のネーミングセンス。
(私は、伝統的なヨガのアサナに秘かに自己流の名前をつけたりすることが好きです)
パドマアサナは、女性特有の様々な体の悩みにも高い効果があるところも素晴らしいなと思います。自分の練習が足りなかったり、弱い部分もすぐに明確になるので、時間がなくても必ず坐る時間は欠かしません。
本当は電車のシートでもこの坐り方で居たいけれど(ちなみに飛行機の機内や車のバックシートでは大体これ)、そう思いながら脚を組んでいたりします。
街中で瞑想している人が普通に受けとめられるような日が来ないかと、秘かに期待しています。OM

2012年6月11日月曜日

World Oceans Day

http://www.thecleanestline.jp/2012/06/world-oceans-day.html?id

発起人の武田真由美さんが、パタゴニアのブログ、クリーネストラインに寄せた記事⇧

イベント当日は生憎の雨降り。
ビーチクリーンや、サーフィン体験教室など、中止になってしまい残念でしたが、江ノ島水族館前のステージプログラムは予定通り行われました。




オーシャンアスリートの鈴木一也さんの話。相模湾を、9時間かけて泳いだ時の事。
「茅ヶ崎~江ノ島は水が茶色、河口は生臭い、七里ヶ浜あたりは漂流しているゴミも多い。葉山のあたりで少し水がきれいになる。イルカが三頭跳ねているのを見たのも葉山のあたり。湘南全域で見られるよう、活動を続けたい。」

「海に行ったら、ひとつでいいからゴミを拾う。そこで楽しかったり、ホッとさせてもらったりする感謝。」ビーチクリーンウォーカー岡野龍介さん。

など、もっと海に関するお話聞いていたかったです。
湘南学園の子供達。

ヨガは、雨風吹き荒ぶ中で、普段着で初めての方対象に、どうしようか結構悩みましたが、巻きで出番を頂いて、もうあまり考えずにやるしか無いという感じ。
滑ってコンクリートの上で怪我をされるのが一番の懸念でしたので、あまり立たずに、膝を着く事を多く行いましたが、マットもゴムでなかったので、もし膝が痛かった方いたらすみませんでした。

最後は参加者全員ステージに上がって貰って、輪になって呼吸を合わせて、周囲の状況を一瞬すべて忘れてしまうピースな時間。

ビーチで出来たらホント良かったのにと思いますが、天気だけは仕方ない事。

関係者の皆様、参加者の皆様、最後サクラになって下さったボランティアスタッフの皆様、ありがとうございました。

海の事はまた書いて行きたいです。
湘南の海を心からきれいだといつまでも好きでいたいですから。
正直今は汚いとしか思えない。
息子もそうだと思います。波乗りしたいけど汚いからどうもやる気にならない。
カリフォルニアの海の高い環境保護意識に守られた自然、観光客で埋めつくされていても、ゴミひとつ落ちていないビーチに驚いていました。
日本は、例えば沖縄の海は美しかったけれど、環境が保護されずに、商業施設が建っていたり、ゴミが散らかっていたりもしました。漁業組合が管理して、一般人が近寄れない場所も多い。
国土をすべて海に囲まれた私たちだから、もっともっと海について考えていいのではないかと思います。陸、川、海、は切り離して考えるものでなく、私達の腕とか、脚とか胴体とかと同じように繋がってひとつです。
自分が暮らす場所とも食べるものとも繋がっている。
ヨガをしていたり、私のブログなんかをお読み下さるような方は既に意識が高いですよね。
誰に言えばいいのかしら。

これからも出来る事があれば、積極的に関わって行きたいです。
OM

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2012年6月7日木曜日

思春期のお洒落心

思春期というのは大人でもなく、子供でもなく、妙な思い込みが充満していて、大抵厄介なものなのだけど、それでもよくわからない無邪気さとあっけらかんとした青春な感じが、やはり見ていてとても面白い。

育児はたぶん3歳くらいまでが毎日めまぐるしく変化して、親もああだこうだと悩んだり喜んだりするのだけど、思春期はある意味その頃に匹敵すると思う。

友人にはうちの息子と同い年の娘さんがいて、震災後しばらく離れて暮らしていたのが、最近また父子家庭として一緒に暮らしはじめた。
しばらく会わないとお互い「あれ、こんなだったっけ」という感じが強いらしく、端で見ていても面白い。
修学旅行に行く娘。
いろいろそれ用に服が欲しい。
一緒に買いに行って家でファッションショーになる。
ああでもない、こうでもないと真剣な大騒ぎになる。
「なんでもかわいいよ」と半ばあきれて言う父。
「それじゃあ話にならないの」と娘。
男親の答え方としては、パーフェクトだと思う。
男は女にそういうことを訊ねられたら、あれこれリアルにアドヴァイスしてはいけない。
「もう、全然参考にならない」と文句を言われながらでも、「全部かわいい」と答えるしかないのだ。それ以外はすべて不正解である。
「なんなんだろうね、あの女の子のファッションショー 」と苦笑いの友人。
それでも嬉しそうは嬉しそう。

私は父親が居なかったからそんな想い出はないけれど、まあ自分にも覚えがある。
ただその頃は黒ずくめのファッションが流行っていて、黒ばかり着ていたような気がする。
大人から見たら奇妙だったと思う。

息子にもそういうのは一応ある。
ただ、彼の勝負服はバスケの練習着。
所詮短パンとTシャツでしかないのだけど、黄色のパンツには赤のTシャツが合うか紫の方が上手そうに見えるかとかそんなことで貴重な朝の時間を潰している。
どっちにしても、かっこつけているつもりが、「元気いっぱい」な感じに仕上がってしまうのだからまだまだかわいい。
ただ私服のセンスがあるんだかないんだか、身体の成長が速過ぎるのかで、「小綺麗なカジュアル」を目指しているのに、いつもツンツルテンで残念な感じが否めない。

ほんの少し前まで、私と一緒にいるところを誰かに目撃されるのを一番畏れて避けていたのに、「ちょっとそれあんまりだから、服一緒に買いに行く?」というと「うん」と素直。
ふふ、男の子の服を買うのは自分のを選ぶよりも楽しい。 
だから大昔はヴィンテージを扱うアメリカンカジュアルの店で働いていたのだ。
友人と二人、若干20歳そこそこで店を切り盛りして今思えばメチャクチャだったけど楽しかった。

まあそれは置いといて、
この劇的な変化は、やはり朝のヨガとタイマッサージの効果なのかなと思う。
お陰さまで、痛みがだいぶ楽になって、腰を動かせる範囲も少し増えて来た。
「うちのお母さんもなかなかやるな」と少しは思ったのかもしれない。
反抗期の「こいつホントかよ」から、「この人の言う事は結構役に立つ」と認識が変わったのかもしれない。
それとも、目に見えないレベルの何かが、手や体を通して伝わったのかも。

去年少しタイマッサージのWSをやったけれど、正直あまり上手くお伝え出来なかったと思っている。資料も作成しなかったし、気持ちのいいところに行く前の基本的なところに時間を割き過ぎてしまったと思う。だからもうちょっと参加者を信用して、いろいろ盛り込めば良かったかなと。
でも、一番伝えたかったのは、身近な人との関係が全然変わってくるんだよということ。
もともと仲睦まじくても、もっともっと壁がなくなる。信頼関係が深くなる。
ギバーとレーシバーという言い方をするのだけど、最初はレシーバーが多くを受け取るのだけど、結局はギバーがレシーバーからたくさんのものを受け取る。

震災があって、シリーズで進めて行こうと思っていたものが、途中でそのままになっているまま。興味があってやりたい何組かの方が居たらまたやろうかなと思う。
あまり難しくなく、体はどういう方向に持っていってあげると気持ち良く整うのかを中心にやっていければ、ヨガに入るのも楽になる。
まずはもう少し息子で様子を見て行きたいと思います。
タイマッサージ、受けてくれた方、ほんの一つの技だけでも身近な人にまたやってみて下さいね。



2012年6月4日月曜日

ひとつひとつ組み立てていくこと

先日、韓国から来日のHyo Jin Shaila先生のWSに参加してきました。
http://www.jaicenter.co.kr/
普段はソウルのJai Yogaというヨガスタジオで教えていらっしゃいます。

様々な流派のヨガを学んで来られた先生の教え方が、私は好きです。
Shaila先生も、アシュタンガ、アイアンガー、アヌサラなど、私と似たような経歴をお持ちで、音楽を繋いで流しながらの独自のフロウスタイル、「Heart Viniyasa」を教えていらっしゃいます。

テーマを決めたクラス構成、テーマに合わせたピークのアサナを決め、それに向かって必要なアサナを繋げていき、終わりに向かって使った筋をクールダウンさせるアサナを入れて行きます。
ま、ずうずうしいけれど、私が各クラスで行っているのと全く同じスタイルです。
韓国の女性は、アジアのたおやかさを持ちながら、どうしてあんなに日本人女性にはあまりみられない種類の強さがあるのでしょうか。
美しくて力強く、賢くてセンシティブなShaila先生、私はとても好きだと思いました。
Heart Vinyasaのクラスを受けた後、このスタイルでクラスを組み立てて行くための指導者向けの講座も、久しぶりな感じでとても楽しみました。
ヨガのWSを受けたのは、実はもう前回はいつだったか思い出せない程前です。

4人で一組になって、その場でピークポーズを決め、シークエンスを組み立てて行くのですが、私のグループは普段ヴィンヤサを練習していない方や、まだ指導者ではない方だったこともあって、結局私が仕切ることになってしまいました(汗)

ピークポーズはヘッドスタンドがいいということになったので、じゃあそれに必要な準備はどういうものが考えられるか挙げて行きます。
 まず、
■アラインメントの確認:タダーサナ
■ 肩のストレッチ:プラサーリタパードッターナーサナ
■肘で床をプッシュする感覚:ドルフィン
■正確に頭頂部を土台に据える:シャシャンカーサナ
という感じ。
これプラス、脚の強さやお腹を使って脚を持ち上げる強さ、肩甲骨を引き付ける事への意識等を確認するために、ガルーダアサナやウトゥカターサナ、ハスタパーダングシュターサナなどを加えて行きます。
どう繋いで行くかは、私がその場で即興で決めて皆さんと実践してみましたが、ヨガインストラクターになりたての頃は、これを毎回ノートに書いて、ひとクラス毎まとめて、暗記して。。。と毎日そうやっていました。懐かしいな。。。
それが今はすべてクラス直前やクラスを進行しながら、頭の中でささっと組み立てていますが、基本は同じです。
Shaila先生にチェックして頂いて、「言う事無し」とのお墨付きを頂いて一応「ほっ」(笑)一緒にグループになって下さった皆様、ありがとうございました。

音楽はMC YogiのElephant Powered Omstrumentalsに入っているBe The Change( Bollywood Dub Omstrumental)など、私もよく使っていたものだったり(ただ初心者向けのクラスだと強すぎるかなと思って遠慮したりしてます。笑)、韓国の音楽かなぁ、とてもセンチメンタルで美しいものなどで、本当に楽しかったです。

このWSをオーガナイズされた108Yogaの山本俊朗先生ともすごく久しぶりでした。
私は実はTTの先輩にあたるのですが、 後輩の活躍は本当に嬉しい限りです。
Kulaから抜けた私ですが、あたたかく迎えて下さって心から感謝です。

ひとつひとつ組み立てて行くこと。
同じアサナを何回も、何百回も、何千回も練習して行くには、より深くより意識化の範囲を広げて、すべてのパーツ、エネルギー、呼吸、感覚を調和させて、目に見えないレベルでの進化が必要です。
ある程度出来て、いろいろ解って来て、そこでやめてしまったりさぼってしまったり、新しい事を求めて違う事をしたり、アドヴァンスのアサナを集中して練習したり。
ヨガとの付き合い方も人はいろいろだと思います。

ただし、体はヨガをするための道具ではなく、いつもトラブルを抱えている邪魔な物でも、面倒をみてあげなければならない世話の焼けるものでもありません。
どちらかといえば、体に生かされているという方が正しいと思っています。

ひとつひとつ丁寧にステップを踏んで行くと、必ず行きたいところに一緒に行くことにできる、もしくは自分を運んでくれる、そんな愛しい相棒という感覚はプラーナヤーマの練習をきちんとしだした頃に芽生えたものでしょうか。

いろんなヨガがあって、私でもヨガってなんなんだろうと思う事もしばしばあります。
でも、ひとつひとつやっていく、だって体はいまこの瞬間にしか居られないし、この瞬間に出来る事は限られています。
それを組み立てて何かにしていくその当たり前の事がヨガかなと、最近生徒さんに伝えたい事はただそれだけなのです。

そう言いながら、自分は毎日ジャグリングのようにいろんなことを同時進行で行っていますが、まだまだヨガが足りないかもしれません。甘えも多いと思う。
自分の現状に言い訳せず、集中した時間をもっと持とうと決めました。
誤解される言い方かもしれないけれど、自分の事がとても好きだからです。
いつも私を生かしてくれていて本当にありがとう。
OM