2012年12月31日月曜日

年の瀬

2012年も今日1日のみになりました。
あっと言う間に大晦日。
ブログもしばらく更新出来ずにご心配をお掛け致しました。

クラスでお会い出来た皆さんとは、各クラス納めのときに笑顔でご挨拶出来ましたが、
ここでもきちんと笑顔で。
「よいお年を」

いろいろあった2012年を上手くまとめられるに至らないのですが、プライベートでもお仕事面でも、私個人としても、人との関わりの中でも、大きく変化のあった1年、だったかもしれません。変化というよりは、今年の始めに記した60年に一度の黒龍の年についての一文、(たぶんこのブログではなくて、yogatabiji.comの方、わ、懐かしい。笑)

「黒は中国では濃い青。青い空のもっともっと高い上、青い海の深く深く潜ったところ、そういう宇宙や深海等、いつもそこにはあっても私達の意識が到底及ばない未知の領域。
黒い龍の年とはそういう場所に容赦なくエネルギーが広がる時。」
のようなことを書いた気がしますけど、なんとなくそういう1年であったと思います。
普段の日常とは関わりのない、気に留めないでも居られる深層意識の領域を刺激されることが多くて、自分の中で自分の捉え方が変わった1年です。
たぶんこの流れがこのまま続いて、巳年はたくさん脱皮することが起こるのでしょう。
来年はお仕事面でも、自分の思い描くビジョンに邁進していけるといいなと思っています。

皆様にも多大なご心配をお掛け致しました、母はひとまず退院しまして元気です。
そんなこんなで年の瀬、慌ただしくて何も出来ていないですが、ゆっくり休んでまた2013年、気持ち新たに頑張って行きたいなと思います。
どうぞ、新年も宜しくお願い致します。
では新しい年が増々輝きに満ちた年になりますように。OM



2012年12月15日土曜日


ちょっとした奇跡なのかなって、思っています。

先日脳出血で倒れた母は、
運動神経繊維が束になっていて脳幹に近い場所から大きく出血していて、
最初は死ぬか半身麻痺は必須と言われていました。

昨日でちょうど一週間ですが、既に一人でトイレもシャワーもこなせるほどに快復して、記憶や思考もほぼ正常、
(どこまでがまとものなのか、人って家族でもわからない、笑)
性格も素直になったし、今の状況をよく理解していてくれて、私もこれ以上の無理は出来ない事を納得してくれている。
絶対にヨガをやっていたお陰でしょう。
壊れてしまった脳の部分と、それを補う他の部分の連携が上手く働いているのだと思います。
自分を客観的に観察するのにも慣れていると思うので、闘病日誌を書いてもらう事にしました。友人から薦められた本も読んで貰おう

私には、「介護士の教科書貸してあげるから、勉強しといて」などと半分本気の軽口を叩く。そういえば母は介護士の資格を持っていたんだった。
長い間連絡を取っていなかった親戚、職場の方、友人からの目線の彼女は、
不安症のヒステリーではなく、人のいい頑張り屋。

私は毎日行く度に唖然としてしまって、ちょこちょこいじわるしたくなるのだけど(笑)
これが自分に起こっている「次元上昇」、「再生」、「マヤ歴(石の暦)終焉→水の暦のはじまり」とかなんといろいろ言われているアレがやってきたのだと理解しています。
世界ががらっと変化していくとき。
愛しか生き残れない。
流れに抵抗しても意味なく、ただ流れに乗るだけ。
そうするとまるで舞台かのように、完璧なタイミングで必要な事が当たり前のように起きて来る。

お恥ずかしながら、3日前にICUから一般病棟に移った時の写真です。
「なんだ、動くじゃん両手」と思いつつ、神サマに感謝しながら撮った一枚です。
私の311ならぬ127。
ちょっとした奇跡なのかなって、思っています。

先日脳出血で倒れた母は、
運動神経繊維が束になっていて脳幹に近い場所から大きく出血していて、
最初は死ぬか半身麻痺は必須と言われていました。

昨日でちょうど一週間ですが、既に一人でトイレもシャワーもこなせるほどに快復して、記憶や思考もほぼ正常、
(どこまでがまとものなのか、人って家族でもわからない、笑)
性格も素直になったし、今の状況をよく理解していてくれて、私もこれ以上の無理は出来ない事を納得してくれている。
絶対にヨガをやっていたお陰でしょう。
壊れてしまった脳の部分と、それを補う他の部分の連携が上手く働いているのだと思います。
自分を客観的に観察するのにも慣れていると思うので、闘病日誌を書いてもらう事にしました。友人から薦められた本も読んで貰おう。

私には、「介護士の教科書貸してあげるから、勉強しといて」などと半分本気の軽口を叩く。そういえば母は介護士の資格を持っていたんだった。
長い間連絡を取っていなかった親戚、職場の方、友人からの目線の彼女は、
不安症のヒステリーではなく、人のいい頑張り屋。

私は毎日行く度に唖然としてしまって、ちょこちょこいじわるしたくなるのだけど(笑)
これが自分に起こっている「次元上昇」、「再生」、「マヤ歴(石の暦)終焉→水の暦のはじまり」、とかなんといろいろ言われているアレがやってきたのだと理解しています。
世界ががらっと変化していくとき。
愛しか生き残れない。
流れに抵抗しても意味なく、ただ流れに乗るだけ。
そうするとまるで舞台かのように、完璧なタイミングで必要な事が当たり前のように起きて来る。

お恥ずかしながら、3日前にICUから一般病棟に移った時の写真です。
「なんだ、動くじゃん両手」と思いつつ、神サマに感謝しながら撮った一枚です。

2012年12月11日火曜日

近況報告

私事ですが、一人暮らしの母が脳出血で倒れて4日目になります。
仕事帰りの駅のホームで倒れ、線路に転落、意識が朦朧としているとの連絡を受けた時には、最悪のことも覚悟しましたが、
お陰さまで、まだICUですが、普通に話せるようになりました。

母とは殆どというよりまったくと言っていい程一緒に過ごして来ませんでした。
長年打ち解ける事がお互い出来ずに、苦しい時期があまりにも長くて、このまま変わらずに逝ってしまうのかななども思っていました。
長く生きると、歪みのようなものが段々大きくなってしまい、関わるのも難しくなってしまいます。若ければ若いで、なかなか自分を客観的に捉えられる範囲が狭く、自分が正しいのだと思う傾向が強いものです。
(「自分」はいつでも「正しい」のです。どんな状況に於いても、自分が思う事感じる事が「間違っている」という事はないのですけれど、「自分だけ」が正しいのではなく、「みんな」「すべて」正しいのだ、と理解して初めて「癒し」「物事がうまく回る状況」が生まれるのだと思います。)


途切れ途切れでも意識がしっかりしてきた母と、取り敢えず必要な事を話し、ずっとお互い言葉にならない言葉を目を見つめあって確認し合い、その時にこう思いました。

「壮絶だった私の思春期もこれでやっと終わり。
不安を感じやすいがために、必要以上にがむしゃらだった母の頑固さも終わり。

お互い遠回りして遠回りして、やっとわかったね。
愛はいつもそこにある。
欲しい場所に、見つけたい場所に、いつもちゃんとある。
自分の中にも、相手の中にも。」

愛を感じたくてヨガをする人は多いと思います。
たとえ自分でそう思っていなくても、自分を大切にすることや、
大切だと思いたい相手をまっすぐにそう思える事は、生きていくのに不可欠な事です。

探す場所がわかっているのだから、見つけるのは絶対に上手になると思います。
今後どうなるかはまだ全然わからないのですが、
必要なことは完璧なタイミングで最善の形で起こるのだから、大丈夫。
すべてありがとう。ヨガを続けていて本当に良かった。

この前の投稿で、自分の赤ん坊の頃の写真を見つけたと書きましたが、母の家で書類を探していた時に、自分の母子手帳を見つけました。
ずっと自分の出生時刻を知りたいと思っていたので、良かったです。
何かきっとそういう時期なのでしょう。

そして、今後のクラスですが、状況によっては急な休講等も考えられます。
せっかくお越し頂いて、クラスがキャンセルなっていたという状況はとても心苦しいので、
直前で構いませんので、クラスにお越し頂ける際は、必ずメール等でご一報下さいますよう、ご理解の程宜しくお願い致します。
HPのフォームからでも、pranicyoga@gmail.com でもどちらでもOKです。
クラスで皆さんにお会い出来るのは一番の励みになります。
いつもありがとうございます。 
Namaste

2012年12月4日火曜日

◯◯年前

そろそろ、お片付け&大掃除の季節。
そして予定の中に来年の事が入って来て、あれこれ手帳に書き込んだりしているのだけれど、 最近なんでもパスワードで登録するものだから、きちんと書いておかないと忘れてしまう。実際忘れてしまったものも多くて、過去の手帳をいろいろ引っ掻き回していたところ。
なくしたと思っていた写真が出て来ました。
同じ赤ちゃんのようですが、写真の古さが違いますね(笑)
左が私、右が息子。
普通あんまり赤ちゃんにこういう真っ黄色は着せないですよね、
なんだろう、新宮家のDNA ?

写真を見ると思い出す出来事。
子育てしている時、お母さんは自分時間というよりは完全に子供時間の中にいますよね。
私もそうで、自分が◯◯歳の時という思い出し方がまったく出来なくて、息子が◯歳の時、幼稚園の年少の時、小学校◯年生の時、と考えるとふっと出て来ます。

ヨガを教えるようになってからちょうど10年になります。
息子は幼稚園で、やっと少しだけ自分の時間が何時間かまとまって持てるようになった頃。 しばらく止まっていた自分時間がまた少しずつ動き出したかなっていう時。
自分ではすごくしっかりしていて、なんでも一人でこなし、いろんなことわかっているつもりでいたけれど、今思うと恥ずかしいですね。背伸びやはったりが多かったな(笑)
手帳を見返しても、凄い勢いで毎日ヨガのスケジュールでびっしり。
止まっていた時間を早回ししてるようで、今の自分からは危かしく思えます。
そして、その危うさを自分でもわかっていたのに止められなかったのは、私が息子を育てないといけないんだという強い決意だったのか、若かったからなのか。

今のお母さん達は、出産してもみんなきれいで、仕事も続けて、でも育児にも家事にも手を抜かず、素晴らしいなと思います。自分時間を止めないというか。
でも私の場合はきっとあまり上手にできなかっただろうなと思います。
一度自分の時計を止めて良かったと思います。
でも、ヨガの時の別時間だけは静かに流れていて、日常の事はあまり覚えていないのに、ヨガのクラスで何を感じたか、というのは面白いように鮮明に覚えているんですよね。
その時間が段々濃くなって、息子時間とも噛み合って来て、流れがゆったり大きくなっているイメージ。まだまだ止まっている時間はたくさんあるけど、「取り戻す」ものではないということが最近ちょっとわかってきた気がします。
12月のマントラは、「焦らない焦らない」(笑)
今日はゆっくりいろいろなものを楽しみながら整理していきたいと思います。





2012年11月29日木曜日

3日間の学び

この3日間、オーストラリア シドニーにある、Yoga Room&Life Centreの創立者であるJudy Krupp先生のYoga Therapyのコースを受講していました。

人の身体の癖や歪み、強さの違い、日頃の使い方で生じる痛みとの関係や、発育形成段階で生じる身体的発展、などなど、ずっと学んでいたいと思う程充実していました。
Judy先生の「見抜く目」は本当に卓越していて、身体ってその人が生きてきた時間が全て詰まっているものですが、それを読み、「今」最適な状態にあっと言う間に導いてしまいます。そして、骨、筋肉、筋膜から細胞レベル、エネルギー体レベルで治していくのです。
それは身体からアプローチするメディテーションのよう。
私自身、股関節の形成不全があり、それによる癖や慢性的に生じる痛みなども持っていますし、最善とはいえない身体の使い方をしていることも多々あり、それを見て頂くのはとても有り難い事です。
今回は、クラスに通って下さっている生徒さんと一緒の受講でしたから、自分が日頃お伝えしている事に何か間違いがあっても誤摩化せない(笑)という、本当に自分がいろんな意味で丸裸になったような、そんな3日間でした。

 ほぼ毎日、いろんな方に接して、身体を見させて頂いていて、もっとこう出来るんじゃないか、もっと楽な方法があるのではないか、もっとわかりやすい表現で必要な事をお伝え出来るのではないか、など、私の頭はいつもそこにあります。
 先生のヨガや身体に対する考え方が、畏れ多くも私と同じでとても安心しました。
以前の学びとも矛盾点がなく、すんなり入って来ました。
改めて過去に教わった先生方へも感謝したいと思いました。
今年は息子の腰の痛みともよく向き合って自分なりに試行錯誤してきましたが、自分の洞察なども間違っていなかったと確認出来て、自信に繋がりました。

ヨガは誰にとっても、真剣に取り組むに値する素晴らしい智慧です。
誰もが一つの身体を持っていますが、身体について本当に理解しているか、感情や思考、エネルギー体、呼吸、細胞一つ一つや筋肉、骨、筋膜、内臓などのレベルでそれぞれ知覚しているかと言ったら、そういえない場合が殆どでしょう。でも、知っていくと本当に自分が解き放たれるような感覚を感じます。
だから好きです、ヨガ。
昨夜は満月がきれいでしたね。
冷たい夜空でしたが、そういうとき程繊細な感性で物事を捉えられるものです。
すべては最適なタイミングで必要な事が最善の形で起こるもの。
いろいろあっても、心からそう思えること、ヨガってそういうものですね。
もうあっと言う間に師走ですが、地に足付けて行きたいと思います。
OM

2012年11月25日日曜日

アーサナ(ASANA)

すべてのポーズは、深く呼吸して初めてそれがどういうものなのかがわかる。
時にはもっと深く呼吸するために、何処かを緩めなくてはいけなかったり、何処かを強くしないといけなかったり、何処かを引き寄せたり、伸ばしたり。
もっと呼吸しようとする事で、その*快適(アーサナ)を見出す。
ヒントは先生が与えてくれるかも知れないけれど、見つけるのは自分。
 

もっと呼吸を深く。
もっと呼吸を深く。


http://www.youtube.com/watch?v=uAthYt7zUUk&feature=relmfu
エックハルトール「今に繋がる呼吸」

*ヨガのポーズにつけられている◯◯アーサナ(ヴィーラバドラアーサナ、ウッターナアーサナ、シャバアーサナ等)は、サンスクリット語で、安定や快適を意味します。
すべてのアーサナは快適でなければなりません。


土曜日の9:30からのクラスの前、早く来てひとり朝の練習。
ヨガっていいなと本当に思えるのは、いつも毎年寒くなってくるこの季節。
12月のスケジュール、アップしました。
http://pranic-yoga.com/
駆け抜けるような季節だからこそ、アーサナの時間を大切に。
OM


2012年11月20日火曜日

買ってはいけない

ヨガをされている方、お子さんをお持ちの方、健康に気を遣っている方、料理や食べる事が大好きな方、それぞれいろんな情報をお持ちで、自分なりのルールをお持ちだと思います。
「買ってはいけない」そういうタイトルの本が昔ありましたね。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B7%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84
結局、反論本やスピンオフ本などが入り交じり、その情報の内容よりもそれを取り巻くごちゃごちゃが取沙汰されていて、少々残念でしたが。

私の「買ってはいけない」は、結構いろいろあります。
遺伝子組み換え原料入り食品などは、将来的にどういう影響があるか計り知れませんしね、遺伝子組み換えの農産物は、アメリカ ミズーリ州に本社を構える多国籍バイオメーカ、モンサント社の専売特許です。
いろいろ知ると恐ろしくもあり、腹立たしくもなります。
映画「モンサントの不自然な食べ物」 http://www.uplink.co.jp/monsanto/

コンビニなどの加工食品、便利に加工され過ぎているもの、放射能関連、動物実験されているもの、フェアトレードでないもの、トランス脂肪酸、インスタント食品、市販の糖分が尋常でないお菓子や清涼飲料水、安売りされ過ぎている産地のわからない食肉や魚介類、 など、自分や息子の将来の健康を害するもの、道徳的によくないと思うものなどですが、最近またこういうのも加わりました。

http://palestine-heiwa.org/choice/list.html
「注意深くお金を使うために」
自分が何気なく払ったお金が戦争の資金になっていると知ったら?
5日前からイスラエル軍がパレスチナ自治区のガザへの無差別攻撃を行っています。
一般人が100人近く、子供や女性、お年寄り、赤ん坊や妊婦さんなど爆撃で命を落としています。今後更に激化しそうな見通しです。
中東問題は、信じるものの違いや歴史的背景を越えて、もはや政治とお金という理由でしかありません。そして理由は何にしろ、”NO"と言わなければいけません。
慣れ親しんだ製品や企業も多くあり、個人的に残念だとは思いますが。

中国政府によるチベットの不法占拠、民間人や僧侶の虐殺、文化的破壊行為などもまったく同じ事ですね。
どこに行っても溢れているので、なかなか難しくはありますけれど、中国製品も出来るだけ買う事を避けています。
まったく、本当にOK出して買える物って、場所によっては全くなかったりして、以前よく行っていた大手の安売りスーパー等にはあまり足を運ばなくなってしまいました。

 こういう事は、昨年世界中で起こったオキュパイ運動とも関連があります。
ほんの一握りの富裕層だけにお金がどんどん落ちて、その他からはどんどん搾取されていく経済の仕組みに加担している多国籍に展開する大企業。
もし日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加する事になったとしたら、と考えると、今後増々買ってはいけないものしか市場に出回らなくなるのではないかと予想されます。
地元の地場産業、個人で頑張っているようなところ、商品に対してきちんと責任を持って良い物を提供しようと努力を重ねている企業、など、お金を使うところには今まで以上に注意を払いたいなと思います。

「なるべく 」で構わないと思うのです。
消費者である女性、そして一家の衣食住を担う女性が賢くいることで、世界が悪くなるのに歯止めがかかればいいな。
最近は自分でいろいろお金を使う事も増えて来た中3の息子にもしっかり伝えています。
本当に必要かどうか吟味して、ものを大事に扱ったりすることにも繋がりますね。
結局は自分や周りを大事にすることになるのだから、窮屈に思わないでって伝えています。
読んで下さった皆さんもどうか。
OM








2012年11月16日金曜日

条件反射

お恥ずかしながら、先日の事です。

友人の引っ越しパーティーを兼ねたとある集まりで、とても楽しくリラックスしていたので、普段あまり飲まないお酒を結構飲んでしまいました。
(飲もうと思えばかなり飲める、笑)

お酒に関しては若い頃は数々の失敗をしてきたし、気持ちさえしゃきっとしていれば身体もそうなるのを知っているので、翌朝どうにかなってしまうということはないのですが、朝早く江の電に乗りました。
江の電はガタンゴトンの揺れがいつも心地よく、特に乗り物好きの私には外の景色と相まって、いつも乗る事自体が楽しみな時間です。
お天気も良く、海も空もきれいで、今日も一日なんとか気持ち良く過ごせそうだと思っていた頃です。
稲村ケ崎から陸地にさしかかりしばらくすると、目に入る物が変わったせいか、徐々に気分が悪くなって来ました。
「え、うそでしょ」と思いながらも段々我慢出来ない程に。
仕方ないので早めに降りて、2〜3駅分歩く事にしました。
降りて自分の足で歩き出すとすぐに具合も良くなりました。

で、次の週です。
同じ時間に同じ車両に乗った時、向かいに坐っていたおじさんも同じ人でした。
そのおじさんは先週と同じく、(朝から!)ワンカップを手に、静かに坐っています。
同じようにいい天気、同じように気持ちの良い朝。。。
そう思っていたら、すぐに気分が悪くなって来ました。
体調はバッチリです。朝もヨガをしていい感じで家を出たにも関わらず。
「これは、条件反射、先週と今とはまったく関係ない、私は今とても気分がいい」と何度も頭の中を整理してみましたが、一度起こった身体の反応はなかなか治まってくれません。
前の日も、その前の日も(違う時間帯ですが)江の電を利用して、揺れても人混みでもまったく何も感じなかったのに、です。
結局また途中下車するはめになってしまいました。

頭でいろいろ理解出来ている(つもり)の私にとっても、状況による身体の反射って、こんなにも強力なものかと妙に感心しながら、逆にいい気分の体験をさせてあげたら、例えば慢性的な冷え性とか生理不順とか、偏頭痛、便秘や下痢、身体の条件反射で過剰に負荷をかけている部分の痛み(肩、腰、膝など)、食べ過ぎや偏食、拒食なども改善出来るのだろうなとも強く思いました。
逆にダンスやサーフィン、歌や車の運転等々、身体と脳の反応で行うような事も、もっともっと上達したり、その都度その都度で時間の使い方が上手になったり。

ヨガでは、身体の反応を見ていきながら、無意識で動かしていた部分を意識的に正しいアラインメントで使っていきます。
無意識、というよりは、過去の経験からの反射、と言えるかもしれません。
初めて行うようなポーズ(アサナ)では特に、咄嗟に脳の方が今までの経験の記憶をかき集めて、未経験の事態に対処しようとします。
過去にしていたスポーツ、日常の癖、そして身体を使ったときの感情まで、リアルに蘇らせ、それに基づいて、今現在の体験の印象を決定してしまいます。
ヨガは、まず呼吸に意識を置き、それをゆっくり分解して捉えながら観察し、自分にとって良い経験となるよう身体や脳に覚えてもらいます。
身体からのアプローチは、今現在に自分をアップデートすることでもありますね。
徐々に肉体的な事から感情的、精神的な部分までほぐれていくと、その人は過去の体験の中に閉じ込められているのではなく、いつでも未来につながった今ここに生きられるようになります。反射が起きても頭で理解していると、一度は起こっても、そう何度も何度も同じ事は繰り返さない筈です。
私も、もう大丈夫(笑)

ヨガのアサナも、条件反射でやらないように。
太陽礼拝等、何百回、何千回、何万回も繰り返しているような事でも、いつも意識を今ここの自分に据えて、その瞬間に出来るベストな事を選択しましょう。
インストラクターはその選択を客観的にお伝えする役割です。
どうぞ、上手く利用して、一番いい自分に出会って下さい。
ナマステ!

2012年11月13日火曜日

Happy Diwali


Diwali(ディワリ)は、インド的新年。
インドの暦の7番目の月が始まる、新月のタイミングで祝われます。
Deepawali(Deepavali)という、灯明というサンスクリット語が元々だったのですが、徐々に「ディワリ」になったそうです。
ヒンドゥー教徒だけでなくジャイナ教徒、シーク教徒も一緒に祝う盛大な祝祭。
意味としては、光が暗闇(正義が悪に、神が魔物に)打ち勝つことを現わし、

新年なので物事の始まりに障害を取り除き、行く道を切り開く助けをしてくれるガネーシャ神と、幸運と富と繁栄の女神、ラクシュミー女神に祈りが捧げられます。

この日に始めた物事、この日に出会った人との縁、この日に浮かんだアイディア等は必ず実を結ぶと言われています。何か新しいものを購入するのにも吉日だそうです。

インドに行けるならこのタイミングで 行ってみたいな。
先ほどはオーストラリアで皆既日食があった2012年のパワフルなDiwali。

ガネーシャとラクシュミーのマントラを載せておきます。

OM Sri Ganeshaya Namaha(オーム シュリ ガネーシャヤ ナマハ)
OM Maha Lakshmiyai Namaha(オーム マハ ラクシュミイェイ ナマハ)

すべてのものに光の祝福を。
Jai





体感の大切さ

私のヨガの教え方は、ヨガのアサナ(ポーズ)や哲学を教える事よりも、体感をメインにしています。

呼吸を軸とし、意識をそこに据え、身体を動かしたときの感覚をより繊細に感じる練習です。
正しいアラインメントでヨガのアサナを行うということは、ひとつの答えではあるのですが、「なぜそうなのか」を知っていないと、日常の中で身についていきません。

多くの場合、私達は日常生活の中で、緊張や感情的な事で、身体の一部を必要以上に力ませていたり、浅い呼吸で身体の中への感覚を鈍らせていたりします。
そういう時、私達は自分の目の前の事や、”個”という一部のパートの自分だけを感じています。

物や人、すべての存在にはそれぞれの波動があって、私達はそれを(意識的にしても無意識だとしても)感じる事で 、影響を受け、精神状態や体調、行動、選択が変化します。
そして、その感性を使って、自分にとって合わない物から遠ざかったり、気持ちよく感じる物を選択します。
情報や思い込み、癖等で、自分に合っていない物事や状況を選択した時、私達は「ストレス」を感じます。その物事や状況が悪いわけではなく、その時の自分の波動と合っていないだけなのですが、「体感」は「今ここに生きる」にも通じていて、いつも同じように感じるわけでも、いつも同じ選択が正しいわけでもありません。

身体には、骨があり筋肉があり皮膚があり、様々な内臓機能が備わり、呼吸をしながら日々私達の魂が「今ここ」にいるために生命を繋いでくれています。
物質的なものなので、「こうしたらこうなる」という割と単純な法則の上に成り立っていますが、「体感」を忘れてしまう、鈍くなってしまうと、その働き自体が損なわれてしまいます。要するに「繋がっていない状態」です。

多くの場合は、感情や緊張に任せたまま動かしてしまう「肩」を少し意識すると、呼吸の流れが変わり、いい循環を導けるようになります。
肩のポジション、使い方、は、状況に併せて4つです。
(下半身はもっと単純でたった1つ)
正しいアラインメントで深い呼吸をすると、生命エネルギーであるプラーナが、自然と自分自身に最適な状態へと生命力を高めてくれます。
良い気分、調子の良い感じ、物事はすべてこれでよいのだという安心感や自信、新たにこうしたいという望みが生まれ、周りの状況さえそのいい循環に変化していきます。

そういう状態の人や物、場所はとても気持ち良く感じるので、徐々に周りもいい循環になるような行動や考え方を選択出来るようになります。
周りがよくなれば、さらに自分も楽に気持ち良く居る事が自然になります。

私は自分がいつも楽に気持ち良く居たいので、ヨガをお伝えしているようなものです。

「体感」を損なってしまった人間が、本来そのままが気持ちよい筈の自然を破壊したり、人間同士の諍いを起こしたり、望みではなく欲に突き動かされたり、不安感を解消するために間違った行動を選択したり。
そういうのはほんともう要らないし。

まずは「体感」から。
ヨガのアサナも、正しいアラインメントを知る事で、難しく思っていた事が意外と簡単で、きついと思っていた事が気持ちよい状況を選択するチャンスに変化していきます。

指をどう開くか、目線をどこに向けるか、などの些細な事で人は大きく変わっていくので、面白いですね。
なので、クラスは初心者から、ヨガのアサナを日常的に練習している方まで、どなたでも歓迎です。「体感」と自分を結びつけて、自らの可能性をさらに拡げていけるといいですね。

Jai Ganesha OM

2012年11月9日金曜日

ボルダリング体験

ボルダリング後の激しい全身筋肉痛からやっと脱出しつつあります。

岩壁を見ると、「登りたいな」と思ってしまう私。
子供の頃はよく他所様の家の石垣をよじ上ったりしていました。
私の愛読書の一つであるPatagoniaのカタログには、華奢な女性が途方もない大きさの岩壁に自らの手足だけで張り付いている写真や、凄い角度の場所にぶら下がるようにして登っていくフォトグラフが掲載されています。
「これは無理」と驚嘆の思いで眺めていましたが、最近ボルダリングジムって随所にあるのですね。ヨガスタジオと同じくらいの気安さで。

壁はなんとか登れました。
距離(高さ)的に物足りないとさえ思いました。
でも、コースが決まっていて、順番に指示通りの場所のみ手を掛けて良いのです。
「ただ登るだけならジャングルジム」と言われてしまいましたが、そうなると人間が作ったゲーム。「挑む 」みたいな気持ちがむくむく沸き上って来ます。
あとちょっとで届かないところなどに出来るまで挑戦し、難しいコースに挑戦したくなり、周りの人にも見られているのでかっこよく登りたい的な気持ちも若干あったり。
いわゆるエゴですよね(笑)

それらが自分にとってあまり快適ではなかったので、そんなに長居はしませんでしたが、直後から肩と腕がやばかったです。
車の運転、ハンドル回すのがちょっと気合い入れないとするっと滑ってしまうくらい握力が抜け落ちて、改めて酷使したんだな〜と実感しました。
アシュタンガのフルプライマリーを3回連続で やった、みたいな。
でも自分のウィークポイントなので、少し頑張りたいと思っています。

それで、話を聞いていると皆さん、あまりケアをしないみたいなんですよね。
登る前のストレッチも適当だし、「やらない方がいい」と仰る方も居て、「いつか壊す」こと前提で、だから今のうちに登っておくみたいな感じなんですね。

一流のアスリートは、パフォーマンス以上にケアやコンディショニングに時間を費やします。サーフィンにしてもダンスやランニングにしてもそうです。
ましてボルダリングなんて。
また、アスリートの筋力でぐいぐいストレッチしてしまうと、却って痛めてしまうこともあるのでしょう。そうなると「まあいいや」と温存療法的発想になってしまうのかもしれませんね。
筋肉は、伸ばす方向に直接力を使うのは正しいやり方ではありません。
伸ばすには引く事が大事で、その方向が肩の場合は少し複雑です。
肩関節って、身体の中で一番複合的な動きの出来る繊細な場所なので、力を加えて良い方向性さえ知っておけば、怪我も未然に防げるし、もっと自信をもって身体を使えるのではないかなと思いました。

それにしても、ロープワークとか憧れますね。
今度はもう二人一組で行うロープクライミングに挑戦してみようかな。(早い?)
何はともあれ、次また行くのが楽しみです。
OM



2012年11月8日木曜日

冬の祭典

来週13日の新月はインドではDiwali、インド最大の光のお祭りで、インド暦の新年です。
富と繁栄の女神ラクシュミーを祝います。
この時期にインドに居合わせてみたいな〜と思っているので、いつか必ずや。
灯明に囲まれ、静かに祈りを、ではなく爆竹がすごいみたい。
それでも神を讃え皆で繁栄を願い合うスピリットが息衝いている。
私もプージャに参加しようと思っています。

日本の暦では既に立冬を迎え、12月22日の冬至までどんどん日照時間が短くなっていきますね。今年のそれは特にXday。マヤ文明の本拠地であるグアテマラなどは、政府がそれを盛大なイベントにしようとしているみたいです。そしてネイティブの団体が、「そういうことじゃないから!」と何でもお金儲けに利用するなと抗議活動も起こっています。
世界の(実質的な)終焉を信じている人は毎日悪趣味にカウントダウンしていることでしょう。

どこの国の文化でも、この時期は「あげてこ!」的なイベントが多くなりますね。
それだけ太陽のエネルギーってすべてに於いて大事なのですね。
光や明かり、暖かさ、熱、「生」の象徴のようなもの。

11月の第4木曜日(カナダでは10月の第2月曜日)の「感謝祭」(Thanks Giving Day)、ユダヤ教の光の祭典「ハヌカ」(Chanukah)、今年は12月8日から16日です。
いわずもがな知られた「クリスマス」、キリスト教徒に限らず全世界で祝われていますね。

ポストには毎日のように「Holiday Season!!」と雪の結晶のマークが表紙に描かれたありとあらゆるカタログが入ってくるのもこの頃から。
親しい人同士がちょっとお洒落して集まって、美味しい物を食べてお酒を飲んで、贈り物をしあう。もしくは盛大にパーティー。子供達にとっては欲しい物をなんでも与えてもらえるThe 物欲Day(笑)

私が子供の頃、鉢植えの樅の木(たぶん私が生まれた時買ったのだと思う)に飾り付けをし、普段食べないチキンやケーキを食べて、眠りにつくと、枕元に本やリカちゃん人形が置いてあって、私は賢い子供だったので(笑)100%父親がやってくれているのだとは知っていたけど、そこ確認したらダメ、というのもわかっていて、嬉しい反面何か皆で秘密を共有しなければいけない不自然な日、って感じも薄々ありました。
両親が無理してくれているのも知っていたしね。
だから、今あんまりクリスマスにテンションあげることもないのでしょうね。

アメリカの家庭は、この時期に渡す贈り物のリストがすごくて、もう年が明けると早速セールを狙い、セールの度に年間に渡って次のクリスマス用のギフトを少しずつ買いそろえていく、みたいな人も多いです。

そういう物質的な狂乱、もう少し距離を置きたいと思われている方も多い筈。
世界はますますおかしくなっているのを知っていて、無邪気に無駄な事をする気にはなれない。
どうせだったら、フェアトレードとか、ユニセフとか、環境に配慮したものを本当に必要なところに必要なだけ、でいいのでは? と私は思うのですが、習慣からはなかなか抜け出せないもの。自分が思っていても人間関係の均衡ってありますからね。
実際華やかさも必要だし。
でも要は自分自身の物欲の問題なのではないかなと思います。

人に暖かい気持ちを贈りたいなら、
家にある材料で手作りをしたり、いろいろ工夫は出来ると思います。
そして毎年使っていた予算を今年は何か環境保護や慈善事業、善い活動をしている団体に寄付を行うなど、皆で相談し合ったり。
物ではない心の満たし方をたくさん知っている人程豊かで魅力的だと思います。
今から出来る事、私も少し考えたいと思います。
素敵な冬のシーズンを。
OM





2012年10月25日木曜日

ありのままでいいんだよ

「緊張 」は、冷や汗をかいたり、硬直してしまったり、心拍数や血圧が上がったり、瞳孔が開いたり、などの生理的症状に現れる事、でなくても、日常的に誰もが感じています。

よく、「私は全然緊張しない」と仰る方がいますが、緊張しない、ではなく、緊張しても身体的反応があまり起こらないので、自分でも周りにもあまり緊張していることをを気付かせない 、ということのように思います。

特に子供の頃に、家庭内で継続的な緊張があった場合、
例えば、家族の仲が悪い、家族内に重病人がいる、暴力的要因がある、(何かを望まれた)厳しすぎるしつけ、両親が感情的になりやすい、過干渉またはネグレクトなどです。

子供は自分の安全確保のために、常に周囲の状況を観察して情報収集し、危険要因を察知して避けるような癖がついてしまいます。
子供なので、良い刺激も悪い刺激もよく理解出来ずに、とりあえず刺激の兆候に対して警戒態勢を取ります。
そして多くの場合、それに対して反応(リアクション)しないようにすることで、その刺激要因にさらに油が注がれないよう、反応を閉じ込めてしまいます。
多くの場合、自分を守るというよりは、家族を守ろうとする行いなので、これでいいのだという思いが根付いて、ますます「緊張」が凍結してしまいます。

この自分で気付いていない「緊張」が、大人になってから様々な「ちょっとした不具合」を引き起こします。
身体に現れたり、感情の反応に現れたり、人間関係や自己認識を狂わせてしまったりということは多かれ少なかれ誰にでもある事です。
それが現在自分が関わる状況に多大な 影響をもたらしています。
信じる人は過去生からのカルマも含めて、私達は何かを守るためにたくさんの鎧を身に着けてしまっているものです。


ヨガのクラスは、基本的にリラックスしたい方が集まります。
けれども多くの「緊張」要因が潜在していますね。
場所、雰囲気、インストラクターの動き、服装、表情、言葉遣い、自分への態度、音、匂い、明るさ、他の参加者、何をやるんだろう、自分に出来るか、身体は痛みを感じたりしないか、知らない事への不安、自分が元々持つ体形的な事も含めた身体的不安、何よりも自分が普段凍結させている反応が現れてしまうのではないかという新たな(そして複雑な)緊張が大きいかもしれませんね。

ヨガのアサナを行う事は、自分自身に緊張を与えている事です。
筋肉や神経系統に刺激を与え、その刺激をどうせなら生理的に良い反応が現れるように自分自身を導いていきます。
ですが、その加減は自分でコントロール出来ます。
過剰に何かを我慢したり耐える必要はないし、本当は何が自分にとって心地よいのかを探る選択肢が常に用意されています。(いるべきです。)

インストラクターは、それぞれの方の緊張反応を見抜き、生徒さんがそれに気付いて自分の反応を変えて行けるように手助けする役割であると思っています。

「ありのままでいいんだよ」というのは、今までに私が言われて感動した言葉のベスト3に入るものです。言ってくれた先生が神様のように思える程純粋だった頃の事でした。

ただしそれを言われたしばらく後、実は選択肢が、やるかやらないかしか与えられていないことに気付いて、半ばパニック反応を起こした事もあります。
けれども多少なりとも成長し、選択肢というのは元々やるかやらないかの2択しかないのだと静かに受け入れるようになりました。

誰かを「ありのままでいい」と本当に心から思うのはそう易しい事ではないかもしれません。
子供が生まれたとき、両親は心からそう思っていても、その子が成長していくに連れてたくさんの条件を課してしまうなどはよく見聞きします。
または恋愛や結婚生活でも、そうでしょう。

「ありのままでいいんだよ」は魔法の言葉。
肩に力をいれてうつむいたその自分がありのままなのかどうか、
本人が考えるきっかけになります。
どうぞ、大切な人に、自分自身に声がけしてあげて下さい。
「ありのままで」


 ↑(違っ!)
OM

2012年10月23日火曜日

Banff Mountain Film Festival World Tour 2012 Yokohama

http://www.banff.jp/
先週になりますが、アウトドアフィルムの最高峰、バンフ国際アウトドア映画祭にご招待頂き、横浜会場で全12作品を鑑賞してきました。

映画祭に招待頂けるなんて、人生初です。
この映画祭、私も不定期でヨガのWSを開催させて頂いているPatagoniaさんが主催で、毎年開催されています。
一般でももちろんAB各プログラムがチケット発売されていたので、もっと早くブログでお知らせすればよかったな。
最近ブログをフルで書く時間がなかなかとれなくてすみません。
(FacebookのPranic Yogaページでは割とこまめにInfoしてますよ。HPにも反映されるし。
※よかったら「イイネ」お願いします。http://www.facebook.com/pages/Pranic-Yoga/231769046877559?ref=hl イイネして下さった85人もの方々有り難うございます。)

で、観る前に、「せんせ〜、観た後はうっかり熱くなって、急に薄着で走り出したくなったりしちゃうかもです〜、電車のつり革で懸垂とか。」などと聞いていたので、影響されやすい私は間違いなくヘッドスタンドとかしそうになりそう、と予想はしていましたが、会場内にはいつも冷静ににこやかな対応をしてくださる、顔見知りの鎌倉ストアのスタッフの方々がいてくださったので、なんとか大丈夫でした(笑)

映画を12作品一気に観たのは初めてでしたが、心理的に揺さぶりをかけるつくりのものではないので、疲れる事もなく、最初から最後まで楽しみました。
それで、もっともっと身体をフルに使って毎日を生きたいと思いました。
エッジに立つような経験、最近あまりないです。

NY在住の9歳の日本人の女の子、阿島ちゃんのロッククライミングのドキュメンタリーなんて、ホントいろんなことを気付かせてくれました。
脊髄損傷後、チェアスキーで世界一になった男性、
クライミングのタイムを競い合うライバル同士、
70代でも悠々と山に登りスキーを楽しむおばあちゃん。
みんなとにかく楽しんでる。
つらくなった時はそれを思い出してまた頑張っている。

【印象深かった作品】
 http://www.banff.jp/films-exp/10.html  Spoil
http://www.banff.jp/films-exp/3.html   Chasing Water
http://www.banff.jp/films-exp/7.html Reel Rock: Origins Obe&Ashima

それから、世界中で起きている環境問題。
多くの場合、自然からの莫大な利益を無理に追求する巨大企業が、その試みを方向転換させる事によって 、かなりの懸念が解消されます。
コロラド川の行方を追っていくChasing  Waterは、私もうなづきながら観ていました。豊かな水源が、途中の大都市、灌漑農業、ダム建設、などで使われるため、海まで注がず途中で枯れているのです。
その景色には見覚えがあって、水の豊かな日本に暮らしてはいますが、きちんと知る事は大事。日本だって同じような構造の問題はたくさんあるから、知らないではいつか私達自身が、その子供達が、ますます窮屈に生き方を制限されてしまう。
そして、今ちょっとした工夫で、何かが少しでも良くなるなら、ベストな選択がいつでも出来るよう、きちんと勉強していたいと思います。
http://www.patagonia.com/jp/patagonia.go?assetid=6504
(パタゴニアの環境保護への活動)

クラスは今週土曜27日10:30〜12:30で開催です。
先週の夕方からのクラスでは、お馴染みの方等にご参加頂き有り難い限りです。
お仕事やご家庭での都合をつけていらして頂いて、毎回ごとのクラスでもそうなのですが、改めていつもありがとうございます。
最近は「軸」をしっかり作り、身体のパーツをそこに引き寄せる事、バランスではなくセンタリングという事などをやっています。
個人的にも感覚的なところ、解剖学的なところ、哲学的なところ、それぞれが調和してきた感じがして、いろいろお伝えしたい事が満載です。

宜しくお願い致します。
OM


2012年10月11日木曜日

大人ってなんだろう

最近の(私も含めて)30代40代の女性って、私が子供だった頃70年代80年代くらいの感じと随分違っていると思うのです。

TVに出ているような方々を見ていても思うのですが、昔の人は10代でも責任を背負っていて大人っぽく、片や最近の20代はみんな子供みたいで、大人の女の人も10歳くらいは軽く若く見えるし、雰囲気自体良くも悪くも若いなと思ってしまうのは私だけでしょうか? そういう私もそうなのでしょうけれど。

息子が、少年〜思春期から、高校進学もようやく決まって、徐々に大人っぽくなっていかないといけない時期につき、大人ってなんなんだろうと息子との会話の中で少し考えてみました。

私の答えは、大人はまず自立していること。
生活のスタイル、既婚未婚、独り暮らし、家族と一緒、自営、会社勤務、無職、アルバイト、子供が居るいない、そして身体的なことなどで、介護やサポートを必要としていることなどに関わらず、自分自身をきちんと受け入れ、理解している事。
世界はすべて自分の内面の映し鏡で、起こる事はすべて自分が招いているのだとか、神意であり、困難な事は自分を変えたり、成長させるためのチャンスになるのだと受けとめている人。

誰かに何かを頼っている人は、必ず誰かのせいにもします。

大人は、協力はし合います。分かち合ったりサポートし合ったり。
でも頼ってはいません。アテにしていないというか。
だから、常にありがとうの気持ちが生まれます。

何か芳しくない事があれば、状況を改善する為に最善を尽くします。
誰かの何かが改まることによって全体が良くなるのなら、迷わずそれをその人に伝えるでしょう。
でも、何か良くない状況を誰かのせいにはしません。

すべてのことを自分も関わる世界のバランスだと捉えるので、ごめんなさいと素直に思う事が出来ます。
そうなると、ありがとうとごめんなさいが言える人が大人、ってことになりますね。
でもこれって、幼稚園で教わるような事です。

私は10代で親が離婚し、追い立てられるように若くして大人になった感じだったので、実際に自分が離婚を経て、息子に対して自分が全責任を負う事になるまでは、
ありがとうやごめんなさいという言葉を素直に出せないようなところがあったのですが、息子を育てていくとき、ありがとうとごめんなさいがすべてのことを教えるキーワードだと気がつきました。
それは今まであまり大切にして来なかった私自身に対しても、ありがとうとごめんなさいという気持ちを持って接するという責任があるということでした。

「おう」という言葉。
快諾というか受け入れ、承諾、認知ですよね。江戸っ子的ではありますが。。。笑
その「おう」は「OM」と同じだと言われた事があります。
すべて自分のところに来たものごとにはとりあえず「おう」
それをどう処理するかは自分次第。

そういうことが、年齢を重ねると自然になって来る。
そうしないと物事が上手く回らないから。
でも今は上手く避けたり、関わらなかったりが出来てしまう。
そういうのが世間一般の「大人」と言われているけど、一度飲み込んでいるかいないかが大きな違い、なのではないかな。

自立、とはいえ人は関わりの中で生き、成長していくもの。
ありがとうとごめんなさいをたくさん言って、言っただけ大人になっていくのかもしれないですね。ありがとう。
OM

2012年10月9日火曜日

甘美な音の世界

 スティーブ オダさんをご存知でしょうか?
カナダ生まれの日系3世、サロードというインドの古典弦楽器の巨匠と呼ばれる方です。

サロード、というのは「美しい音」という意味らしいです。
25本の弦が張られ、フレットのない鉄板の上の主弦4本を指や爪で押さえ、擦ったり滑らせたりさせて、独特の音を出す事が出来ます。
見ているだけでも、簡単ではない事がよくわかりますが、 だからこそ細かな感情の表現や、情景を描くようなラーガの世界に、何も知識がなくてもすっと入っていく事が出来ます。
スティーブさんのお隣でタブラを叩いていらしゃるのが、28日のWSでも演奏して下さる池田絢子さん。

この日は、スティーブさんのお師匠であった、アリアクバル カーン(Ali Akbar Khan)というインド古典音楽界のドンのような存在であったグルジに捧げるメモリアルコンサートで、サロード奏者、タブラ奏者が他にも集まり、既に一曲一時間近くあるラーガを2曲聴いていたのです。
身体ももそもそしかけて居たのですが、スティーブさんの演奏ではもう惹き込まれるように姿勢がしゃんとし、細胞が振動し、プラーナが駆け巡り、ヴァイブレーションが一気に上がっていくのを感じました。さすが巨匠、そしてそれを感じるのが楽しい。
音は嘘をつかないし、私にはすごくダイレクトに影響があるものなので、いい音を聴くと、無条件に嬉しくなってしまうのです。
スティーブさんが絢子さんにさりげなくリードしつつ音のレッスンを施す余裕、応える絢子さん、ニコニコしながら皆を巻き込んでいくスティーブさん、巻かれっ放しの私達。

私は今まであんまりそういう経験はなかったのですが、
最後、サロード奏者3人集まっての大団円のときに、思わずかなり大きな声で「ああ」と溜め息を漏らしてしまいました。
それは寒い日に露天風呂に浸かったときのような、喉がカラカラのときに一気に冷たいお水を飲み干した後のような、出さずにはいられない声。
でも一番ぴったりなのは、恋人に情熱的に抱き寄せられたときに思わず漏らしてしまうような、もっともっと甘い溜め息のような音。

それを聞いて、サロードのサガールさんも「ああ」と言い、スティーブさんも「ああ」と言い、その場のみんなでも「ああ」と音の官能にやられてしまった夜でした。

音で、こんなにも愛や喜びを感じさせてくれるなんて、弾ける弾けないとかのインスタントな演奏ではないことが少しは伝わりますか?
何十年もかけて学び、練習し、経験し、洗練させるって伝統芸能の世界ならではですよね。本当に素晴らしい。
私もヨガの指導でこんな風に愛や喜びを感じさせられるよう、もっともっと精進しなくては、と思いました。

会場では、ビンディ(インド女性が額につけているキラキラした飾り)を頂いて、眉間につけていたのですが、終わった後別の場所で知り合いの子に、「どうしたの?相当開いてるね〜」と目を丸くさせられました。ほんとどうしちゃったのこの人?って感じで。笑
私のオデコはこうやってどんどん縦に割れていってます。笑

演奏中のスティーブさんも、第三の目の場所にぽこっと穴が開いていました。
演奏後は、つるっとした感じに戻ってしまわれましたけれど。

ヨガを始めるきっかけとして、もっと愛を感じたい、と意識して入られる方は稀でしょうが、結局皆さんそうなのではないでしょうか?
自分の中に眠るその甘美なエネルギー、揺り動かして感じて循環させて世界が愛に満ちますように。
ナーダヨガの夕べでした。
OM


2012年10月3日水曜日

トラウマ.センシティブ.ヨーガ講座

ヨガの講座を受けるのって、いつ以来振りでしょう。
ヨガの講座はとにかくお高いから、最近は自分自身のために教育費を使うなんて贅沢な事は出来ず終いで。。。
学ぶのは喜びで、本当はやりたいこと、たくさんあるのだけれど。。。って嘆いているのも性に合わないので、ヨーガ療法学会よりかねてからお知らせ頂いていた、
ボストントラウマセンターのDavid Emerson氏の講習会に参加して来ました。

東北の被災地で活動している方の参加も多く、お話を聴けてとても勉強になりました。

David氏が関わる生徒さんの場合は、災害や事故というよりは、幼少時に酷い虐待を受けた、というようなケースが殆どのようで、そういう強い体験をした人は、本人がその体験を話して意識化出来るようになる前に、身体に蓄積された緊張反応に悩まされます(PTSD)。
でも、いかなるケースも私達がその過去に起きた事を癒すのではなく、
今起きている事に対処する 、というのがこの講座で学ぶ大事なポイントでした。

あまりに強い体験をすると、人はその体験を意識の中で処理出来ずに、常にそれが頭の中を占めていたり、少しでも関連性のある何かが引き金となって身体反応を引き起こします。
だから、過去に意識が向き過ぎている方が、身体を使って、「今ここ」で起きている事に気付き、そこから未来へ向かうよう指導ではなく、本人に気付いて頂く為の手助けをします。
「今ここ」の意識はすべてのヨーガの教えに共通するところですね。
 そしてそれは万能薬のようにありとあらゆる問題解決の糸口になると思います。

身体の反応は本当にわかりやすく、こういう場所に寝そべって5分居るだけで、自分が交感神経から副交感神経優位に切り替わる様がよく観察出来ます。
たまたま場所が明治神宮に隣接していたので、ちょっと散歩しながらあれこれ消化する時間を持ちました。
こんなことがまさにヨガです。

修了証を頂きました。
直接的ではなくても、勉強した事が何かのお役に立ちますように。

講座を受講する為に江ノ島の初級クラスにお休みを頂きました。
ありがとうございました。
今月は毎週きちんとありますので、どうぞ宜しくお願い致します。

【10月スケジュール】
http://pranic-yoga.com/schedule.html



2012年10月2日火曜日

音の旅路


毎回の事ながら、WSなどのお知らせで作るフライヤー、もっと上手に作れたらなと思うのですが、PhotoshopとIllustratorというプロの方が使うソフト、少しずつ使い方も慣れてきました。
とはいえ、高度な機能を様々に兼ね備えたこのツール、私が使えているのはきっと全体の3%程度.....
人間の脳も、クンダリーニとして眠る生命エネルギーも、日々活用出来ているのはほんの少し、3%程度だと言われていますよね。おんなじおんなじ(笑)

でもよくわからないけど、自分の眠っている領域になんらかの刺激を与えたいと思ったら、たぶん「音」が一番効果的だと思います。
だって私達の細胞はすべて振動して存在しているのだから、音を浴びたり、自分の声を響かせたりするのって一番パワフルで直接的です。
ナーダヨガの世界は知れば知る程奥深く、まるで宇宙のよう。
そんなすごい領域を、先人達は旅して、見つけて、私達にその道しるべを遺してくれている。
私にはその道のりはまだ全然わからないですけれど、その場所を知っているお二人について行ってみましょう。

HPのフォームからご予約お願い致します。
http://pranic-yoga.com/
気軽にご参加下さい。
皆さんと一緒に楽しみたいです♪

2012年9月25日火曜日

ヨガとセクシャリティ

ヨガの初心者クラスに参加される、「ヨガは初めて」の皆さんの服装はほぼ100%Tシャツです。
それが徐々に腕を出すノースリーブや、キャミソールなどの肩を動かしやすいものに変わり、動きを妨げない身体にフィットしたものに変わっていきます。

私もインストラクターになりたての頃は、大きなスタジオで男性もたくさんいらっしゃる場で、自分が身体の線をすべてあらわにしたような服装で、しかもお尻を突き出したり、寝そべったり、時には生徒さんと密着してアジャストメントすることになかなか慣れないものでした。
とはいえ、ティーチャーズトレーニングなどでは男性と一対一でポーズを支え合ったり、お互いの身体を見ながらアラインメントを修正し合う、といったことも日常茶飯事で、特にアメリカに行った時には、皆そんなことは何も気にしていないで、下着さえつけないで、逆に気にしている方がなんとなくいやらしいという空気でした。
皆あっけらかんと身体を出して、コンプレックスも何もないかのようにヨガを楽しんでいる。
私もいつしかそんな感じになって、今では少々麻痺気味です(笑)

セクシャリティ、って思春期に男女差が顕著になって、日本だとそれを出来るだけ隠すような風潮がありますよね。
理由として、仏教的な「慎み」の文化もありますが、性的な成長は好奇心の対象になりやすいので、そこでコンプレックスも発生しやすい。
逆にそんな中で、堂々としている子は何故かとても大人っぽく魅力的に映った覚えもあると思います。
魅力、というのは本来性的なものを抜きにしてはあり得ない物です。
日本の場合、それを出さずに幼稚なというか子供のままで止まってしまったかのようなファッションや振る舞いが好まれる傾向にあるのかもしれませんが、私にはどうも健全には映らない、また海外から見たら、日本のアイドルやアニメ文化ってやはりちょっとおかしく映ります。
また、途中を抜かしていきなり「おばちゃん」になってしまったり、女性が女性性を楽しむ期間が、なんだかとても少ないように思えてしまいます。

女性は 女性であるだけで本来魅力的なものです。
それにはセクシャリティの解放、ということが欠かせません。
何故ならそれが本来の自然な姿だからです。
「ありのままの自分」「本来の自分」でいる人はとても魅力的です。
相手にもブロックを感じさせないので、周りの人も心をオープンにしやすくなります。

何も肌を露出する事を薦めているわけではありませんが、セクシャリティの解放は、
「恥ずかしい」ことに敢えて挑戦することが効果的なようです。
「恥ずかしい」って大人にとってはタブーな感情で、まるで存在しないかのように扱われてしまう抑圧された部分です。誰にでもあると思います。
無理をすると誤解を招き、自己嫌悪にもなりかねませんので、ほんの少しだけ、ふさわしい場で大胆なことに挑戦してみる。
「恥ずかしい」を無視しない、なぜ「恥ずかしい」のか思い直してみる。

昨今、女性の間でベリーダンスが流行っているのはとてもわかる気がします。

ヨガを続けていくと、女性性と男性性が統合されてきて、中世的になるとも言われたりします。マインド的にはそういう傾向にあるかもしれませんが、肉体的には男性は男性らしい体つき、女性は女性らしい体つきや身のこなしが顕著になってくるものだと思っています。
(女性がムキムキや ガリガリになってしまうやり方はやり過ぎか、方法が正しくないのだと考えます)
身体の各機能が整い、内分泌系(ホルモン)が活性化し、健康的な性的魅力が増しますね。

さて、続きはまた書きます。
Alex Gray「Kissing」1983




2012年9月24日月曜日

針と老婆

インドのお話です。

一人の若い旅人が小さな村を通りかかりました。
粗末な小さな小屋の前で、一人の老婆が一生懸命曲がった腰を更に丸めて、何かを探しています。
旅人は不憫に思い、「おばあさん、何をお探しですか?よかったら私もお手伝い致しましょう」
すると老婆は「ああ親切な旅のお方、実はたった一本しかない針を落としてしまったのです。私はもう身体もあまり動かないし目もあまり見えない、縫い物をして日々食いつないでいる毎日です。その針がないと明日からどうやって生きていけばよいでしょう。どうか一緒に探すのを手伝って下さい」
若者は、そういうことならと、砂の上に落ちた針など見つかるものかとの思いを堪え、一生懸命たった一本の針を探しましたが、小屋の周りをすべて探し尽くしたのにいっこうに見つかりません。
陽もそろそろ暮れかけてきたので、

「おばあさん、小屋の周りはすべて探しましたが、さっぱり見つかりません。どこでその針を落とされたのですか?覚えていたら教えて下さい。暗くなる前にもう一度その辺りを探してみましょう」
すると老婆は、
「針を落としたのは小屋の中です、旅の方」
若者は驚いて、「じゃあなぜ小屋の外をあんなに血眼になって探していたのです?ある筈がないじゃないですか」
老婆は、
「貧しい私の小屋の中には蝋燭もなくてそても暗い。暗がりで落とした針を探すよりは、もしかしたら小屋の外に誰かが針を落としてはいないかと思って探していたのさ」

これは、探し物は自分の中にしか見つかりませんよというお話です。そこがどんなに暗くても、私達はそこに光をあてて、幸せや希望、愛、夢、望み、安定、静寂、平和、調和。。。外に探す事をやめて、自分の内側に見いださないといけない、のです。

OM

2012年9月14日金曜日

音のヨガWS & コンサート

音(ナーダ)ヨガの活動を鎌倉から、そして日本国内はもちろん、インド、オーストラリアなど各地で行ってこられた 
ユキタニグチさん(  http://yukitasogare.blogspot.com)
のマントラ&キルタンのWSを開催致します。
私が学んで来た流派のハタヨガをサンフランシスコで学ばれ、日本ではヨガの通訳やインストラクターとしても活躍し、舞踏など芸術に通じておられ、ご主人は国際的に活躍されるタブラ奏者のシェンフリンデル さんです。

現在はオーストラリア在住のユキさんが一時帰国されるタイミングの貴重な機会です。
江ノ島なので、サラスワティにちなんだテーマも入れて下さいとお願いしたところ、快く引き受けて下さいました。
実は現在ご懐妊中のユキさん、私はWSの日程を決めるため、メールでやり取りさせて頂いていた真っ最中でしたので、いち早くお知らせ下さって、既に他人事とは思っていないくらい嬉しくて....
なので今回はかなり素晴らしい特別な女神の時間になりそうです。

ユキさんが演奏しているあまり見慣れない弦楽器がタンプーラ。
タンプーラは器楽や声楽のときに使用される伴奏用の楽器です。
この楽器は4つの弦しか付いていず、フレットもなく、ただ4つの音を順番に出すためだけの楽器なので、単体で独奏をすると言う事は、ありません。ただ、この楽器があるのとないのとでは演奏時の雰囲気はまったく違うものになります。
インド音楽特有の「ムォオオオオオ〜〜〜ン」という響きはこの楽器が醸す倍音です。
4つの弦は、 Pa(ソ)、Sa(ド)、Sa(ド)、Sa(1音低いド)に調弦されます。

また、湘南在住のタブラ奏者 池田絢子さんにも今回タブラを伴奏して頂ける事になりました。(過去記事で、チベットの歌手テンジンさんのライブの時、タブラ演奏をされていた女性です)普段は大きなホール等で演奏されている方ですので、江ノ島スタジオで演奏して頂けるなんて本当に嬉しいです。私が大ファンであるU-Zhaanさんのお弟子さんでもあり、毎年インドにタブラ修行に行かれているそうです。
女性のタブラ奏者ってかっこいいですよね。
絢子さんのブログが超面白いのです。
「タブラ女子の日記ですよ」 

インドにもマントラもキルタンも、ヨガさえもまったくよくわからなくても、どなたでも興味が合ったら迷わず来てみて下さい。
敷居が高いように思われる事ですが、私のところはご存知とてもカジュアルな雰囲気です。
何かの扉を開くきっかけになるかもしれませんし、音が細胞レベルで私達を癒し、波動をより高くしてくれる事は毎回このブログに書いていますね。

10月28日(日)
17:00〜18:30 マントラ&キルタンWS
19:00〜20:00 コンサート
キャンドルの明かりの中で、どうぞ思い思いに寝そべったりしても全然構わないので、リラックスして楽しみましょう。

WSが3500円、コンサートが2000円、通しで5000円です。
http://pranic-yoga.com
HPにざっと内容アップしました。
どうか楽しみにしていて下さい。
OM



2012年9月4日火曜日

Endless Summer

ここ3日間の雨で、「まるで夏が洗い流されて行くみたい。。。」との名言を残したのは、昨日陰ヨガに来てくれたSさん。

遠くで雷が明るく空を照らす中、キャンドルの明かりの中で、本当にそんな気持ちになりながらの幻想的で穏やかな ひとときでした。

私の夏は、1ヶ月前どころか、2週間前のことすら「懐かしいね」と笑える程毎日いろいろなことがありました。
毎年夏はあまり頭が働かず(笑)、95%くらい感性と本能と直感で生きる人になってしまうのだけど、却っていろんなことがスムーズに運び、いろんな素敵な事がタイミング良くやってきたような気がします。いや、気がする、じゃなくて本当にそうだった。
夏が終わってもこの感覚で進んで行きたいな。

最近のクラスでは、「軸」を特に意識した身体の使い方、意識の据え方を徹底的にやっていますが、揺るぎないしなやかな軸があってこそ、身体も意識も自由自在に広がったり休まったり活発になったり穏やかになったり出来るものです。
嬉しい事ををより喜んで感謝したり、思いやりを持てたり、自分の意見をきちんと通したり、新しいアイディアにチャレンジしたり、そういう風に自分のエネルギーが流れて行きます。これは自分が一番実感している事で、ヨガは本当にいろんな角度からいつでも始めてから何年経っても自分を変化させてくれるんだな〜と改めて面白くなっているところです。

9/16の新月には、自分の軸をしっかり据えて、自分に必要な事を願う陰ヨガと倍音浴であるシンギングボウルのWSがあります。
演奏はお馴染みMojoさんこと遊響さん。
前回のブログにも書きましたが、音の力は細胞レベルで自分を変化させてくれるものです。
実感出来ても出来なくても、それは必ず起こります。
気持ちの良い時間になるのは間違いないので、ヨガ初心者の方も是非気軽に遊びに来て下さい。終わりにはちょっとしたポットラックで歓談する時間を設けます。
リラックスしながら体験をシェアしたり、Mojoさん持参の珍しい楽器等 で遊ばせて貰いましょう。
参加される方、まったく自由ですが、食べ物や飲み物等好きなようにお持ち下さい。
前日には私のナーダヨガの先生が鎌倉でライブを行うそうなので、私もいいクラスが出来るよう、いいバイブレーションをいっぱいチャージしてきますね♬

秋分を迎えたら季節は一気に陰に向かいます。
その前のタイミングで是非、ゆっくり軸を培い、エネルギーを整えませんか。
お待ちしています。
OM


2012年8月27日月曜日

覚醒

以前私も「寺ヨガ」を開催させて頂いた事がある鎌倉材木座の由緒あるお寺、光明寺さんでアルケミークリスタルボウルの牧野持侑さん、カリンバの BUNさん、ディジュリドゥの KNOBさん、フレームドラムの RIEさんの倍音浴、覚醒浴のライブに行って来ました。

こういう情報はタイミング良くポンっと入ってくるもので、そして面白い事に必ず親しい誰かと縁があって繋がっているものです。
今回もそんな感じの「間違いない感」を感じて直前に申し込みをして飛び込んだのですが、完全にやられてしまいました。
畏れ多くて、写真を殆ど撮れなかったのですが、すごいセット。
漂う空気がまったく違っています。

調香師の方が焚いて下さるこの場に合わせた特別なお香の香り、由緒あるお寺の荘厳な気配、外の完璧に青い空と微かに響いて来る波音。
最初に上人から般若心経の法話があり、「心って何だろう」というテーマで六識や魂魄についてのお話を拝聴した後、皆で般若心経を唱え、覚醒浴に入りました。
アーティストの皆さんが即興で音を奏でて下さるのはもちろんですが、 参加者もそれぞれティンシャやカリンバ、笛や音叉、鈴、シンギングボウル、そして声などを使ってセッションに参加します。
牧野さんが仰るには、それぞれが気持ち良く鳴らす音が、最初はバラバラでもそのうち自然に調和し、意識をより高い全体的な調和の波動に目覚めさせてくれるのだそう。

それは、VoiceYogaのハルさんとも以前話していた事だし、Heart Beat Yogaでもそんな想いで行っていたし、前日、自然の中で聴いた虫達の大合唱でも感じていた事でした。

人は、自分自身が幸せで、心から楽しいと思う生き方に正直でいれば、全然違う他人同士でも、お互いの波動が調和し合う。ちゃんと自分の好きな音を出す、というところが大切で、私は声を使って歌を歌っていました。

意外とスペースがあったので、人目もはばからずヨガをしていたのですが、他の人は寝転がったり瞑想していたりそれぞれ思い思いにリラックス。
そんな休憩を挟んで、いよいよ本気の倍音浴。
音で私の身体は本当にいつも自分で自分の形がわからなくなるくらい動いたり伸びたり、エネルギーが流れるのを感じたりします。
そのまま静かにヨガを続けていたのですが、呼吸も何もかもが気持ち良過ぎてたぶんいろんなところが開いてしまったのでしょう、完全に飛ばされました。
地と空から両方の凄まじいエネルギーを感じ、見た事もないような情景が頭の中を駆け巡り、記憶とも言えない奥深い何かを覚醒させ身体の中を駆け巡る感じ。
最後は終わった事すらわからない状態で、仰向けのシャバーサナからしばらく動けませんでした。
いろんな方とお話したいなと思ってはいたのですが、とても無理で、ふらふらとお寺を退出し、海に抜けるトンネルの手前で目の前の景色を見ながらしばらく呆然としていました。
あぁ、世界がまるごと変わってしまったんだな、と静かに納得。
感覚が開きっ放しで、意識の次元が変わってしまった感じ。
又は感じられる領域が広くなったというか。

グラウンディングするためにゆっくり海岸線を歩き、友人の店まで。
そんな体験を当たり前のように理解してくれる人の存在は有り難い。

それでも覚醒して強く感じた事は、人は結局は独りなんだということ。
誰と繋がっても、どんなに誰かと強い絆を築いても、生きるってことは独りなんだという心地よい強さのようなもの。だからこそ理解し合ったり共感し合ったりすることが出来る素晴らしさ。

般若心経の大事な部分に、願望成就の祈りを加えた真言を教わりました。

諸法皆是因縁生
因縁生故無自性
無自生故無去来
無去来故無所得
無所得故畢竟空
畢竟空故是名般若波羅密多
南無一切三宝
無量広大発アノクタラサンミャク三菩提
降伏一切大魔最勝成就

魂で生きましょう。
OM







2012年8月24日金曜日

Sunset Lounge 9/22 2012


お待たせしました!!
9月SunsetLoungeの予約開始しました!
http://freedom-sunset.com/sunsetlounge
今回はヨガから参加の方にヨガ割適用で、LIVEが半額になります。
夏、最後...かな。今から楽しみでなりません!!!
Shibaさんの事だから、これから当日までにいろいろ参加者やゲスト、コンテンツ等が増えて行くと思います。お楽しみに!!

出演:DJ Yogurt(Upset Recordings)/COMA-CHI/Polar Chalors/shiba@FreedomSunset/CitiZen of Peace/太鼓集団ふじ

予約&詳細はこちら↓
http://freedom-sunset.com/artist

■日程:9月22日(土)(雨天荒天の場合23日)
■時間:Yoga under the sky open 12:00 start 12:30(無料)
    Live&DJ  Start:13:30~18:50
■会場:江の島シーキャンドルサンセットテラス
■料金(予約制):事前予約2,000円/当日券4,000円
※小学生以下と60歳以上は無料
※オリジナルTシャツ(FreedomSunset含む )着用で50%オフ
※ヨガ割→ヨガから参加の方は50%オフ、ただしTシャツとの併用はできません。


青空ヨガ”Yoga under the sky”からスタート。
Techno~Houseを軸に様々なジャンルが交差するDJ Yogurtを筆頭に、No.1女性MCからヴォーカリストとしての新境地を開拓する湘南のディーバCOMA-CHIのアコースティックセット。Calm K.F.Bandでも活躍する、フリサン時代からの準レギュラーSINSUKE FUJIEDAとDachamboのmachine&motivation担当HATAによるユニット”Polar Chalors”。Calmと共に全国20カ所に及ぶ初来日LIVEツアーを敢行したコズミック・ユニティなトライブサウンドの”CitiZen of Peace”。
地元藤沢の太鼓グループ”ふじ”はPolar Chalors+shibaとのコラボレーション。
そして、この夏数々の野外パーティーを盛り上げ、満を持しての登場shiba@FreedomSunsetがサンセットを演出します。

presented by FreedomSunset

2012年8月23日木曜日

ピッタ

何かをする前、やっている途中、「これは私には出来ない、これは私には無理、合わない、この経験は必要ない」と決める事をやめると、人生が生き生きと変わり出す。

「」の中の考えは、自分の本質ではなく、いわゆるエゴと呼ばれるものだからです。
太陽の光を遮る雲のようなもの。
 でも、 いつもいつも100%太陽が照っていたら、街は砂漠になって物質的には発展が難しくなってしまいます。
いつもいつも経験に対して100%前向きに心を開いている、というのは赤ん坊のようなもので、サバイブするにはちょっとイノセント過ぎますよね。
だけど、経験はいつも、対誰か、ではなく、対自分なのですよ。
だから、遠回りしない方がいいし、誰かのせいにしたり誰かをアテにするのは違うと思います。

「不安に感じる」「怖い」「出来ないと恥ずかしい」「疲れる」等等、エゴはいろんな事を言ってくるけれど、本当にそうかな?とせめて決める前に考えてみる自分に対しての誠実さはないの?と、私を熱くさせるのは決まって、出した足を引っ込めるような選択ばかり繰り返す人です。
思春期の息子を見ていると、そういうことが多くて、これって今の風潮なのかなと思ってしまいますが、たぶん昔からこれが「普通」なのでしょう。

 "You were born with wings. Why prefer to crawl through life?" ~ Rumi
君は羽を持って生まれて来たのに、何故人生を這いつくばって生きる方を好むのか?

2012年8月14日火曜日

まつりの祭り

「まつりの祭り」という今年初開催の祭りに息子を連れて行って来ました。
場所は西湖。
これは、麻のお祭り。
日本人は昔から麻とともに暮らして来たのが、戦後、アメリカの措置に因って栽培することはおろか、自然に生育している物まで根こそぎ禁じられ、その文化が風前の灯火となっていたところに、東日本大震災をきっかけに暮らし方を考えようと、以前より活動を続けて来た方達が集まり開催の運びとなったものです。
麻は、神社の注連縄に使われているように、太古から神聖な植物として大切にされてきました。生育がとても速く、丈夫で、その繊維は衣服や紙、縄など使われ、実からは上質のオイルが摂れ、食品、化粧品や燃料など様々に活用出来ます。
私もほぼ毎日ヘンプナッツを食べたりスムージーに入れたりしていますよ。
ヘンプの服は、一度着てしまうとその着心地の良さに、コットンはまだしも、化学繊維の服なんて着られなくなってしまいます。
7月の初めの頃に、お恥ずかしながら高熱を出し、2日間寝込んだ事がありました。
まったく起き上がれなかったので、シャワーも浴びれずでしたが、ヘンプの服を着ていたお陰で不快感がまったくありませんでした。
コットンのパンツは汗で何回か履き替えましたが、ヘンプの消臭、殺菌、吸湿効果には驚きです。繊維の中が空洞になっていて、夏涼しく、冬暖かい。
祭り自体はステージがあって、演奏があって、周りに麻関連のブースやショップのテントが立ち並び、ワークショップや上映会、講演会などが行われ、その周りのキャンプサイトに皆思い思いにテントを立てて2日間、のんびりする、という感じのとてもとても平和なお祭り。
集まった人達も、それぞれがそれぞれの方法で生き方を模索し、結局ここに辿り着いたといった感じの強者で波動の高いいい感じの人達ばかり。
友人も多く集まっていました。
この場に居られて本当に幸せでした。

私は、息子の名前の一文字に「麻」の字を使っています。
だから、「これは君のまつりなんだよ」なんてみんなに言って貰えて、息子もまんざらでもなかったみたい。
お互い日常では見る事のない姿を知れて、またさらに仲良くなりました。


神輿を担いで湖へ。
こういうのはDNAなのでしょうか。すごく自然でした。
ステージでも、竜笛を吹いて龍神を呼び出したり、ガネーシャやシバ神へのマントラが歌われたり、当たり前のようにいつも神様が一緒に居る感じがとても良かった。
私は次の日は居られなかったけれど、女優の益戸育江(旧芸名:高樹沙耶)さんが女性の為のクンダリーニヨーガのWSを朝行っていたそうで、私もお会いしたけれど、とてもナチュラルで、でもただ楽に自然に流されてるような生き方でもない大人の女性な感じがとても素敵でした。

また、大人だけでなく、たくさんの子供達がのびのび駆け回って遊び、出展者も栃木県の農業高校の高校生達が研究している麻の縄で土地に害虫を寄せ付けないというような、いろいろ実験採用されているらしい発表などもあり、みんな遊んでいるようだけど、それぞれ今の日本をどう良くしていけるのだろうか、自分たちはどんな生き方がしたいのか、どんなものを選んで生きて行くのかを真剣に考えてきて、ここに集まっているのです。
だから、騒いで楽しんで散らかして終わりのイベント等とは大きく一線を画し、みんなが平和な気持ちで健康的に過ごした最新系のお祭りでした。
でも、それは伝統を思い出す事でもあり、とても意義深かったです。
ヘンプについては、今まだすごく値段が高いけれど、広まって行けばこれからどんどん利用しやすくなるでしょう。国産の麻は、今一反何百万円もするらしいです。主に神事に使う為、皇室に奉納されるのだそうで、一般には出回らない。
もともとは一番安価な繊維であるはずの麻が 、最高級なんて皮肉ですよね。

私は、自分がいいと思うものにはもっと自信を持とうと思ったし、好きな物はどんどん繋がるな〜と、そしてどんどん身軽に自由になる感じが最近とてもしていて、軸とか芯とか強さとか逞しさとか、繊細さとか、まっすぐさとか、必要な物を自分がちゃんと持っているんだと再発見出来て嬉しい。

夏もそろそろ終わりに近づいて来ましたが、これからの時期は一年で私が最もエネルギーの高まる大好きな季節。
前に進んで行くのが楽しみです。
OM