2012年12月31日月曜日

年の瀬

2012年も今日1日のみになりました。
あっと言う間に大晦日。
ブログもしばらく更新出来ずにご心配をお掛け致しました。

クラスでお会い出来た皆さんとは、各クラス納めのときに笑顔でご挨拶出来ましたが、
ここでもきちんと笑顔で。
「よいお年を」

いろいろあった2012年を上手くまとめられるに至らないのですが、プライベートでもお仕事面でも、私個人としても、人との関わりの中でも、大きく変化のあった1年、だったかもしれません。変化というよりは、今年の始めに記した60年に一度の黒龍の年についての一文、(たぶんこのブログではなくて、yogatabiji.comの方、わ、懐かしい。笑)

「黒は中国では濃い青。青い空のもっともっと高い上、青い海の深く深く潜ったところ、そういう宇宙や深海等、いつもそこにはあっても私達の意識が到底及ばない未知の領域。
黒い龍の年とはそういう場所に容赦なくエネルギーが広がる時。」
のようなことを書いた気がしますけど、なんとなくそういう1年であったと思います。
普段の日常とは関わりのない、気に留めないでも居られる深層意識の領域を刺激されることが多くて、自分の中で自分の捉え方が変わった1年です。
たぶんこの流れがこのまま続いて、巳年はたくさん脱皮することが起こるのでしょう。
来年はお仕事面でも、自分の思い描くビジョンに邁進していけるといいなと思っています。

皆様にも多大なご心配をお掛け致しました、母はひとまず退院しまして元気です。
そんなこんなで年の瀬、慌ただしくて何も出来ていないですが、ゆっくり休んでまた2013年、気持ち新たに頑張って行きたいなと思います。
どうぞ、新年も宜しくお願い致します。
では新しい年が増々輝きに満ちた年になりますように。OM



2012年12月15日土曜日


ちょっとした奇跡なのかなって、思っています。

先日脳出血で倒れた母は、
運動神経繊維が束になっていて脳幹に近い場所から大きく出血していて、
最初は死ぬか半身麻痺は必須と言われていました。

昨日でちょうど一週間ですが、既に一人でトイレもシャワーもこなせるほどに快復して、記憶や思考もほぼ正常、
(どこまでがまとものなのか、人って家族でもわからない、笑)
性格も素直になったし、今の状況をよく理解していてくれて、私もこれ以上の無理は出来ない事を納得してくれている。
絶対にヨガをやっていたお陰でしょう。
壊れてしまった脳の部分と、それを補う他の部分の連携が上手く働いているのだと思います。
自分を客観的に観察するのにも慣れていると思うので、闘病日誌を書いてもらう事にしました。友人から薦められた本も読んで貰おう

私には、「介護士の教科書貸してあげるから、勉強しといて」などと半分本気の軽口を叩く。そういえば母は介護士の資格を持っていたんだった。
長い間連絡を取っていなかった親戚、職場の方、友人からの目線の彼女は、
不安症のヒステリーではなく、人のいい頑張り屋。

私は毎日行く度に唖然としてしまって、ちょこちょこいじわるしたくなるのだけど(笑)
これが自分に起こっている「次元上昇」、「再生」、「マヤ歴(石の暦)終焉→水の暦のはじまり」とかなんといろいろ言われているアレがやってきたのだと理解しています。
世界ががらっと変化していくとき。
愛しか生き残れない。
流れに抵抗しても意味なく、ただ流れに乗るだけ。
そうするとまるで舞台かのように、完璧なタイミングで必要な事が当たり前のように起きて来る。

お恥ずかしながら、3日前にICUから一般病棟に移った時の写真です。
「なんだ、動くじゃん両手」と思いつつ、神サマに感謝しながら撮った一枚です。
私の311ならぬ127。
ちょっとした奇跡なのかなって、思っています。

先日脳出血で倒れた母は、
運動神経繊維が束になっていて脳幹に近い場所から大きく出血していて、
最初は死ぬか半身麻痺は必須と言われていました。

昨日でちょうど一週間ですが、既に一人でトイレもシャワーもこなせるほどに快復して、記憶や思考もほぼ正常、
(どこまでがまとものなのか、人って家族でもわからない、笑)
性格も素直になったし、今の状況をよく理解していてくれて、私もこれ以上の無理は出来ない事を納得してくれている。
絶対にヨガをやっていたお陰でしょう。
壊れてしまった脳の部分と、それを補う他の部分の連携が上手く働いているのだと思います。
自分を客観的に観察するのにも慣れていると思うので、闘病日誌を書いてもらう事にしました。友人から薦められた本も読んで貰おう。

私には、「介護士の教科書貸してあげるから、勉強しといて」などと半分本気の軽口を叩く。そういえば母は介護士の資格を持っていたんだった。
長い間連絡を取っていなかった親戚、職場の方、友人からの目線の彼女は、
不安症のヒステリーではなく、人のいい頑張り屋。

私は毎日行く度に唖然としてしまって、ちょこちょこいじわるしたくなるのだけど(笑)
これが自分に起こっている「次元上昇」、「再生」、「マヤ歴(石の暦)終焉→水の暦のはじまり」、とかなんといろいろ言われているアレがやってきたのだと理解しています。
世界ががらっと変化していくとき。
愛しか生き残れない。
流れに抵抗しても意味なく、ただ流れに乗るだけ。
そうするとまるで舞台かのように、完璧なタイミングで必要な事が当たり前のように起きて来る。

お恥ずかしながら、3日前にICUから一般病棟に移った時の写真です。
「なんだ、動くじゃん両手」と思いつつ、神サマに感謝しながら撮った一枚です。

2012年12月11日火曜日

近況報告

私事ですが、一人暮らしの母が脳出血で倒れて4日目になります。
仕事帰りの駅のホームで倒れ、線路に転落、意識が朦朧としているとの連絡を受けた時には、最悪のことも覚悟しましたが、
お陰さまで、まだICUですが、普通に話せるようになりました。

母とは殆どというよりまったくと言っていい程一緒に過ごして来ませんでした。
長年打ち解ける事がお互い出来ずに、苦しい時期があまりにも長くて、このまま変わらずに逝ってしまうのかななども思っていました。
長く生きると、歪みのようなものが段々大きくなってしまい、関わるのも難しくなってしまいます。若ければ若いで、なかなか自分を客観的に捉えられる範囲が狭く、自分が正しいのだと思う傾向が強いものです。
(「自分」はいつでも「正しい」のです。どんな状況に於いても、自分が思う事感じる事が「間違っている」という事はないのですけれど、「自分だけ」が正しいのではなく、「みんな」「すべて」正しいのだ、と理解して初めて「癒し」「物事がうまく回る状況」が生まれるのだと思います。)


途切れ途切れでも意識がしっかりしてきた母と、取り敢えず必要な事を話し、ずっとお互い言葉にならない言葉を目を見つめあって確認し合い、その時にこう思いました。

「壮絶だった私の思春期もこれでやっと終わり。
不安を感じやすいがために、必要以上にがむしゃらだった母の頑固さも終わり。

お互い遠回りして遠回りして、やっとわかったね。
愛はいつもそこにある。
欲しい場所に、見つけたい場所に、いつもちゃんとある。
自分の中にも、相手の中にも。」

愛を感じたくてヨガをする人は多いと思います。
たとえ自分でそう思っていなくても、自分を大切にすることや、
大切だと思いたい相手をまっすぐにそう思える事は、生きていくのに不可欠な事です。

探す場所がわかっているのだから、見つけるのは絶対に上手になると思います。
今後どうなるかはまだ全然わからないのですが、
必要なことは完璧なタイミングで最善の形で起こるのだから、大丈夫。
すべてありがとう。ヨガを続けていて本当に良かった。

この前の投稿で、自分の赤ん坊の頃の写真を見つけたと書きましたが、母の家で書類を探していた時に、自分の母子手帳を見つけました。
ずっと自分の出生時刻を知りたいと思っていたので、良かったです。
何かきっとそういう時期なのでしょう。

そして、今後のクラスですが、状況によっては急な休講等も考えられます。
せっかくお越し頂いて、クラスがキャンセルなっていたという状況はとても心苦しいので、
直前で構いませんので、クラスにお越し頂ける際は、必ずメール等でご一報下さいますよう、ご理解の程宜しくお願い致します。
HPのフォームからでも、pranicyoga@gmail.com でもどちらでもOKです。
クラスで皆さんにお会い出来るのは一番の励みになります。
いつもありがとうございます。 
Namaste

2012年12月4日火曜日

◯◯年前

そろそろ、お片付け&大掃除の季節。
そして予定の中に来年の事が入って来て、あれこれ手帳に書き込んだりしているのだけれど、 最近なんでもパスワードで登録するものだから、きちんと書いておかないと忘れてしまう。実際忘れてしまったものも多くて、過去の手帳をいろいろ引っ掻き回していたところ。
なくしたと思っていた写真が出て来ました。
同じ赤ちゃんのようですが、写真の古さが違いますね(笑)
左が私、右が息子。
普通あんまり赤ちゃんにこういう真っ黄色は着せないですよね、
なんだろう、新宮家のDNA ?

写真を見ると思い出す出来事。
子育てしている時、お母さんは自分時間というよりは完全に子供時間の中にいますよね。
私もそうで、自分が◯◯歳の時という思い出し方がまったく出来なくて、息子が◯歳の時、幼稚園の年少の時、小学校◯年生の時、と考えるとふっと出て来ます。

ヨガを教えるようになってからちょうど10年になります。
息子は幼稚園で、やっと少しだけ自分の時間が何時間かまとまって持てるようになった頃。 しばらく止まっていた自分時間がまた少しずつ動き出したかなっていう時。
自分ではすごくしっかりしていて、なんでも一人でこなし、いろんなことわかっているつもりでいたけれど、今思うと恥ずかしいですね。背伸びやはったりが多かったな(笑)
手帳を見返しても、凄い勢いで毎日ヨガのスケジュールでびっしり。
止まっていた時間を早回ししてるようで、今の自分からは危かしく思えます。
そして、その危うさを自分でもわかっていたのに止められなかったのは、私が息子を育てないといけないんだという強い決意だったのか、若かったからなのか。

今のお母さん達は、出産してもみんなきれいで、仕事も続けて、でも育児にも家事にも手を抜かず、素晴らしいなと思います。自分時間を止めないというか。
でも私の場合はきっとあまり上手にできなかっただろうなと思います。
一度自分の時計を止めて良かったと思います。
でも、ヨガの時の別時間だけは静かに流れていて、日常の事はあまり覚えていないのに、ヨガのクラスで何を感じたか、というのは面白いように鮮明に覚えているんですよね。
その時間が段々濃くなって、息子時間とも噛み合って来て、流れがゆったり大きくなっているイメージ。まだまだ止まっている時間はたくさんあるけど、「取り戻す」ものではないということが最近ちょっとわかってきた気がします。
12月のマントラは、「焦らない焦らない」(笑)
今日はゆっくりいろいろなものを楽しみながら整理していきたいと思います。