2012年3月31日土曜日

倍音と言語(日本語、英語、サンスクリット)

Heart Beat Yoga vol,1 倍音の夕べの後、日常の中で倍音について考えることが多くなりました。
前回のブログ記事で、「日本人は倍音民族といっていいのかもしれません 」と書きましたが、本当にそうみたいです。私は日本語を話すとき(ヨガのクラスでははっきり発音して声が通るように使い分けています)には、かなり倍音の多い声で、英語ではなるべく倍音を少なく喋っています。
どうしてかなと思ったら、倍音って母音「a, i, u, e, o 」にしか効かせられないのですね。
たとえば、「お母さん」などは「o, ka, a, sa, n」で、ひとつの音にすべて母音が付いているのですけど、子音の多い英語だと「mother」となって、 子音に倍音を効かせてしまうと「ma」だか「ha」だかよく聞き取れなくなってしまうので、必然的に子音ははっきり発音しないといけなくなります。この「o」も「あ」でも「お」でもなく「 mʌ́ðər」という、もはや記号でしか表現出来ない音ですよね。あまり音を溜められないというか。

日本人が英語の発音が苦手なのってもしかしたら子音をはっきり発音し分けられないで、全部倍音で喋ってしまうからなのではないかなと思い当たりました。
私も、英語は日本語より低い声で話すので(じゃないと馬鹿扱いされます)、うまく子音が発音出来ないとしょっちゅう聞き返されます。丁寧に喋ってるつもりのときほどそうなのです。たぶん落ち着いた印象を与えようとして倍音喋りになっているのでしょうね。

そして、サンスクリット語にも気付きがありました。
キルタンの練習会などもあったので、車の中ではたいてい練習で歌っています。
サンスクリットは、本当はデーバナーガリー(देवनागरी devanāgarī)文字で表記され、aだけでも4つの発音の仕方があり、アルファベット表記では表現に無理があるのですが、母音が19音もある倍音構造の言語なのです。
例えば「Om Namo Bhagavatte Vasudevaya」 は「オーム ナモー バガヴァッテー ヴァースデーヴァーヤー」、「Om Namah Shivaya」は「オーム ナマー シヴァーヤ」、「Lokha Samastha Sukino Bhavantu」「ロカー サマスター スキノー バヴァントゥー」と、私達日本人にはすごく親しみやすい音の出し方です。
サンスクリットはその音の響きひとつひとつに意味があり、神の言葉と言われ、世界で一番完璧な言語なのだそうです。

だからキルタンはその音の組み合わせを繰り返し歌う事で、倍音が体の細胞を振動させ、バイブレーションを高め、周りと調和させ、リラックス感や、ハートが開くような独特の高揚感に導くのですね。
よくアメリカのキルタンアーティストが歌う、英語と組合わさったキルタンがあるのですが、同じメロディでも英語のパートとサンスクリットのパートでは全然気持ちよさが違うのです。

そんなわけで明日はそのサンスクリットで行うヴェーディックチャンティング のWSです。15:30江ノ島スタジオです。 http://pranic-yoga.com/pg160.html
本当に一番最初の入門的なところから教えて頂くので、私も楽しみにしています。
座学なので、人数は増えても大丈夫です。
もし興味ありましたらご一緒しませんか?

最後に、傷ついたDNAを修復するという528hzにチューニングされたギターのサウンドヒーリングを載せておきます。
528hzは、66×8で、66hzというのは地球内部の周波数らしいです。
その地球内部の周波数が、2倍、4倍、8倍となって、文字通り四方八方に拡大して528hzになるのだそう。
 http://www.youtube.com/watch?v=8Qjq3CBXl-E&feature=youtu.be
効果はいかほどでしょう?
次のHeart Beat Yogaはギターで考えているので、とても興味深いです。
なによりこのテの528hzの音は、サウンドヒーリングにはよくあるのですが、これは今まで聴いた中で一番気持ちよかったです。
音は本当に面白いです。OM

2012年3月27日火曜日

Heart Beat Yoga vol.1 倍音の夕べ

念願の第一回Heart Beat Yoga、多くの方に協力して頂いて無事開催することが出来ました。
今回はMojoさんこと遊響さんのディデュリデュ、倍音フルート、ティンシャ、ユキヒロ君のダラブッカ、(ヨッシーのだけど)ドゥンドゥンというアフリカンドラム、レインスティック、そして昼間のクラスも受けに来てくれた歌姫雅紀与ちゃんの即興ヴォイスで、倍音の世界 を身体を使って体験して頂きました。

倍音というのは、音を構成する要素の最も周波数の小さい「基音」以外のもののことをそう呼びます。私達がひとつの音だと思っているものも、実は複数の音から構成される複合音で、それらの要素がどう含まれているかで音色が作られます。

そして、石作りの西洋の建物は基音がとても響くので、耳に入る時倍音は聴こえにくくなりますが、日本の家屋の場合、木や茅葺きの屋根、障子、ふすまなどの紙、畳 、など、音を吸収する作りになっているので、自然と倍音が多い楽器や、私達の発声の仕方も倍音の多い話し方になっているそうです。
だから、音楽も、ひとつひとつの音が味わい深い分構成がシンプルで、音を重ねて構成も複雑な西洋の音楽とはまったく異なるのだそうです。
日本人は倍音民族と言ってもいいのかもしれません。

そしてそういう音を出すには、まず呼吸を深くして、自分の内側に空間を作り、そこに音を響かせるようにするのですが、最近は呼吸が浅いことと、はっきりと発音することを求められるTVに出ている人を無意識に真似することや学校教育などで、日本人の声の質が変わって来てしまっているそうです。
倍音の響きは人をリラックスさせ、合わさる様々な音の要素から、細やかな情報を伝える事が出来ます。声のトーンで私達は言葉以上に繊細なコミュニケーションを行っているわけですね。
一般的に倍音の多い声の人は穏やかで落ち着いた印象を与え、倍音が少なくはっきりとした音で話す人は強い印象や緊張感を与えるそうです。そして多かれ少なかれ、私達は無意識にそれを使い分けているのだとか。
響く空間をPranic Yogaの呼吸を使って拡げているところ。
(この呼吸は密息と言って、着物を着ていた頃の日本人の呼吸ともかなり通じるようです)
そしてそこに自分の声や呼吸音と、外側から聴こえてくる音をシンクロさせて響かすというような事をしました。
低い音、高い音で、「背骨に何かが通る感じ」とか、「ぼわっとした」とか、初めての体験で感想は上手く言葉にならなかったようでしたが、 細胞が振動し、全身マッサージを受けたときのような感じになります。流れが良くなって喉が渇いたりトイレが近くなったり、体中がポカポカしたり、私は軽くハイになりました(笑)
皆さん、本当にありがとう。
もっともっとやっていたかったね。
終了後は皆さんとオーガニックのラズベリー&ネロリのお茶を頂きながら歓談。
隣ではベリーダンスのショーが始まったりして、ちょっと予定外でしたが、まったり終わるというよりは皆さんすごいエナジーに満ちあふれた感じになって、主催した私も予想以上の効果でした。

 いつもは何から何まで一人で仕切っているけれど、こうやって一緒に出来るのは私にとってはそれだけで有り難く、とてもうれしいことです。
それぞれが才能や優れた感性の持ち主だからこそ、即興で生み出される空間に安心して委ねる事が出来ます。
音についてはまたいろいろ書いていきますね。

Heart Beat Yoga、二回目はアコースティックギターの夕べにしようかなと考えています。三回目はドラムの宴。季節的にも人が集まるのに良い時期になってきました。イベントなども多くなって来ますね。

次回も詳細決まり次第お知らせ致しますので、是非遊びに来て下さい。
OM

2012年3月24日土曜日

恋愛観

私の恋愛観はこう。
「大抵の人が愛だと思っているものって本当に馬鹿げている。人はみんなそれを自分の中に持っているのに、他の人を通してそれを感じたい。リレーションシップは女性が自分自身の人生を生きる為には危険、それは時には有益な事もあるけど、お互い頼り合っているカップルって苦手というか嫌いというかめんどくさい。」

おかしいかしら?
なんか昔からこうなんですよ。遡ると中学生くらいの頃から。
本心はこうなのに、恋愛ってしていないとマズいとか、やっぱり淋しいとか、人生の目的って人を愛する事とか、自分にぴったりの相手がいて初めて人生が成立するみたいに思っていた事もあって、自分のこの考えを自分で認めてしまったら一生恋愛出来ないじゃない、なんて思っていましたね。
自分ではスイッチが入らないから、オファーを受けて好きになれるかトライしてみるという事の連続。結局いつもそのスイッチは入らないままでした。

鎌倉で撮影されていたドラマ「最後から2番目の恋」
すべてが身近な私の行動範囲で、友人のお店なども頻繁に登場し、なによりロケ中の小泉今日子さん 本物がめちゃめちゃかわいかったということで、TVを見ない私もちょっと気になっていました。設定も大人の恋愛事情という事で、周りは結構話題にしていました。
私は2〜3話くらいしか見ていなくて、なんというかSATCもそうだけど、共感出来るようなまったく根本から違っているような複雑な気持ちで、そして最後はお約束で誰かと誰かがくっつくハッピーエンドなんでしょってとこがあまり興味をそそられなかったのですが、 どうも最終回は違ったみたいですね。

「淋しくない大人なんかいない。だからって淋しさを埋める為に恋愛するのはやめよう。
それよりもっと自分自身の人生を謳歌しよう」
というエンディング(だったのでしょう?)
それには大共感。

淋しいって感情、人は嫌うけど、私は意外と好きです。
淋しさがなくなったら嫌だなとさえ思っているくらい。
結婚していたって、相手が目の前にいたって淋しいときはいくらでもある。
遠距離恋愛はそれがなくても淋しい、あっても淋しい、気持ちが通じ合ってもすれ違っても淋しいという究極の修行みたいなもの。
でも、それを通じて、愛って本当に自分の中から湧き出るものなんだなという感覚を知りました。息子に感じる母性愛とか家族愛とはまた違うものなのに、やっぱり同じでした。

人は淋しいという感情を埋める為にいろんなことをするでしょう?
私はそれに協力するのももう一切やめようと思って。

幸せなご夫婦やカップルを否定する意味は一切ありません。
素敵だなと思う方々は本当にたくさんいらっしゃる。
自分が持っているバランスを拡げて二人でバランスを取るみたいな事は素敵。
でも素敵と思っていたけどなんか自分には違うというのが正直なところ。
女性は男性の人生をサポートするための存在ではないし、逆に頼る気もないし。

それでも自分の中から湧き出る愛っていうのはあります。
それを共有したいとも思うから、その力は自分のものでいいと思うんですよね。
まあ、そんな独り言でした。
本心を書くとすっきりします。意識が少しアセンション出来たのかも(笑)
誰かを好きだと思う気持ちは本当に貴重です。
OM

Ong So Hung (OM So Hum)

 http://www.youtube.com/watch?v=N5TQqFP66Ic
(Ong So Hung/ Guru Singh)
Ong So Hungはクンダリーニヨガのマントラですが、サンスクリットでもまったく同じにOM So Humと唱えます。
「ソー ハン」は呼吸の音です。吸って、吐いての一番シンプルなマントラ。
私達は深い呼吸をする時、そうと意図していなくてもこのマントラを唱えている事になります。
「オーン」は宇宙そのもの。世界のすべてであり無でもある聖音です。
説明が言葉では難しいのですが、このマントラの意味は”Creator, I am Thou!"(私はそれそのものです)という意味になり、自分自身が宇宙そのものであり、創造主であり、世界に満ちるエネルギーそのものであるというアファメーションです。
ハートを拡げ、力を与えるマントラです。

以前にも書いたように、呼吸と音というのは最もパワフルで神秘的かつ実用的なエネルギーを秘めたものです。とても簡単で、ありふれていて、なんの準備もなく、いまこれを読んで下さっている皆さんがこの瞬間に行えることです。
呼吸を深くして下さい。
口を動かす必要さえありません。
誰にも聴こえないくらい小さな声でも構いません、
「オーーーーーン」と音を出してみて下さい。
身体の中の振動が 感じられますか?
音は空間が無いと響く事が出来ません。
その空間は今広々としていますか?
硬く縮んでいたり、余計なもので詰まっていたりしていませんか?


http://www.swamij.com/soham-mantra.htm
(So Hum瞑想のやり方です。大抵108回唱えますが、あまりにもシンプルで説明なんて必要ないですよね)

呼吸と音が私達をどう導くのか、明日のHeart Beat Yogaで扉を開いていきたいなと思っています。
ちなみにこのマントラ(一番上に載せたYoutubeの音源のさらに22分バージョンのもの)を使って、怪我をしていた足首とそれが原因で痛めていた左の肋間筋をだいぶ治す事が出来ました。痛みは心を感じさせないように、そしてその痛みを感じなくさせるように呼吸を浅くし、 私達を麻痺させます。上手に出来る人程たぶん社会の中では重要な役割を担えるでしょう。でも感じないまま麻痺したままで自分が自分だと自信を持てるでしょうか?
私には無理。そして感じる事で物事も動き出します。
So Hum(私は宇宙そのもの)だから。
OM

2012年3月16日金曜日

目醒め〜be awaken

朝起きた瞬間、何を考えますか?
是非観察してみて下さい。次に起きた時。

私は結構早起きで、毎朝5時くらいに目が覚めるのですが、それまで見ていた夢の残像と、自分が自分の身体に入ったという何とも言えない、何か一枚ジャケットを着たようなそんな感じがいつもあるのです。
服を着て鏡を見て、後ろを向いたりボタンを留めたりそんなことをすると思うのですが、私の朝はいつも布団の中でそんな感じ。

それでおもしろいのが、例えばすごく楽しいわくわくする夢を見ている状態で自分の身体に帰る、そうすると身体は身体で寝ている間に感情が発生していたり、思考を処理していたり、またはよくわからないけれど誰かの何かをどこかから受けていて、自分の魂とは全然違う状態だったりするわけです。アバターという映画のあの感じに少し似ているかな。
(それは各臓器がそれぞれ感情を司っていたり、脳だけでなく、各細胞にも記憶が蓄積されているということを実感させてくれます)

だから目醒めるその瞬間に注意を払う事で、私は自分が抑えていた感情や思考にニュートラルに気付く事が出来るわけです。
そして、私という人は、自分のそれを受け止めきれたり手に余ってしまったりするのですが、クリーニングや瞑想、呼吸法やチネイザンを試したりしながら、自分を調和させて活動に入ります。ヨガはその後ですね。
まず自分というお弁当箱にいろいろ詰めてバランスを調整して、という感じ。
でないと、たぶん日常の中で必要ない感情や思考等は、自分が目醒めた瞬間に眠らされて、まるでそれは存在しないかのように一日過ごしてしまうからです。
一日ならいいけれど、それがずっと続くとたぶん人生が自分の一部を欠いたまま進んでしまうことになります。ハッピーとか嬉しいとかの感情もよく見ていくとあれ?ということもあり、そのまま進むのはとても危険。

ちなみに最近ベッドをやめました。
息子に譲り、自分はリビングの床にヨガマットやブランケットを敷いて寝ています。
部屋を暖めて、後から起き出してくる息子の食事を用意して笑顔でおはようと言い合う。
不思議と腰痛も肩凝りも寝過ぎてしまう事もなくなっていい感じです。
たぶん柔らかいところで寝ると、力を抜く努力をしなくなるので却って身体が痛くなったり眠りが浅くなったりするのかなと予想しますが。

ただばたばた忙しくて、朝時間に追われていたり、目覚めの瞬間が無意識だとすると、自分が自分にうまくフュージョン出来ないまま一日を始めることになってしまい、チャンスを逃したり、何かのサインを見逃したり、余計なエネルギーを使ってしまったり、感情が不調和なまま、健康に影響が出る事も。その日何を食べるかとかのチョイスや行動も直接影響受けるのではないでしょうか。

春は目醒めの季節。
今月のパタゴニアクラスのテーマも「目醒める〜be awaken」です。
睡眠から目覚めるとき、私達は外側の世界に対して目覚めるという感覚かもしれませんが、自分の中に目醒めるという発想をヨガのアサナや呼吸を使って少しお伝えできればよいなと思っています。
自分の内的空間は幾重にも重なった広大な宇宙であり、複雑にもシンプルにもなれるものです。誰でもそうなのですが、そこを旅してちゃんと知っているんだよということを周りが感じた時、それがその人の人間味や魅力を感じさせてくれるのだと思います。

クラスは17日(土)10:00〜12:00、28日(水)18:30〜20:30です。どちらも鎌倉ストア(0467−23−8970)の方にご連絡下さい。

OM

2012年3月12日月曜日

***************

季節が変わったら
あの丘へと続く道
優しい風が吹いて
君の声に似ているな

ああ 僕の中で鳴り止まない君の歌を
遠いどこかで君も一緒に歌っていてくれればいいな

可愛い雨粒の落ちるメロディが静かに
淡いひかりがさして
青空が覗いたら

ああ 君のいないこの世界で道に迷ったその時に
何故かいつも君を感じる
傍に居れば

悲しみに暮れたその時
僕の背中を優しく包む
木漏れ日の中に君の笑顔がある
そんな気がする

作詞作曲:Takashi Hatakeyama

この美しい歌詞は「由比」というあるストーリーがあって生まれた歌の一部です。

NYで恋に落ち、やがて結婚したチリ出身のミゲルと鎌倉育ちの由比さん。
美しいカップル。
ある日幸せだった二人を由比さんの病気という試練が襲い、二人は治療のため日本へ。
しかし由比さんは亡くなってしまいます。
そのお葬式がちょうど3月11日のあの日でした。

ミゲルとは一緒に石巻へ行ったりしました。
いつも誰よりも笑顔を絶やさない人です。
この歌は鎌倉の由比ケ浜の前にあるお店に集う仲間が作り、演奏しているものです。
この先の歌詞も全部は書きませんが、とても心を揺さぶられる美しくはかない気持ちのこもった言葉達です。
3月10日に長谷寺で行われた万灯法会。
昼からお手伝いをさせて頂いていました。
訪れて下さった皆さんの祈りが書かれた、ひとつひとつは小さな明かり。
集まるとあたたかく、揺らめく炎がまるで生きているようでした。
長谷寺は海からの風が吹いてくるので、ひとたび風が吹くとこの炎はまるでドミノ倒しのようにさーーっと一瞬で消えてしまいます。
それを何度も点け直し、並べての繰り返し。

このお手伝い自体はとても楽しく、お寺の方々や集まった友人知人、鎌倉の仲間達、また県外からもボランティアに来て下さった多くの方々と特別な時間を過ごさせて頂きました。
まったく、チャッカマンを何百回クリックしたことか。
被災地の方のお話で、「亡くなった家族や友人、大切な人を思って過ごす時間が長い。悲しいという気持ちは全然減らない。復興という言葉や絆という言葉、がんばろうという励ましに疲れてしまう。自分の中で時間が止まったまま置いて行かれる気がする」という本音、胸に染みました。ある日突然かけがえのないものを失って、整理なんてつかないと思うのです。それはそれでずっと残り、そしていつまでも思っていたい大切なものなのです。
それでも進む。それしかないから。

万灯法会では、宗派を越えて鎌倉の僧侶達が合同で鎮魂の祈りを捧げました。
始まると何故か風が止み、ちいさな灯火が消える事はありませんでした。
音のバイブレーションは力強く、素晴らしい時間に参加出来た事に心から感動しました。

私は本当に何も出来ないけれど、ただ静かに思う、それだけですけれど、
ただシンプルに悲しみを味わう事が一番の癒しになることを知っています。

いつかすべての傷が癒え、新しい日々に気持ちが追いつくときがやってくるよう、
心からお祈りします。
人の強さは弱さと対になっているからこそ、よりいっそう清々しく輝くのだと思うのです。
そんな深さを感じた時、人はまたそこから勇気を貰うのだと思うのです。
被災地の方々に勇気づけられているのは、私達の方かもしれません。
OM Shanti

2012年3月6日火曜日

3月10日(土)鎌倉長谷寺「万灯会」

もうじき忘れられない311です。
その日一日の事は、朝から鮮明に覚えています。
私はお年寄りがたくさん集まる施設を訪れていたのですが、建物に入ってすぐに大きな揺れを感じました。周りの方達はさすがにご年配で、慌てたりすることもなく「大変、なんだか大きく揺れてるわね〜〜 」という感じでしたが、その後立て続けに揺れが来て停電になると、いよいよ「これはただごとではない」と家族を呼んだり、自力で帰ろうとしたり、また携帯の機能を上手く使いこなせなくて、「一体何が起こっているの」という感じの方も多く、私が震源地や震度、続々入ってくる被害状況等を実況説明したりしていました。

その後私も車を運転してすぐに自宅に戻りましたが、津波警報や余震、原発、火力発電所の火災の映像、友人等から報告される都内の状況の混乱、そして何よりも東北沿岸一帯に押し寄せた真っ黒い津波の映像に、怖かったけれど情報から離れる事が出来ない、とても緊迫した一夜を過ごしました。

なにより海の近くで仕事をしている私の安否を気遣っていたのは息子の方でした。
私にとって、母親で居る事はまだまだ最優先事項です。
ですので、311は普通に日曜のヨガクラスを行い、その後はいろいろな場所で様々な催し物があるようで、お誘い頂いていますが、普通に息子と過ごそうと思います。
たった一年でも随分成長したなと感じます。
こういう時代に多感な思春期を過ごすというのは、一体どんな役割を持って生まれたのでしょうね。 忘れないでいて欲しいと思います。

その前夜10日には、鎌倉とどけ隊として、長谷寺にて万灯会のお手伝いをさせて頂くことになっています。
会は日が沈みかける17時半からですが、私は14時くらいからおります。もし足を運ばれるようでしたら声をお掛け下さい。
500円で灯をご購入頂き、祈りを込めて火を灯し捧げます。
頂いたお金はすべて被災地支援のために使わせて頂きます。

一年とても長く感じられましたが、同時にあっと言う間でもありました。
でも被災地の状況はまだ何もどうにもなっていないと言っても大げさではありません。
311前夜、当日、大切な事は何か、大切な人とゆっくり語り合う時間が持てると良いですね。
OM

Bhakti Yoga

 キルタンのバンドを始める事にしました。
バンドと言って良いのかもわかりませんが、音を出したり歌ったりを一緒にやっていくことが出来ると思うと嬉しくて。

私がYogaJayaでインストラクターをしていた時に知り合い、Nirmal Yogaでもお世話になっているMakiちゃん、同じくNirmal YogaのキルタンやPujaで一緒に楽器を演奏したりするYukihiro君。
 二人は音楽をきちんと勉強して来たり、実際にやっているので、 私はもうちょっとコードくらいわかるようになったりしないとなって感じです。

キルタンはまだまだ日本では浸透していなくて、インド式に儀式のように演ってしまうと抵抗ある人も多いと思うし、でもバクティヨガで、ハートが開いてあたたかいもので満たされる感覚は本当に素晴らしく誰にとっても良いものなので、出来るだけカジュアルにシンプルにやっていこうと思っています。

 私にとっては好きな音楽をシェア出来るだけで、その話が出来るだけでとりあえず嬉しい。
何かを目指すとかではなく、自分たちで創っていけるのもキルタンの良さだと思います。

そして、私にとってはアサナも呼吸ももちろんすべて大事。
流れがあって、強くてしなやかであたたかくて、周りと自然に調和する生き方がしたい。
でもヨガは体操じゃない、エクササイズじゃない、修行じゃないし、美容法でも、健康に拘る事でもない。癒しや慰め、宗教でも哲学でもない。
それぞれすべてではあるけどそれそのものじゃない
じゃあ何?って、それを お伝えするのが私の役割なのでしょうけれど、ハタヨガだけではその人の経験やスキルや身体のコンディション、身体への興味や理解など、いろいろな条件がくっついてしまうから、すごく時間が必要になる場合もあります。

音は10次元まで越えていけるのだから、人の心の殻や、無知さや間違った思い込み、自分で作ったブロック、怖れ、そういうものだって越えて行けると思うのです。
人の本質は愛。そこへの扉を開けてくれるもの。Bhaktiは「信愛」と訳されます。

私は信じています。「これ」、と思ったものはずっと。
継続は力なりで、好きを続けて行きたいと思います。
Om Siri Saraswati yei Namaha Om Mata.
はるばるインドから江ノ島まで来てくれた水と音楽の女神に感謝です。